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敷地内にサッカー場やゴルフ場が!地域のための“集まる場所”をつくる、静岡県藤枝市の野原商行に受け継がれる想いとは?

野原商行

企業の敷地内でサッカーやゴルフができるーー。

野原商行株式会社は、鋼板加工の企業として静岡県藤枝市に半世紀以上拠点を構えています。その優れた加工技術や、独立系の企業でありながら細かい作業を請け負う柔軟性、大手企業からの信頼を積み重ね、これまで業績を伸ばしてきました。
さらに、自社の広い敷地の“活用方法”も野原商行の特徴の一つ。サッカー場やゴルフ練習場などの施設が作ってあるだけでなく、休日には駐車場でフリーマーケットが行われるなど、“人が集まる場”として活用されています。

そうした事業・地域貢献には、創業から受け継がれる想いがあります。野原商行を創業した野原準一氏の娘であり、現在の会社を引っ張る野原千枝社長(以下、野原)にお話を伺いました。

ナビタイム×藤枝市
蹴球(サッカー)が観光資源|スポーツツーリズムを加速させる藤枝市×ナビタイムの取り組みサッカー王国・静岡県。なかでも藤枝市は、藤枝東高校出身の中山雅史さん、長谷部誠さんなど、多くの日本サッカーの歴史を彩る選手・指導者を輩出しています。 そんな藤枝市は、観光資源としても“サッカー”を中心に据えています。サッカー大会や合宿の誘致、J2に所属する藤枝MYFCの活躍など、「サッカーで人が集まる」状況を多くの場面で作ってきましたが、さらなる発展および観光における課題の解決のためにこのたび観光庁令和6年度「観光DXによる地域経済活性化に関する先進的な観光地の創出に向けた実証事業」の採択を受け、株式会社ナビタイムジャパン(以下、ナビタイム)とともに2024年7月に『蹴球都市藤枝 Next100 スポーツツーリズムプロジェクト』を発足させました。 スポーツがいかにして“観光資源”になるのか?スポーツを通して地域経済を活性化させるその先進的な仕組みとは?藤枝市、藤枝市観光協会、ナビタイムそれぞれの立場からこのプロジェクトへの想いを伺いました。...

家族経営から70人の企業へ

ーー野原商行さんは、1963年に創業し60年以上の歴史を持つ会社です。先代の野原準一氏から受け継がれた会社の文化には、どのようなものがあるのでしょうか。

野原)弊社は家族経営からスタートし、現在では約70名の社員が働いています。ベテランの社員や家族を大事にする社員が多いので、“アットホームな会社”であると思っています。
工場の作業員には無口やマイペースではあるものの、一生懸命に仕事に取り組んでくれている人が多く、事務所の社員たちは雰囲気を明るく盛り上げてくれます。社長である私が「こうしよう!」と言うのではなく、全員でよい雰囲気を作ってくれているおかげで、仕事にも皆が真剣に取り組める環境ができていると思います。

ーー野原商行さんの鋼板加工の仕事には、どのようなものが多いのですか?

野原)同業他社さんには大きな企業の系列企業も多い中で、お客さんの要望に100%しっかりと応えていくためにさまざまなことに取り組んでいます。弊社はさまざまな種類の鉄を扱っていますが、中でも加工技術の要する表面にカラー塗装が施されているカラー鋼板を多く取り扱っています。他社と比べても多くの品種を扱い、多くの工程をこなしていることが弊社の大きな特徴です。
「なんでもやりますよ」という姿勢で、1枚からでも納期が短くてもやることが強みですし、家電に関する部品の加工が多く、難しく細かい作業を品質高くやるというのが私たちの得意な仕事です。

ーー「野原商行なら難しいこともできるだろう」という信頼があるのでしょうね。

野原)創業者である私の父は、私から見ると「機械に詳しくて先見の明がある人」でした。こんな機械を入れるの!?と思ったものが、今とても忙しく稼働していたりしています。まだ需要の少ない時期に先を見通していたおかげでできている仕事も多くあります。

