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アフリカで25年の時を超えて〜水泳ノートが残した青年海外協力隊員の想い〜

ジンバブエ

「アフリカで、日本人が残した水泳ノートを使っている指導者がいる。それも25年以上前のものだ」

そんな、嘘のような本当の話。このノートは1996年〜99年にジンバブエに青年海外協力隊・体育隊員として派遣されていた鈴木恵里さん(以下、鈴木)によるものでした。体育隊員として派遣中、才能あるスイマーを見つけ、個別指導を自ら申し出た鈴木さん。真剣に取り組んできたその指導ノートは、現在もアフリカで子どもたちの指導に役立てられています。

時を超えて繋がる青年海外協力隊員の活動とはーー。現在は京都府の中学校で保健体育の教員をされている鈴木さんと、当時指導を受けていたジンバブエのBrightonさん(以下、ブライトン)にお話を伺いました。

JICA
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「この子に教えてみたい!」から始まった練習

ーー鈴木さんは、当時なぜ青年海外協力隊員に応募し、ジンバブエに行くことになったのでしょうか?

鈴木)当時、短大卒業後は教師になりたいと思っており、その前に1回海外行けたらと考えていました。そのとき、家族に勧められたのが青年海外協力隊です。応募後、ジンバブエへの派遣が決まったのですが、「海外に行ってみてもいいかな」くらいの気持ちだったこともあり、「ジンバブエってどこだろう?」というところからのスタートでした。(笑)

ーー今回は、ブライトンに“水泳”を指導したことのお話を伺えればと思うのですが、隊員としての派遣内容は“体育”を教えることだったんですよね。

鈴木)そうですね。そもそも、私の専門としてはバレーボールでしたし、中学校の教員免許を持ちながらジンバブエの小学校で体育を教えるために派遣されたので、いろいろと新鮮な環境でした。2年間、子どもたちとともに寮の一室に住んで、一緒に食事をともにして生活してました。

ーーそんな鈴木さんが、ジンバブエ派遣中に出会ったブライトン。お2人の出会いを教えてください。

鈴木)ブライトンは私の派遣先の小学校の生徒ではなく、近くにある別の学校の生徒でした。近隣の学校を集めた水泳大会で、「ものすごく速い子がいるな」と気になった子がブライトンでした。「この子に教えてみたい!」と思い、プールの管理人をしていたブライトンのお父さんのところに“押しかけて”みました(笑)。最初は断られたのですが、ブライトンが地域の代表選手として大会に参加することが決まり、コーチをさせていただくことになりました。

ーーそれまでバレーボールに取り組んでいて、専門ではない水泳を教えることには不安はなかったのですか?

鈴木)学生時代のアルバイトで、スポーツクラブで水泳を教えることもありましたので、あまり不安は感じていませんでした。「これだけ才能があって上手に泳げる子がいるなら、なにか手助けしたい!」という想いが先行して行動していましたね。

Brighton当時の鈴木さん(左)とブライトン(右)

「感謝の気持ちを忘れない」水泳とともに教えてもらったこと

ーー鈴木さんが突然家を訪ねてきて、「水泳を教えたい!」と言われたとき、ブライトンさんはどう思いましたか?

ブライトン)実は、鈴木さんとの出会いは小学校同士の合同練習のような場で、そのときに一度直接声をかけられたことがありました。たしかクリスマスの近くの日だったと思います。
最終的には家に来てくれて。全体のトレーニングではなく個別に声をかけていただけたことが嬉しかったことをよく覚えています。しばらく経つと、妹も一緒に鈴木さんのレッスンを受け始め、よく2人で練習しました。

ーーそこから鈴木さんが帰国されるまで、長くコーチと選手としての関係が続きました。

鈴木)ブライトンはとても真面目な性格なので、水泳の練習にも真剣に取り組みました。成長期の子が一生懸命練習した結果、しっかりとタイムも速くなり、大会でも結果を出すことができました。ブライトンのお父さんにも信頼していただき、長くコーチとして関わらせていただけました。

ーーブライトンにとって、鈴木さんと過ごした日々の思い出はありますか?

ブライトン)そうですね、たくさんありますよ。

ーーいくつかエピソードを教えてもらってもいいですか?

