オリンピックイヤーとなる2024年。パリ五輪のその裏では、4年後の2028年ロサンゼルスオリンピック(以下、ロサンゼルス五輪)の正式種目として内定した『ビーチスプリントローイング(以下、ビーチスプリント)』の機運も高まっています。
川や湖など比較的穏やかな水面上で行われる従来のボート競技とは違い、ビーチ(海岸)で行われる『ビーチスプリントローイング』は、荒々しい波を乗り越えながらボートを漕ぐ姿が魅力的な競技です。この『ビーチスプリントローイング』に国内最初の大会から携わっている“第一人者”、井手雅敏さん(以下、井手)に競技の魅力と競技が持つ可能性についてお話を伺いました。
ビーチスプリントが持つ可能性との出会い
ーー現在龍谷大学端艇部(ボート部)でもコーチをされている井手さんですが、ビーチスプリントローイングという競技に携わるようになったきっかけは何でしょうか。
井手)2018年に香港で開催されたアジアコースタルローイング選手権にお誘いいただいて「ちょっとおもしろそうだから」と行ったのが始まりです。実際に現地で大会を見て、この競技のおもしろさや可能性を感じました。その時、同じく参加していた今治ローイングクラブの選手が今治市役所の職員であったこともあり、さまざまな協力者のもとで国内初めての大会を今治で開催するにまで至りました。
ーー今治での初めての大会を経て、次々に大会が開催されるなど競技も盛り上がりを見せていますよね。井手さんの考える“ビーチスプリントローイングの魅力”はどのようなものなのでしょうか。
井手)選手目線からみた競技の魅力は、従来のボート競技と違い、海などワイルドな環境下で漕ぐことです。波風がある中での競技は、人間が持つ動物的なワイルドさが引き立てられ、スリリングで非日常的なおもしろさを感じることができます。
また、激しい天候の中でボートを海岸に保持し選手を送り出し進む方向をナビする、ボートハンドラーという役割の人との連携も必要になってくるので、さまざまな要素をチームで乗り越えていくおもしろさもあります。
あとは、従来のボート競技では複数艇でレースをして、ゴール後も水上なので競技者同士互いに距離がある状態なのですが、このビーチスプリントはレースが1vs1の形式で、ゴールは砂浜のフラッグを取ったりゴールブザーを押すことです。ゴールが陸上なので、ゴール後握手をしたり、ハグしたりお互いを称え合ったりといわゆるコミュニケーションが自然と近い距離で取れるのも魅力です。
ーー「水上という非日常」と「陸上での距離の近さ」というお互いの良い所を両方体験できる競技なのですね。観客から見た魅力などはあるのでしょうか。
井手)観客目線でも、観ていてわかりやすい形式になっています。これまでのボート競技は距離が長く、試合会場の観客からはレース展開やゴールが見えにくい会場がほとんどです。しかし、ビーチスプリントでは、観客がスタートからゴールまでその場で見ることができ、さらに1レース2分〜3分というスパンでどんどん決着がつくのでわかりやすくて盛り上がりやすくなっています。レース距離・時間も短く接戦になりやすかったり、波やボートの乗り降りでアクシデントが起きやすいので、逆転のドラマもあったりとドキドキする展開が多いです。
また、会場がビーチになることで、音楽や飲食など、レース以外にも楽しめる要素が、子どもを含めた観客が楽しめる設計になっているのも魅力の一つだと思います。
ーービーチスプリントの会場、非常に楽しそうですよね!
