2024年、ついに100回大会を迎える箱根駅伝(正式名称:東京箱根間往復大学駅伝競走)。
観客の熱狂と選手たちの足音が響き渡る、箱根駅伝の物語。100回目の節目を迎えるこの伝説の舞台では、さらなる興奮が待っていることでしょう。
そして、この物語には監督たちの存在も欠かせません。指導者としてチームの結束を築き上げるため、ときには厳しい課題を与え、困難な道を進むこともある監督。それと同時に選手たちを信じ、苦しいことも辛いことも共に乗り越えるよき理解者でもあります。
監督たちが箱根駅伝の舞台で紡ぐドラマも、私たちに感動を与えてくれるものです。そんな彼らは、指導者としてどのような『信念』を持ち、選手たちの成長を支えているのでしょうか?Sports for Socialでは、箱根駅伝に関わる指導者の“教育論”を深掘りしていきます。
第4回では早稲田大学競走部の花田勝彦駅伝監督(以下、花田)。創部1914年(大正3年)早稲田大学競走部は箱根駅伝に第1回大会(1920年)から出場しており、これまで99回の箱根駅伝のうち92回の出場回数を誇る言わずと知れた強豪校です。
在学時代に活躍した卒業生であり、オリンピック、世界陸上の代表経験もある花田さん。自身の経験を活かし、伝統ある早稲田の箱根駅伝、更にその先をも見据えた指導とは?
「箱根駅伝は通過点」つねにその先を見ていた学生時代
ーーいつから箱根駅伝を意識して競技に取り組まれてましたか?
花田)今でこそ箱根駅伝を知らない人はいませんが、私自身、高校時代は箱根駅伝にあまり興味がありませんでした。
高校3年の時に、瀬古利彦さん(当時の早稲田大学競走部コーチ)から「世界を目指そう」と声をかけていただいて早稲田大学への進学を決めたときに「関東に来ると箱根駅伝という大会がある」という話をされて初めて認識したくらいです(笑)。
なので高校3年の冬に初めて真剣に箱根駅伝を見ました。当時の早稲田大学のエースの池田克美さんと、山梨学院大学のジョセフ・オツオリさんとの2区での争いを見て「これはすごい大会だ」と箱根駅伝をしっかりと認識しました。
ーー学生トップレベルの選手として活躍されていた花田さんですが、箱根駅伝の注目度も高くなってきたこの時期、プレッシャーは感じてられたりもしていたのでしょうか?
花田)1年生のとき、同期の武井隆次、櫛部静二と私の3人で、箱根駅伝の1~3区を任せてもらいました。2区で櫛部くんが大ブレーキしてしまい、そのことがものすごく多くのメディアに取り上げられました。そこで箱根駅伝の注目度の高さを実感しましたね。
そうしたこともあり、2年目からはプレッシャーも感じていましたし、自分が与えられた役割を全うしなければと思いながら走っていました。
ーーメディアからの注目度も高い、しかも伝統の早稲田大学ということで箱根駅伝へのプレッシャーも強かったんですね。
花田)そうですね。ただ、“箱根駅伝がすべてではない”と思っていたのはよかったことかもしれません。コーチの瀬古さんからは「オリンピックを意識して生活しろ。4年単位で人生を考えて取り組まなければダメだ」とよく言われていて、在学中はオリンピックのことを中心に考えていました。
「オリンピックを目指してるんだから、箱根駅伝なんかで緊張したりとか走れないんじゃダメだ。世界へ行くなら、箱根駅伝でもエース区間で区間賞取るくらいでないと」という瀬古さんの言葉を、私もその通りと思っていましたね。
ーー箱根駅伝ではなく、その先を見ていたのですね。
花田)変な話ですが、箱根駅伝が近づいてきても私たちは「誰が2区を走るか、このチームのエースは誰なんだ」という争いが一番の関心事でした。その争いで疲弊してしまった結果なのか、4年生のときの連覇がかかった大会で優勝を逃してしまいましたが、箱根駅伝を意識しつつも、その先のことを考えながら取り組むやり方は、私にはよかったのかなと思いますね。あくまで箱根駅伝は通過点と当時は感じていました。
ーー花田さんの現在の指導の考え方としても通ずるものがあるのでしょうか?
