2024年、ついに100回大会を迎える箱根駅伝(正式名称:東京箱根間往復大学駅伝競走)。
観客の熱狂と選手たちの足音が響き渡る、箱根駅伝の物語。100回目の節目を迎えるこの伝説の舞台では、さらなる興奮が待っていることでしょう。
そして、この物語には監督たちの存在も欠かせません。指導者としてチームの結束を築き上げるため、ときには厳しい課題を与え、困難な道を進むこともある監督。それと同時に選手たちを信じ、苦しいことも辛いことも共に乗り越えるよき理解者でもあります。
監督たちが箱根駅伝の舞台で紡ぐドラマも、私たちに感動を与えてくれるものです。そんな彼らは、指導者としてどのような『信念』を持ち、選手たちの成長を支えているのでしょうか?Sports for Socialでは、箱根駅伝に関わる指導者の“教育論”を深掘りしていきます。
第2回は、慶應義塾大学の保科光作コーチ(以下、保科)。1920年の第1回大会に出場した4校のうちの1校である慶應義塾大学。2017年から古豪復活を託され、指揮を執るのは日本体育大学での学生時代に箱根駅伝4年連続出走し、卒業後、ニューイヤー駅伝でも活躍された保科さん。1994年を最後に本戦出場を逃している古豪復活にかける想いと、自身の学生時代の経験をいまの学生に伝えることで、箱根駅伝で表現したいこととは?
『誰かのため』。指導者の原動力
ーーいつから箱根駅伝を意識し、競技に取り組まれてましたか?
保科)高校から陸上競技を始めたのですが、それまではサッカーをやっていました。足の故障もあり、サッカーを継続しても将来的に厳しいだろうなというときに、陸上競技をやらないかという誘いをいただいたのが始めたきっかけです。高校2年生頃から競技力も上がり、箱根駅伝を意識し始めました。
ーー高校卒業後に日本体育大学に進学されたのは、どのような理由からだったのでしょうか?
保科)体育の教師になりたいという目標があったことと、東北高校の恩師の河野先生が日体大の出身でしたので、自然な流れで目指しましたね。
ーー大学1年生で出雲駅伝3区の区間賞を取られて、4年間箱根駅伝にも出走されましたが、プレッシャーを感じる場面は多かったですか?
保科)1、2年生の時はそれほどプレッシャーを感じませんでした。ただ、キャプテンを任された4年生のときの2区はかなりのプレッシャーでした。大会前1週間くらいほとんど寝れていない状態で、言葉にできない緊張感があったと記憶しています。
実業団も含めた競技人生の中でも、箱根駅伝でのプレッシャーはいまだに強く印象に残ってますね。
ーー実業団のときと学生のときでは、同じ駅伝に対しても違いがあったのでしょうか?
保科)そうですね。他チームのことはわかりませんが、私が感じる実業団と大学生の違いは、「チームで戦う」という部分です。とくに箱根駅伝は、個を消して“チームのためにどういう走りができるか”という意識だったのですが、実業団は逆に“自分の能力を出せばいい”というスタンスでした。自分の能力を出し切れた結果がチームの成績に繋がるような意識だったので、チームメイトに対する「一緒に頑張ろう」などの声掛けはあまり全体でもなかったですね。
チームメイト、大学など、“誰かのために”と思って走れる駅伝が『箱根駅伝』だったなと思います。
ーー2017年から今の慶應義塾大学のコーチに就任されました。母校ではない慶應大のコーチに就任された経緯を教えてください。
保科)現役の晩年は、競技をしながら大学院に通っていました。指導者になりたいと考えたときに、もう一度スポーツ科学を学び、走るパフォーマンスを上げるための勉強が必要だと感じたからです。その大学院を卒業したタイミングで、慶應大OBの方から、慶應大を箱根駅伝に復活させたい、もう1回強化したいんだという相談をいただきました。私自身も大学での指導者をやりたいと思っていましたので、「私じゃダメですか」とお話をした結果、今の形になりました。
自分自身を成長させてくれた大学4年間で、一番僕自身を奮い立たせてくれた『箱根駅伝』。それを目指す年代の子たちに関われることに大きなやりがいを感じています。
変えていく指導と変わらない想い
ーー母校の日体大と、慶應大の学生の違いは、どんなところでしょうか?
保科)いろいろなアドバイスをしたときに、慶應大の学生は良くも悪くも一度自分で考えてから判断します。言われたことの解釈や、どんな効果が出るのか、という部分ですね。一方で、私の時代の日体大の学生は、「まずやってみよう」から始まり、その後トライアンドエラーを繰り返していました。どちらがいい悪いではなく、初めの一歩を踏み出すときにより慎重になることが、慶應大の学生の特徴だと感じています。
ーーチームを率い始めて7年目になると思うのですが、就任から変わったこと、逆に変わらないことを教えてください。
保科)指導論や考え方は、毎年変えています。選手が入れ替わり、チームカラーが変わると自ずと関わり方も変わっていくものと考えています。今はネットでも本でも、トレーニング方法など学生たちも知っている情報が多いです。そうした学生を指導するためには、私自身も学生の話をよく聞いて、しっかり答えられるように変わり続けなければならないですよね。
逆に変わらないことは、情熱です。2017年から「慶應大を箱根駅伝に連れていく」という強い気持ちを持って就任させていただきました。その情熱に関しては、年々大きくなっていきますし、学生よりも高い情熱を持ってコーチングしていくという姿勢はずっと変わっていないですね。
ーーこれまでの予選会でも、箱根駅伝に近づく年と、思ったような力を出せない年があっまと思います。そうしたときにも保科コーチ自身、情熱を失わないために大切にしていることはありますか?
