箱根駅伝には、支える人々にも物語があるーーー。
2005年から往路フィニッシュ地点であり、復路スタートでもある地点のすぐ脇には『箱根駅伝ミュージアム』があります。その副館長を務める勝俣真理子さん(以下、勝俣)は、2013年には館長に就任し、10年以上、すぐそばで箱根駅伝のさまざまな表情を見続けてきました。
競技とは違った面でも長年携わってきた勝俣さんが見てきた『箱根駅伝』について、そしてこれからへの想いをお聞きしました。
幼いころから、身近だった存在がもっと身近に
ーー『箱根駅伝ミュージアム』は、どのような背景から生まれたのですか?
勝俣)『箱根駅伝ミュージアム』は、富士屋ホテル株式会社が運営しています。その場所は以前、富士屋ホテルが経営するレストランでした。真横に箱根駅伝の往路のフィニッシュ地点、そして復路のスタート地点があるということで、「箱根駅伝に関連する何かができないのかな?」という単純な発想からこのミュージアムの構想が始まりました。
勝俣)箱根駅伝を取り上げた施設を開設することは、箱根町としては唯一・最大のスポーツイベントであり、また、「箱根駅伝を一般の方に広く知ってもらいたい」という意図が合致して、ミュージアムの立ち上げの目的となりました。
ーー勝俣さんはどのような経緯で館長になられたのですか?
勝俣)ミュージアムを立ち上げようという話が上がってきたとき、私自身は富士屋ホテル営業部所属でした。そこから、箱根駅伝ミュージアム立ち上げ準備室に関わるようになるのですが、「たまたま体育会系の大学出身だったから」という理由で任命されたと聞いています。(笑)
さまざまな形で関わりましたが、最終的に2013年7月に4人目の館長に就任しました。(現在は、副館長)
ーーご出身が箱根町である勝俣さんは、子どもの頃から箱根駅伝を実際に見に行ったりもしていたのですか?
勝俣)私自身は、箱根町の中でも少しコース沿道からは離れている仙石原の出身です。幼いころは直接見に行くことはなかったのですが、祖父が大の箱根駅伝ファンで、お正月は親戚みんなで、箱根駅伝のラジオを聞いていた思い出があります。
中学生になると、1月3日の朝、国道1号線の箱根山の最高地点に近い辺りへ叔父の車で行き、6区を走る選手を応援するのが毎年恒例の行事になりました。
箱根駅伝ミュージアムが果たす役割
ーー箱根駅伝ミュージアムとして、箱根駅伝という大会に対して、どんな形で支援や関わりをされてますでしょうか?
勝俣)大会が開催される2日間は、関係者の方が東京からこちらにいらっしゃると立ち寄ってくださったり、1月3日の朝は、6区の選手のスタート前の待機スペースとして、ミュージアムの展示室のスペースを解放しています。支援という意味では、年間の入場料の一部を、主催者の関東学生陸上競技連盟さんの方に、スポーツ基金という形で寄付をさせていただいてます。
ーー年間でどれくらいミュージアムには来場者がいらっしゃいますか。
勝俣)年間で約5万人前後の方にご来場いただいています。
ーーやはり、大会の日が一番忙しいのでしょうか?
勝俣)まさに、1月2日が年間で一番忙しい日です(笑)。その日は、1か月分の忙しさがその1日に凝縮されていると言っていいくらい忙しいですね。特に箱根駅伝のグッズを買いたいファンの方がたくさん来場します。
ーー芦ノ湖自体も観光名所だと思いますが、そのような観光名所でもあれだけの人が集まるというのはなかなかないものなのですね。
勝俣)テレビを観ていてもわかると思うんですが、東京・大手町をスタートしてから、フィニッシュに着くまでの沿道は、本当に人垣が途切れる場所がないですよね。テレビ中継が始まった頃は、まだ箱根の山に入ると沿道で応援する人がいない場所もありましたが、いまでは途切れる場所がないくらいの人垣が続いています。そうしたところからも、箱根駅伝が多くの方を惹きつけていることがわかります。
一番近い存在であり、一番遠い存在でもある箱根駅伝
ーーこれまで勝俣さんが箱根駅伝に携わられてきた中で、何か特別なエピソードや思い出深い交流はございますか?