新種目だからこその悩み
ーー井手さんは2022年と2023年にビーチスプリント強化のためのクラウドファンディングを実施、見事達成されていると思うのですが、実施に至った経緯を教えてください。
井手)2021年以降、ローイングの元オリンピック選手がこの競技に参加したことやSNSでワイルドな競技の様子が広まったことで競技者が増えてきていたのですが、もっと本格的に広めていくためには資金面が不足していましたし、強化のためのノウハウもない状況が続いていました。ただ、現場には身銭を切っていろいろなリスクを背負ってでもこの新種目に挑戦したいという選手たちがいたので、そんな粋な選手たちをできる範囲でサポートしたいと思ったのがきっかけでした。
ーー資金面で非常に大きな援助になったのではないかと思います。クラウドファンディングを通して感じたことはありますか。
井手)クラウドファンディングは金銭を支払う応援なので、本気度が高いと思うんです。なので1年目で241万円・169人、2年目で410万円・263人という、熱量の高い応援をしてくれてる人がいるんだということがわかったのは、すごく励みになりましたね。
僕自身、理解者がいなかったとしても「これが大事だ」と自分で思ったことは「なんとかする!」という想いで活動しています。なので、裏を返すと、1人でも味方がいてくれたら気分はさらに最高で、無敵なんです(笑)。
2回目のクラウドファンディングは特に難しいものだとは聞いていましたが、「この目的、実現したい未来のためにはこの金額が必要」と考え、1回目の倍の目標で挑戦しました。批判的な意見もありましたが、それでも挑戦を応援してくれる人たちが多かったのは嬉しかったですね。
ロス五輪、それ以降の未来に向けて
ーー2028年のロサンゼルスオリンピックに向けて、現状のビーチスプリント競技の課題はどこにあるのでしょうか。
井手)一番は他国との国としての取り組み量や熱量の開きだと思います。ジュニア世代は、日本の高校トップレベルの選手が参加すれば世界大会でのメダルは十分狙える位置にいるのですが、現時点ではシニアのメダル獲得への道筋があまり見えていません。各国の取り組みで言えば、スペインやフランスは伝統的な取組の経験と実績がありますし、ここ数年で言えばオリンピック開催地のアメリカや、ニュージーランド、チュニジアは特に取り組みが熱心です。
チュニジアは従来のローイング競技では世界大会レベルで競技結果が芳しくない国なのですが、新競技であるビーチスプリントローイングに全リソースを集中することで、世界大会でも毎年メダル獲得をするような強豪国になりました。日本は、強化の規模・スピード感の違いで完全に追い抜かれてしまったなという感じです。
井手)ただ絶望しているわけではありません。私は基本的に諦めが悪いので(笑)。
アメリカでは、2024年の5月から国内リーグ戦が始まります。国内のさまざまな場所で試合を開催し、トータルポイントで年間チャンピオンを決め、1レースごとにも賞金が出ます。日本国内でそういった実戦の場の仕組みを作るのはまだまだ時間がかかると思うので、そういった他国のリーグ戦にも参加する方法を考えています。
また、いろいろな課題に共通してくるのは資金面での問題なので、強化の方向性をしっかりと定め、競技の関係者が協力し合いながら強化に必要な費用を集めていく必要があると思います。
ーー最後に、ビーチスプリントという競技に対する井手さんの思いを教えてください。
井手)僕の中でのスポーツ観として、言葉を選ばずに言うと、“たかだかスポーツ”という感覚は大切にしたいと思っています。要するに、スポーツの本質は“遊び”であり、やらされるものではなく「やりたいからやる」ということが大事だという想いです。だからこそ、ビーチスプリントローイングの現場でもさまざまな「おもしろさ」を大事にし、スポーツに熱中するときに感じる“興奮”や“感情の爆発”といった人間の前向きな感情が、選手や観客一人ひとりの中で大きくなっていき、良いエネルギーがいっぱい集まるような場にしたいと思っています。
よく笑われますが、僕の中のスポーツに関わる最大の目的は『世界平和』です。すべての人が100%わかりあうことは難しいと思いますが、“一緒に何かをわかりあう”ことはできるのではないでしょうか。音楽はその中の最も素晴らしくわかりやすい一つで、The Beatlesが好きというだけでさまざまな国の人たちと一緒に肩を組んで歌い明かしたリバプールでの夜は素晴らしい思い出だったりします。スポーツもそうしたことに寄与できるんじゃないかなと思いますし、この『ビーチスプリントローイング』という新種目は世界の人々がよりコミュニケーションをとれる手段になりうると思っていますので、どんどん世界中に広がっていってほしいです!
ーースポーツが持つ力、非常に共感しました。ありがとうございました!