ブライトン)水泳に関しては、彼女とはいつも長距離水泳(distance)のトレーニングしていた記憶があり、午前中に7km、午後にはさらに3km、というようにかなり泳いでいたと思います(笑)。

水泳以外でも、たくさんの人と関わる上で柔軟性の大切さや、感謝の心を持つ大切さなど、今にも活きていることを教えてもらいました。とくに、私の家族は金銭的に安定していなかったので、多くの方が支えてくれる状況の中で、彼女はいつも「誰かに何かをしてもらったときには、必ず感謝をしなければいけないよ」と教えてくれました。

ーー鈴木さんも青年海外協力隊員としての仕事と、プラスアルファでブライトンのコーチもするという、なかなかハードな取り組みだったのではないかと思います。

鈴木)当時は若くて、エネルギーいっぱいで行動していました 。朝から夕方まで仕事をして、その後ブライトンたちの指導を夜に行っていたのですが、全然大変だと思うことはなかったですね。
ブライトンの性格にも助けられました。ほかのジンバブエの子たちだったら、あんなに真面目に取り組むことはできなかったのではないかなと思います。つらい練習も投げ出さず、私自身もそうした部分で見習うこともありました。

Brighton現在のブライトン
JICA青年海外協力隊
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勉強を重ねた上の『指導ノート』

ーー指導ノートに関しては、教え始めた段階からつけられていたものなのですか?

鈴木)そうですね。メニューを立てる際に、日々の強度を把握したり、どんな練習が結果につながったかを把握する目的で、自分のためにと思ってノートに日々書き込んでいました。

ーー練習メニューはどのように考えられていたのでしょうか?

鈴木)指導をするにあたって、日本からさまざまな体育に関する書籍を持参していたことが役に立ちました。トップレベルの選手に対するメニュー作りも、感覚で指導するのではなく、しっかり勉強した上で、タイムや心肺機能のことなども考慮して積み重ねていったものです。

ーーそう考えると、改めてかなり貴重な指導ノートですね。

鈴木)追い込むことも含めて、しっかりとやらせていましたね。距離やタイムも含め、私自身ではなかなかこなせない量を頑張ってくれていました(笑)。
ブライトンが中学校1年生の頃に私は帰国することになるのですが、「もしかしたら将来、役に立つかな」と思いノートは置いていきました。

ブライトン)私の兄が、本人はあまり競泳をやらなかったのですが、大人になってから子どもたちに水泳を教えるコーチになりました。「どんな練習メニューがいいかな?」と私に相談してきたことがあり、「これを参考にするといいよ!」と鈴木さんのノートを渡しました。現在兄が運営しているスイミングスクールにとても役立っていると聞いています。

指導ノート
Brightonブライトンの兄、Howard(写真中央が運営する)が運営するスイミングスクール

かけがえのない存在

ーー日本から来た鈴木さんとの時間は、ブライトンにとってどのようなものでしたか?

ブライトン)彼女は、仕事が終わってプライベートの時間に僕たちの指導をしてくれました。遅くなってしまうこともあったのですが、離れたところに住みながらも時間を割いて教えてくれていたことに、とても心を動かされました。帰国後の手紙でのやり取りも含めて、彼女は常に私を励ましてくれる存在で、一緒にいた時間は本当にかけがえのないものです。

当時のトレーニングプログラムも、大人になってスポーツ科学を学んでいた際に、どんどん理解できました。当時は正直、「何のためのトレーニングなんだろう?」という気持ちもあったのですが、学ぶうちに本当にいろいろと考えて教えてくれていたことがわかりました。

加えて、先程も言った「感謝の気持ちを持つ」ことを常に教えられ、その点は私の人生にとってとても大きなものになりました。

ーー鈴木さん、今のブライトンの話を聞いていかがですか?

鈴木)私が思っていた以上に、いろいろなことをブライトンが理解していて、そして水泳以外の部分でもブライトンの人生に影響を与えていたんですね。「人に感謝する」というところは、実は私としては強く教えていたつもりはないんです。ですが、そうしたことを彼が受け取ってくれて、心に残っていることは嬉しいですね。

ーー協力隊員の活動が、実績としてだけでなく心にも残っていると知り、私も感動しています。ありがとうございました!

Eri Suzuki京都市立大原野中学校で教鞭をとる鈴木さん(上段中央)
jica
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