勝俣)箱根駅伝ミュージアムは、6区の選手のスタート前の待機場所になっているのですが、その利用のきっかけとなった出来事が思い出に残っています。
1月3日の朝は、8時ちょうどの復路スタートに備えて、6時過ぎから選手の皆さんがスタート近辺にいらっしゃいます。ミュージアムがオープンしてすぐの2006年の1月の大会で、たまたまミュージアムの敷地内のところに、神奈川大学の選手およびスタッフの方が毛布を敷いて待機場所を確保していました。多少は、目隠しになるものの、完全に屋外の場所にいたところを私がたまたま見つけて、「よければミュージアム内を使ってください」とお声がけしました。
それがきっかけで年を重ねるごとに、待機するチームも増えていきました。私たちとしては、どうぞうちを使ってくださいというスタンスで、いまでは10校ほどが復路スタート前に箱根駅伝ミュージアムを利用しています。
ーーたしかに、冬の朝の待機場所に困る学校もあるかもしれませんね。
勝俣)本当に偶然見かけて、声をかけさせていただきました。それだけでもやっぱりミュージアムがこの場所にあることで、少しは役に立てているかな、と感じることができています。
ーー当日のことだけでなく、このミュージアムが芦ノ湖にある意義はどのようにお考えですか。
勝俣)往路のフィニッシュ、復路のスタートとなる芦ノ湖周辺の地域の方たちは、「箱根駅伝が終わらないと、正月を迎えられない」という方が多くいます。陸上競技や駅伝に興味を持ってもらうためというだけでなく、箱根町の観光施設として、この地域の活性化に貢献できればと思っています。
ーー勝俣さんがミュージアムから箱根駅伝を見ていて、特に印象に残った選手などはいらっしゃいますか。
勝俣)5区を走られた今井正人選手や柏原竜二選手は、すごく印象に残っています。ただ、ミュージアムは、箱根駅伝開催中もグッズ販売などのために営業しているので、私たちはじっくりレースを見ている余裕がまったくないんです。
選手がフィニッシュに近づくときに打ちあがる花火の音でゴール時間を推測したりするのですが、今井選手や柏原選手のときには、「もうきちゃったの?!」と驚いたことを覚えています。
箱根での『箱根駅伝』を繋いでいく
ーー来年で100回大会を迎える箱根駅伝。これからの箱根駅伝がどうあってほしいか、勝俣さんなりの視点で教えてください。
勝俣)大会の当初の目的である、「オリンピアンを1人でも多く育てたい」という“選手育成”のための精神は、そのままでいてほしいと思ってます。選手たちや出場校の精神は変わらなくても、まわりの世の中の環境は年を追うごとに変わってきます。箱根町の一員である私たちとしては、いつでもこの大きな大会を受け入れられる態勢を整えておかないといけないと強く思っています。
観光地としても人気の箱根周辺は、選手の宿泊場所を確保しづらい状況になりつつあります。しっかりと皆様を受け入れる体制を整え続けていきたいと思っています。
ーー選手の皆さんや応援に来られる方に対してのメッセージをお願いできますでしょうか。
勝俣)精一杯選手のことを応援していただきたいです!ただ、選手の邪魔にならないようなちょっとした気遣いもお願いできればと思っています。身を乗り出したり、選手の近くで旗を振ったりする行為は選手にとっても危険です。そういうところだけ注意していただければ、思い切り応援を楽しんでいただきたいなと思います。
選手の方々は結果に一喜一憂し、さまざまな表情を見ることが出来ます。私は、この「箱根駅伝」という大会に出場しているだけでも誇らしいことだと思っています。なので、出場するすべての選手の方々任されたその区間を無事に走り切って、記念する100回大会が全23校ゴールして終了する事を願っています。
ーーありがとうございました!