私たちの想い

骨髄バンクに向けた想い vol.4~山岡紗恵子~

チャリティーマラソン

Sports for Socialでは、骨髄バンクランナーズに関わる人々の想いを連載として取り上げていきます。

第4回は、京都在住の主婦・山岡紗恵子さんです。

当時3歳の息子さんが白血病とわかってからの闘病生活。そこで感じた周囲への感謝の想い。スポーツと無縁の山岡さんが走り出した想い。多くの方に読んでいただきたいです。

骨髄バンクランナーズ
骨髄バンクに向けた想いvol.2 ~骨髄バンク説明員・骨髄バンク応援ランナー 赤木晴香~骨髄バンク説明員であり、骨髄バンク応援ランナーの赤木晴香さんの記事です。兄が白血病になったことではじめた骨髄バンクの普及活動。できる人が、できる時に、できることをする。子どもから大人まで、できることはたくさんあります。...

アスリートじゃない母の走り

はじめまして。山岡紗恵子と申します。

私は京都で三人の息子を育てている普通の主婦です。

スポーツは嫌いでは無いですが、長距離を走る事は若い頃から苦手でした。

そんな私ですが、2018年の夏、1枚のTシャツに袖を通してトレーニングを始めます。

骨髄バンクを知って欲しい

2018年から、さらに遡る事3年。

2015年の初夏でした。当時3歳だった3番目の息子に急性骨髄性白血病が見つかったのです。

突然の出来事でした。3人の子育てに追われる日々から、あの日、大きなショックと同時に、我が子の命懸けの闘病に投げ出されました。

そこから始まった長期間に及ぶ入院治療生活、思うように治療効果の得られない日々、再発、再入院、骨髄移植。。。と、あの二年間は簡単に言葉にすることの出来ない壮絶な毎日でした。

骨髄移植後1

輸血から流れてくるぬくもり

きつい抗がん剤治療では、患者は血液を自力で造り出す事が出来ません。

治療の度に、自身の血液を賄えない息子は、どんどんと血球が減り真っ青な顔で横たわる時間が増えました。薬の副作用に苦しみ、血液の足りない体に疲労していく。

そんな時に、点滴台に吊るされる輸血は息子の命の支えでした。

輸血バックに記された文字、都道府県と性別とご年齢。それを目にする度に涙が溢れ、幾度と無く手を合わせお礼を心に念じました。

『ありがとうございます。ありがとう!ありがとう!あなたのおかげで今日も生きる事が出来る。献血をして下さってありがとう!!』

骨髄移植へ

移植が、病気を治して未来に生き延びる為の最後の望みとなった我が子。

骨髄バンクの適合を求めました。

しかし、息子は日本人にごく稀なHLA型(白血球の型)だと分かり、あの頃に登録してくださっていた方の中には適合者が少なく、バンクからの移植は出来ませんでした。

しかし幸いにも、父親からのハプロ移植(半合致移植)が功を奏して、肺炎や腸炎などの拒絶反応が出たものの、2021年の今年5月。骨髄移植を乗り越え5年。

白血病を克服しました。

ひとりマラニック

レシピエントの姿

我が子の闘病期間、同じ病棟内に過ごす何人もの子達が骨髄移植を受けていました。

その中には、骨髄バンクを介して、全く顔も見るの事の叶わない方からの骨髄を受け取り、命を取り留めた子達がいます。

出産の際に臍帯血を提供してくださったママと赤ちゃんからの細胞で、未来を手にした子達が居ます。

どの子のお母さんも、ご家族も、涙を流しながらドナーさんへの感謝と敬意を口にされます。

生きていくために、なくてはならない骨髄液を見ず知らずの我が子にくださった。

人の心・愛が人を救うシーンを、私は何度も目にしてきました。

Sports for Social

息子が退院し、病後の回復や骨髄の馴染みに約2年がかかりました。同時に命懸けの治療や闘病の付き添いから、母親の私も心身の回復にずいぶんと時間が必要でした。

我が子の闘病で知った事は数えきれないほどあります。

年間に骨髄移植を必要としている人たちの多さ、身近に移植を受けている方の事など、どんどんと知る機会が増え、こんなに身近な事だったんだと分かったのです。

小児の闘病には、その環境や入院生活にまだまだフォローが必要だと言うことも感じました。

自宅に残された兄弟姉妹の事、長期入院の家計や生活への影響、付き添いへの心のケア、病後の社会復帰へのフォロー、、、

沢山の事を、もっと知ってもらって、困難な状況にある人達へ手助けが届く社会であって欲しい。。。

息子の退院後から、満身創痍の中にも、何かをしなければ!と言う思いだけは膨らむ一方でした。

今日も、今も、骨髄バンクの適合者を求めて『どうか、助けて下さい!!』と祈っている人達がいる。あの時の私達のように。。。。

その気持ちが、私をトレーニングにいつも向かわせてきました。

こんな小さなスタートだったけれど、思いきって投げ掛けた一雫の思いを拾って下さる方が徐々に現れ、様々な場で想いを伝える機会を頂いています。

1㎞を歩く所から始めたトレーニングも3年。

2021年の初夏、42.195㎞を1人マラニック完走まで叶うほどに走れる母になれました。

京都の三ヶ所の献血ルームを回り、献血のお礼を。

また、三ヶ所の小児がん拠点病院を巡りエールを。

道行く人達に『骨髄バンク』の文字を見てもらいながら。。。

スポーツを通じて、私達の出来る事は沢山ある。素晴らしい功績を手にするだけでは無く。

たった一雫の想いを持って歩き出すだけで、未来は少し変わる。

どうか、大変な病気に見舞われた人達が元気になりますように。

そのために、必要な手助けが届きますように。

強く強く願っています。

山岡さん

編集より

『たった一雫の想いを持って歩き出すだけで、未来は少し変わる。』

献血・骨髄バンク登録という行動が、それを求めている人にとってどれほど感謝されることなのか、山岡さんの言葉から感じるものがたくさんありました。

患者さんだけでなく、その周囲の家族のことを考えると、自分には何ができるのだろうかと考えさせられます。でも大きなことをしなくてもいい。一雫の想いを持って、一歩踏み出せばいい。そうした想いを集めて、未来を少しずつ変えていけたらと思いました。

松井一矢さん
骨髄バンクに向けた想いvol.1~骨髄バンクランナーズ 松井一矢~骨髄バンクランナーズの連載の第1弾。献血を100回以上しながら、トライアスロンの日本代表になった松井一矢さん。献血から骨髄バンクの登録が簡単であることを知り、登録した直後の適合通知。トライアスリートとして啓蒙活動を続ける想いを伺いました。...