花田)駅伝はチームスポーツであると言われることもありますが、私としてはあくまで個人がどれだけ強くなるかがより大事だと考えています。「強い個人の集合体が駅伝なのだから、まずは自分たちが強くなることを考えなさい」と選手たちには伝えています。
当日、一人一人がちゃんと与えられた役をしっかり果たしてそれが繋がれば、相乗効果が出てくるものです。それぞれが自分の役割を果たし、それを繋いで結果を出す。それが自分の努力への証明にもなると思っています。
1通のメールからはじまった指導者への道
ーー早稲田大学卒業後、実業団に進み、2大会連続でのオリンピックや世界陸上に出場されるなど活躍されました。引退後、上武大学の駅伝監督に就任しますが、その経緯はどのようなものだったのでしょうか?
花田)私自身、2004年にオリンピックの出場権を逃したときに引退を決めました。本当はもう少し前に、早稲田の指導者を打診されたこともあったのですが、まだまだ選手として活躍できると思って引退を先延ばしにしていました。その結果、引退するタイミングで指導者のお話はありませんでした。
そんなときに、私のホームページを見た当時の上武大学陸上部の学生がメールをくれたことが最初のきっかけです。
学生とのメールのやり取りから発展して、上武大学の理事長からもご連絡をいただき、話は進展していきました。まだ箱根駅伝に出場したことがない大学で、もちろん不安もありましたが、妻が上武大学のある群馬県の出身だったことや、理事長の陸上競技への情熱もあり、引き受けることとなりました。
学校・選手のやる気があり、そして指導者もやる気を持って取り組めば、不可能なことは無いとの恩師・瀬古さんの言葉も私の背中を押してくれました。
ーー上武大学は、花田さんの監督就任から5年目の2009年大会から8大会連続で箱根本戦出場を果たしています。その要因としてはどのように感じていますか。
花田)箱根駅伝に出場し続けるというより、“シード権を取りたい”、“個人で日本代表を狙えるような選手を育てたい”という想いで指導していました。また、選手たちも現状に満足せずに取り組んでいた点はよかったのではないかと思います。ユニバーシアード代表は1名育ちましたが、チームとして高い目標を達成できなかったのは、私の力不足だったと感じています。
晩年はなかなか選手集めも苦しくなり、大半の選手を箱根駅伝予選会に集中させることでなんとか連続出場は続けることができました。
学生から実業団選手へ。対象の変化に伴う指導の変化とは。
ーーGMOインターネットグループでの指導経験もありますが、実業団と学生の違いはどのようなところに感じでいますか?
花田)ティーチング・コーチングの割合という意味で、やはり学生の方がティーチングの割合が多いと感じます。トレーニングの意味、食事の摂り方なども含めて教えていましたし、本の読み方やスピーチの方法、基礎的な学力や人間力を上げるような教育も考えながら行っていました。卒業後も選手を続ける学生は少ないので、教育的に見てそうした面を重要視する必要があったのです。
逆に実業団では、プロの選手であるメンバーの目指すところをどのようにサポートしてあげるかが大事になります。それぞれにさまざまなプロセスで強くなってきたので、それを尊重して、伸ばしてあげるような指導になりました。
実業団から母校早稲田へ。そこで感じた早稲田ならではの特色。
ーー上武大学、GMOインターネットグループを経て昨年6月から早稲田大学の駅伝監督に就任されました。“早稲田”の特徴はどのようなところに感じますか?