保科)学生との対話ですね。私以上に走った選手は悔しいと感じていますし、仮にいいレースだったとしても、私以上に学生たちがもっといけると感じているのを、レース前後の会話や態度から感じることが多くあります。
結果がよかろうが悪かろうが、目標達成に導くために、私が一喜一憂しているようでは学生たちのためにはなりません。対話をして、私よりも学生が感じている想いを大事にしています。
ーー学生がnoteで発信をしたり、積極的な姿勢が見られる慶應大学の長距離チームですが、競技だけでなく、保科さんが学生によく伝えているのはどのようなことですか?
保科)「いいときも悪いときもやることは一緒でしょ」ということはよく言ってますね。いいこともあれば悪いこともあるけど、自分のやらなければならないことに対して、情熱をどれぐらい燃やし続けられるかが大事で、生きていく上でそうしたことは常に大事にしなさいと。一つの目標に対して、一つの練習に対して、準備もあれば、その練習が終わったら、次の練習に向けてのアフターケアも必要です。練習している時間以外で、どれだけ目標に対しての時間を費やせるか、情熱を持ち続けるか、その部分はかなり大事にしていこうよって話はしています。
ーー慶應大に入ってくる学生は、スポーツで活躍したいというイメージよりも、社会人になってどんな企業に就職するかという刺激も非常に多い学生時代を過ごされるのかなと思っています。
保科コーチとして、駅伝に情熱を注ぐように仕向けることや学生のモチベーション管理の部分で大事にされてることがあればお伺いしたいです。
保科)基本的にこの競走部に入ってくる子たちは、走ることが得意な子たちです。得意なことである陸上競技を全力で最後までやりきれなかったら、社会に出て、得意なことじゃない仕事をする場面になったときにやりきれないでしょ?と常日頃、言っています。
箱根駅伝出場に向けてやってますが、部活動の一環であり、教育の一環です。最後までやり切る、スタートしたらゴールする、そこを徹底して学生たちには伝えてはいます。それが結果的に社会に行ったとしても、やりきる力が備わると思っています。
ーー卒業生も多く見送られてきてると思います。
保科)海外で駐在して仕事をしたいと言っていた子がちょうどこの4月から行き始めました。競走部の長距離ブロックの卒業生が社会に行っても楽しそうに仕事をしてるのを聞くのは嬉しいですね。
「自我作古」の校風から新たな歴史に挑む学生を支える
ーークラウドファンディングを実施されているなど、強化に対しても積極的に取り組まれていますね。
保科)活動に関して、基本的には学生たちの自費で賄っています。箱根駅伝を戦う上で、重要なファクターになる夏合宿にしっかり取り組むために、どのようにして自費以外の資金を集めようと学生たちが主導で考えて、昨年からクラウドファンディングを始めました。
クラウドファンディングは学生が準備から何かやっているので、いただいたお金を生きたものにするために、寄付してくださった方に良いご報告をするために、これまで以上に取り組みを変えていかなきゃいけないという、意識の部分でのプラスの変化は、かなり大きくあるんじゃないかなと思っています。
ーーどういった選手に箱根駅伝にチャレンジしてほしいとお考えですか?
保科)箱根駅伝に出るのは、4年間の青春時代をかけて準備をしていくわけなので、そういったものを、走りも含めてすべて表現できて出し切れるような選手にチャレンジしてもらいたいなというふうに思います。そういうのが出せる選手は、常日頃から努力してると思います。言葉ではなくて、走りで人の心を揺さぶるものとか、感動を呼ぶようなものが出てくると思うので、ぜひ準備した1年、あるいは人によっては4年間かもしれませんが、全部出し切れるような熱い走りができる選手が1人でも多くいると箱根駅伝はおもしろいんじゃないかなと思っています。
ーー第100回大会に向けての意気込みをお聞かせください。
保科)チームの成熟期としては、3年生がメインですので、101回大会がチャンスかなと思っています。ただ今年の予選会通過の13位にしっかりとチャレンジできないチームは来年もチャンスがないとも思っています。今年は、何が何でも予選会を通過をして本戦出場することが私たちがやらければならない通過点です。ここから2ヶ月、死に物狂いでトレーニングをして、チーム力をまた二回りも三回りも大きくなって予選会に臨んでいきたいなと思っています。
ーーありがとうございました!