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「聞こえない」から生まれるコミュニケーションの先に~2025東京デフリンピックへ挑む~

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2025年、聴覚障がい者のオリンピックであるデフリンピックが東京で開催されます。前回のリオデフリンピックで、新型コロナウイルスの影響により棄権を余儀なくされた日本選手団は、初めての自国開催での活躍が期待されます。

そんなデフアスリートの中でも珍しく、「もともとバレーボール部に入る気はなかった」というデフビーチバレーボール日本代表の瀬井達也選手(以下、瀬井)。インタビューを通して、彼の優しい人柄と、彼が見つけたデフビーチバレーボールの魅力を強く感じることができました。

(取材場所:株式会社INPEX技術研究所)

バレーボールを始めたきっかけ

ーー瀬井さんがバレーボールを始められたきっかけは?

瀬井)私の小学校はとても田舎で、2学年合同で授業を行うような学校でした。部活動もみんな一緒に、季節によっていろいろなスポーツを行っていたので、バスケットボールやバドミントン、陸上競技や水泳などさまざまなものを経験しました。
中学校に入学し、本当は帰宅部になるつもりだったのですが、仲の良い小学校時代の先輩に、「これちょっと書いてくれる?」と言われ、入部届にサインをしたことでバレーボール人生が始まりました。(笑)

ーー驚きのきっかけですね。(笑)

瀬井)中学校の部活の先生はバレーボールで有名な先生で、入部届を書いたその日から練習するほど熱心な部活でした。3年間部活動を辞めてはいけない校則だったので、抜けることができず・・・。

ーーそれでも続けたということは、バレーボールの魅力にハマっていったのですか?

瀬井)いや、中学生のときには「引退まであと何日」と毎日数えていたくらいで、高校に入学時にはバドミントン部を選択しました。ですが、そこで「バレーボールおもしろかったな」と気づいて兼部し、そこからバレーボールにのめり込んでいきましたね。

ーー競技を離れることでその魅力に気づかれたんですね。ビーチバレーボールに転向したきっかけは何ですか?

瀬井)30歳の頃、デフビーチバレーボール協会ができ、年に1回デフビーチカップという大会が開かれるようになりました。当時6人制デフバレーボールの日本代表だった私も、メンバーと興味本位で出場していました。実は日焼けが嫌で、転向を誘われても断っていましたが、34歳で6人制に区切りをつけた際に強く誘われ、転向することにしました。

ーーバレーボールもビーチバレーも「誘われた」からというきっかけなのですね。

瀬井)そうですね。最初は強く「何がやりたい」っていうのがなかったのだと思うんです。でもいざやり始めるとおもしろい、続けたいと変わっていったという感じですね。

耳が聞こえないからこその高度なコミュニケーション

ーービーチバレーの魅力や、6人制のバレーとの違いにはどのようなものがありますか?

瀬井)基本的にはどちらも難しいし、楽しいスポーツですが、ビーチバレーは2人しかいないので、砂の上でひたすら動き回らないといけません。私自身、楽をしたいタイプなので(笑)6人制バレーのときは「お願いします」とできたところが、ビーチバレーではできません。でも、その苦しい中で1点を取るおもしろさはすごく感じています。

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ーーデフのビーチバレーならではの特徴はありますか?デフスポーツは、外から見ていると健常者のスポーツとの違いがわかりにくいところもあると思うのですが。

瀬井)たしかに、ビーチに行って初めてデフビーチバレーボールの試合を見ても、健常者との違いは判らないと思います。耳が聞こえないことで、「審判のホイッスルが聞こえない」「ペアとの会話がなかなかできない」というのが大きな特徴でしょうか。審判のホイッスルについては、視覚的にわかるように、ホイッスルを吹くと同時にネットを揺らすようになっています。

ーー「ペアとの会話がなかなかできない」というのは?

瀬井)健常の選手たちは、プレーが止まった瞬間に素早く話をしたり、目を合わせていなくても話ができます。ですが、僕らは向き合って手話でのコミュニケーションになるので、試合中は多くのコミュニケーションを取ることができません。なので、試合前にしっかりと約束ごとを決めて、試合中は確認だけ、という形にしています。

ーーこんなことを決めている、ということを少し教えていただけませんか?