花田)「自主性が重んじられる」という点ですね。あくまで主役は選手で、「本人がどうしたいか」をすごく大事にしているところに早稲田らしさを感じています。
本人が強くなりたいのかどうかが一番大事ですし、本当に強くなりたいなら監督に頼らなくてもどんどん自分でやらなければならない。そうした風土が1年生のうちからあるので、ここでなら自分のやりたい指導ができるのではないかと感じています。
ーー近年、なかなかいい成績が残せていない中で、昨年はチームを立て直すことができた理由はそのあたりにあるのでしょうか?
花田)やはり早稲田は、伝統校ということもありもともと求められるレベルが高いです。私が就任したときには、強くなるためにいろいろ取り組むけれどもなかなか結果が出ず、いろいろとこんがらがってしまっている状態だと感じていました。レベルの高い取り組みをしながらも、基本的なことが第三者的に見ると全然できていなかったり。
なので、もう一度基本的な部分、ケアや食事、ジョグのやり方からスタートしていきました。その結果、もともとチームが持っていたポテンシャルが発揮できてよい結果につながり始めています。
ーー花田監督が何かを変えた、というわけではなく、基礎的なところからまた見直した結果だったのですね。花田監督が学生に指導されるうえで、一番大切にしていることは何ですか?
花田)私がずっと瀬古さんから言われたことでもあるのですが、走ること、マラソンや長距離というのは単なるスポーツではなく、芸術だと考えています。
芸術というと、絵を描いたりとか文章を書いたりする表現ですが、私たちランナーは「走る」ということが自分たちを表現できる最大の有効な手段です。走りで自分自身をどう表現するかということがすごく大事になると思います。
ただ単に大きな大会で結果を出せばいいということではなく、表現する上ではプロセスが大事です。勝ち方、負け方もいろいろとあると思うのですが、だからこそ自分自身をどう表現するのかというのは、いまの学生たちにも大事にしてほしいなと思っています。
ーーそれは、箱根という舞台で走れる選手もそうでない部員も含めてということですか?
花田)駅伝やマラソンは勝ち負けがはっきりするスポーツなので、走るメンバーは評価されて、メンバーじゃないと評価されないということもありますが、私はそこは違うと思っています。チームが強くなる上で選手も大事ですが、一番重要なのはマネージャーや学生トレーナーなど、チームを運営するスタッフです。なので、さきほどの表現の話も、選手だけでなく全員にします。
また、選手のなかには、結果がなかなか出なくても一生懸命に自身のケアからチームのことまで取り組んでる選手がいます。そういった選手はチームのみんなから応援されるし、大会でサポートに回ることになってもその役割に一生懸命取り組みます。
私の立場としては、それぞれの取り組みに対して、「それは意味あるものだ」としっかり評価をして、本人にも理解させるということはすごく大事にしています。
箱根から世界を意識した選手に自信を
ーー来年の第100回箱根駅伝、花田監督としてはどういった選手がこの大会にチャレンジしてほしいですか。
花田)ここ数年で、世界陸上やオリンピックなど、箱根駅伝のその先を見る選手も増えたと感じています。こうした記念大会で活躍した選手が、その先の日本代表で活躍できるような選手になってほしいなと思っています。私自身も70回大会の記念大会で2区を走りました。その後、世界陸上やオリンピックなども経験しましたが、沿道からの歓声、世の中の注目度でいうと箱根駅伝が一番かもしれないですね。それだけ注目される大会で結果を出すことは大きな自信にもなるので、単に箱根駅伝に出ただけで終わらず、その先も見据えて走ってほしいです。
ーー早稲田大学として第100回大会に向けての意気込みをお聞かせください。
花田)優勝したいです。ほかに強い大学さんもたくさんありますし、早稲田もまだ優勝するだけのチーム力ではないので具体的なチーム目標は3位以内ですが、やるからには優勝を目指しています。残りの期間でいい準備をして、チームとして最高の状態で、100%以上の力を出して、レースを終えたいです。
その結果が一番であればもちろん嬉しいですね。クラウドファウンディングも行い、いろいろな方の早稲田への期待を感じました。いい準備をして、そうした方々への見せ場をレースのどこかで作れればいいなと思っています。
ーーありがとうございます!頑張ってください!