野原商行株式会社 野原千枝社長野原商行株式会社 野原千枝社長

必要なものを作り、納品する。歴史から見る野原商行

ーー野原商行は、個人での事業から始められたと伺いました。

野原)三重県出身の父は、中学卒業後に親戚を頼って静岡に来て、スクラップ(金属の切れ端)の回収業者に勤めました。その中には大きな切れ端もあり、「これは何かに使えるのでは?」という発想から、自身で会社を立ち上げビジネスをスタートすることになります。“切れ端を買い、必要な形に加工して納品する”という形式から、いろいろな方からご支援をいただき少しずつ大きくなっていったのがこの野原商行という会社です。

ーー現社長の野原さんは、大学卒業後に野原商行に入社されていますが、なぜお父さまの会社に入社されたのでしょうか?

野原)両親が楽しく働いていたのを見ていたのが大きいと思います。小さい頃から、父が突き進み、母が支える姿を見てきました。父は仕事もしながら、小学校の頃はキックベースボールチームの監督をしたり、地域への貢献と会社経営を両立していて子どもながらにすごいなと思っていました。
実は、私は中学生のときから、勉強が嫌いだったので「お父さんの会社で働く!」と言っていたんです。高校・大学と過ごす中で勉強が楽しくなり、海外留学もさせてもらったのですが、結局卒業後に入社したということは、「この会社に入りたい」という想いは変わらずにもっていたということですかね。

ーー2014年に社長を引き継がれました。自分の父親が一代で大きくした会社を継ぐことにプレッシャーはありませんでしたか?

野原)先代は会社ではもちろんのこと業界においてもカリスマ的な人でした。従業員が離れていってしまうことはないか、お客様に手を引かれることはないかなど想像できない不安はありました。しかし逆に、「この会社を潰すなら私だな」という想いで、プレッシャーはありませんでした。もちろん潰さないようにとは思って頑張ってきましたが(笑)。

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システム化が進む中でも変わらない“人”

ーー野原商行さんは、歴史のある企業でありながら、近年の機械化の動きやシステム化・自動化など、常にアップデートされている企業だと感じます。

野原)鋼板加工は、もちろん機械が金属を切るのですが、その機械を使うのは人間です。機械の精度は年々よくなっていますが、こうした機械の扱い方は、学生時代や日常の中で習得できるものではないですよね。
なので、この仕事は基本的に“誰が来ても初心者”なんです。みんながゼロから学ばなければならない中で、大きな鉄を扱うということは危険も伴います。機械化や自動化も進んできてはいますが、安全にも配慮して事故にもつながらないように、慎重に少しずつ教えながら成長してもらうということは、ずっと変わらないものかなと思います。

ーー“誰もが初心者”であるというのは、この世界に飛び込む人にとっても少し安心感がありますね。

野原)これまでのメンバーも含めて、先輩になる社員たちもみんな初めてのことをやってきたはずなので、愛を持って接してくれています。昔は「見て覚えろ」という教え方も多かったですが、今の若い社員たちは真面目な部分もあるので、手順のマニュアル化もしながら取り組むことを意識しています。

ーー人によって教え方、やり方が違うというのは、どういう理由でしょうか?

野原)機械を効率的に動かしていく上で、「あれもやりながらこれもやる」といったマルチに考えて動くことがよくあります。目の前に来た作業だけを取り組むだけでは、どの仕事でもよくないですよね。こうしたことは、自分の感覚で覚えていくことも重要なのですが、若い方々にも通じるように指導する側の力もアップデートしていく必要があると感じている部分でもあります。

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敷地内の施設は“人が集まる場所”

ーー野原商行さんは、サッカー場、ゴルフ練習場、トレーニングジムなど、敷地内にさまざまな施設がありますよね。

野原)地域のためにという想いもありますが、シンプルに“人が集まる場所”でいいのではないかと思っています。人がいるところには情報が集まりますし、そうした機会を作ろうと思っても場所がないと集まれません。

スポーツ以外にも、月に2回ほどフリーマーケットの会場として駐車場を貸し出しています。ゴルフも個人競技ですけど、お互いに教え合ったりする場面もありますし、練習場によく来るみなさんでコンペをしていたり、「人が集まったところは楽しい」のではないかと思ってそうした施設を運営しています。

ーー人が集まる場所を作っているというのは、たしかにシンプルですね。会社にとってのメリットは何か生まれていますか?