瀬井)例えば、ビーチバレーではスパイクを打とうとするときに、ペアの選手がコートのどちら側が空いているか声で指示をすることが多いです。それができない私たちは、トスを上げた選手が、その瞬間に動作をして伝えます。手を挙げたらストレート側が空いてる、挙げなかったら逆が空いている、というような感じで、大きく体を動かして伝えていますね。

ーーすごく高度なコミュニケーションを取られている感じですね!

64歳で銅メダル!?長く続けられる競技ビーチバレー

ーーデフビーチバレーボール日本代表として目指されていることはありますか?

瀬井)2025年に東京で開催されるデフリンピックはもちろん目指しています。国際大会ではベスト16で敗退してしまうことが多いので、ベスト8以上を目指して取り組んでいます。今年は、大きな国際大会が開催されない年なので、しっかりと実力を積み上げていきたいですね。

ーーベスト8に向けての課題はありますか?

瀬井)デフリンピックが東京で開催されるときには、私は43歳で臨むことになります。どうしても体力的にも落ちてきているところなので、世界の若い選手たちとどうやって戦うのかというところはしっかりと考えていきたいです。
トルコのサムスンで行われた2017年のデフリンピックでは、当時48歳の天羽選手もいましたので、まだまだ私も頑張ります。

ーー他のスポーツに比べて、長くトップレベルで現役を続ける方も多いのですね。

瀬井)同じくサムスンの大会では、64歳の選手が銅メダルを獲得しました。
6人制バレーボールだと、体育館は床が硬いので、どうしても腰や膝に負担がかかり、選手生命にも影響します。ですが、ビーチは下が砂なので、負荷も少なく、長く活躍することができる競技なのです。東京オリンピック2020のビーチバレーボールでも、白鳥勝浩選手は44歳で日本代表として出場されていました。

ーー瀬井選手もまだまだ頑張らないとですね!

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デフビーチバレーボールを広める

ーーデフスポーツの普及に、瀬井さんはどのように関わられていますか?

瀬井)デフと他競技との交流はまだまだ少ないので、増やしていきたいですね。
バレーボール界では、日本デフビーチバレーボール協会の方々が障がい者スポーツ交流にとても興味をもたれています。2022年11月には、大分県でシッティングバレーボールや知的障がいのある方々とのバレーボールのイベントを行いました。交流に来てくれる方も多くいらっしゃったので、継続的に行っていきたいです。

ーーバレーボールを共通言語にしたよい広がりですね!

瀬井)サッカーは、日本障がい者サッカー連盟が元サッカー日本代表の北澤豪さんを中心に動かれていて、とてもいいなと思っています。もしバレーボール部に入部届を出していなかったら、サッカーをやってみたかったですね(笑)。

ーーそうなのですね!本日はいろいろとお話伺わせていただき、ありがとうございました!

株式会社INPEXでのお仕事

INPEX 瀬井達也選手

株式会社INPEXで研究員として働かれている瀬井達也さん。
現在は、「金属材料グループ」という部署に所属し、世界各地で行われる石油開発に関わる油井管(石油・天然ガス採掘用パイプ)材料の選定試験や腐食に関する分析・研究などを行っています。

本当は人事として応募するつもりが、理系大学出身ということもあり、会社から「研究所はどう?」と言われて現在の部署に配属された瀬井さん。バレーボール同様、当初の自身の想定とは異なる道ですが、研究の楽しさも見出し、入社から6年間研究に従事しています。

ビーチバレーに関しては、平日はしっかりお仕事をしながら、ジムやオンライントレーニング、近隣のビーチバレーコートなどを駆使してトレーニングをしているとのこと。
「仕事でもビーチバレーでもまだまだチャレンジしていきたい」と語る優しそうな目は、新しい分野でもまた新たな楽しさを見つけ、私たちにも伝えてくれそうです。

 

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