野原)「会社を知ってもらいたい」という想いはありますね。フリーマーケットはとくに多くの方がいらっしゃるのですが、最近では地域の方に「フリーマーケットのところの会社」と言っていただけるのは、どんな形であれ会社のことをよく思っていただけている証拠です。地域にこうしたコミュニティができていることは嬉しいですし、「フリーマーケットが楽しみ」と言う地域の方々もいてくださるので、皆さんの協力もありながらですが、やり続けていけたらいいですよね。

ーーこうしたところから波及効果も生まれそうですね。

野原商行株式会社駐車場でのフリーマーケットの様子

子どもたち、そして社員のために

ーー野原商行さんは、Jリーグ藤枝MYFCのスポンサーであり、工場にも『蹴球都市藤枝』の表記がありますね。

野原)藤枝MYFCさんは、J3の時代から応援させていただいていて、J2に昇格したときは嬉しかったですね。クラブとともに成長できればという想いで応援しています。
敷地内のサッカー場も、多くの人に使ってほしいです。いま、子どもたちがスポーツをする場所が少なくなってきていますよね。私自身も子どもの頃から地元のいろいろな方にお世話になってきましたし、大人の健康増進のためだけでなく、子どもたちのためにも多く使えたらいいなと思っています。

サッカー場敷地内にあるサッカー場は、『野原フットサルコート』として一般の方に貸し出しも行っています。

ーー学校訪問して子どもたちに授業をされることも多いですよね。

野原)「鉄でできているものは?」と聞くと、「車」は子どもたちから出てくる答えで多いのですが、意外と、エアコンや冷蔵庫や学習机の脚、ロッカーなど知らない子どもたちも多くて。「鉄は生活の中に実はたくさん存在しているよ」ということは授業の場面でよく伝えていることです。また、鉄だけではなく、プラスチックや木など、さまざまな材料があり、いろいろなものづくりがされていて、そのおかげでみんなの生活が豊かになっているよという話をしています。
鉄は“重くて硬い”だけではなく、どんなこともできます。0.3ミリの厚さの鉄をよく持って行くのですが、子どもでも曲げられるので、彼らの鉄のイメージが変わる1つのきっかけにはなっています。

野原商行株式会社

ーー今後、どのような人と一緒に働きたいと思いますか?

野原)仕事は基本的には“自分のため”にやるものだと思っています。「何のために仕事をしている?」と聞かれたときに理由を持っている人は、仕事の多少のつらさも乗り越えられます。「1年に1回、自分の両親をレストランに連れていきたい」と答えた社員もいました。すごく素敵なことだなと思いましたし、今後も、“なにかを得るために少しずつ積み重ねていける人”とともに働けたら嬉しいなと思いますね。

会社としても、鉄を加工することでさまざまなものづくりに繋がり、世の中の生活を豊かにする使命はありますが、私たちは最終製品を作っているわけではないのでなかなか仕事の中でそれを実感することは難しいものです。しかし、自分が切った鉄が製品となってみなさんの手に届く想像をすることと同じように、仕事をすることでお給料がもらえて、自分のやりたいことに繋がる未来が想像し、目の前の仕事に一生懸命取り組んでいけたらと思っています。

ーー会社は今後どのような展望をお持ちですか?

野原)現時点では、会社を大きくすることよりも“強くしたい”と思っています。もちろん事業を拡大しようという時期も来ると思いますが、いまはしっかりとやるべきことをやり、人が集まり、頼られる会社でありたいなと思っています。

ーーありがとうございました。

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