私たちの想い

亡き妻と子、100名以上の伴走者の想いを胸に42kmを駆ける〜ブラインドランナーのパラリンピック挑戦〜

ブラインドランナー1

視覚障がい者ランナー(ブラインドランナー)として、2024年パリパラリンピックを目指す村上拓也選手。18歳で病気が発症し視力を失い、その後に出会い結婚した妻とは妊娠中の癌で死別。大きな失意の中で決意したのはブラインドランナーとして挑戦する道でした。

失意で沈む村上選手を突き動かしたものは一体何だったのか?

そして、ブラインドランナーが走る上で欠かせないのが、練習から試合まで共に走る伴走者の存在です。村上選手の伴走チームメンバーを代表して、元陸上選手の西川さんに伴走者の魅力などについてお話を伺いました。

命はいつ終わるかわからない。ブラインドランナーへの道

ーー村上選手は、ブラインドランナーとして2024年のパリパラリンピック出場を目指して現在本格的にトレーニングされていると伺いました。

村上)もともとは視力も良くて見えていたのですが、生まれつき網膜色素変性症の因子を持っていたようで、18歳の頃に発症しました。当初は「暗いところで見づらいな」程度でしたが、そこから徐々に視力が低下し31歳の頃には5円玉の穴ほどの視野になり、39歳の今はほぼ見えていない状況です。

ーー18歳の頃までは何かスポーツをされていたのでしょうか?

村上)小学生の頃は野球に夢中で、中学生では陸上短距離をしていました。とにかく体を鍛えるのが好きで、高校2年生の頃に将来の仕事について考えたのですが、普通に会社員としてデスクワークで働くよりも体を活かせる仕事に就きたいと思い、実は競輪選手にも挑戦していた時期がありました。

ーーそれほど体を活かした仕事に就きたいと思われていたのですね。でも、視力が落ちてくると競輪選手を目指すのも難しくなりますよね。

村上)そうですね、諦めざるを得なくなりましたね。ただ、「目の障がいがあっても負けたくない」という気持ちは強くありましたので、ベンチプレスやアームレスリングの大会に出場したり、目が見えなくても同等に戦える競技を探して挑戦していました。

ーーそこからどのようにして、現在のブラインドランナーへと繋がるのでしょう?

村上)きっかけは、妻と子どもを亡くしたことです。2014年に結婚し、妻も子どもを妊娠して幸せな生活を送っていたのですが、翌年の2015年に妻が癌になってしまいました。妊娠中の癌の発症ということでいろいろな選択肢を検討しました。でも最終的には治療に専念するために子どもを諦めざるを得なくなり、せめて妻の容体が回復することを願っていたのですが、そのまま妻も失いました。

でも、そこからすぐに「走ろう」という気持ちにはなれず。少し自分自身や周りの環境が落ち着いてきたときに妻の人生を振り返ってみて、「命はいつ終わるかわからない。生きている間に何かを残したい」という想いが強くなり、次第にという感じですね。

ブラインドランナー2部屋にある奥様の遺影から今も『想い』を受け取り続けている村上選手


ーー奥様の人生を振り返ったことが、村上さんを突き動かすきっかけになったわけですね。想いが次第に強くなり、まずはどのようなことを始められたのですか?

村上)2017年に「障がいをもった自分しかできないことに挑戦してみたい」と思い、大阪のパラリンピック選手発掘イベントに参加してそこでマラソンに出会いました。

今でこそパラリンピック出場に向けて真剣に練習に取り組んでいるのですが、正直に言うと当時はマラソンのような長距離を走った経験がなく、1kmを何分で走ると速いのかもわからない感じでした。ただ、何かに挑戦したいという気持ちで、まずはやってみようと思って始めましたね。

でも、目が見えないということで1人で走ることもできず、走る場所に移動することもできませんので、一緒に走ってくれる伴走者を見つけることが最初の一歩でした。

ーー今は村上選手をサポートする伴走者の方がいらっしゃると思うのですが、当初はどのような状況でしたか?

村上)伴走者の方は通常は人の紹介で繋がるのですが、最初の頃は誰とも繋がりがありませんでした。だから健常者の方と目に障がいをもった方が一緒に走る会に参加して、「伴走をお願いできますか?」と声かけをしながら、ご協力いただける方と一緒に走っていました。

伴走者の方にもスピードやスタミナなどご自身の走ることができる限度がありますので、当初から現在まで私の成長に伴って本当にたくさんの方と一緒に走ってきました。延べ人数では100人以上になると思います。

そのような経験をしながら、昨年の2021年12月に想いのある方が集まってくださり、パリパラリンピック出場に向けて本格的なチームができあがりました。

ーー村上選手のパリパラリンピック出場をサポートするチームが結成されて、そのチームに伴走者の西川さんや以前に取材させていただいた高橋基成さんも入られているのですね。

「耳が聞こえない日本代表チーム」をサポートするメンタルコーチは選手の何を見ているのか?デフフットサル女子日本代表チームとデフサッカー女子日本代表チームで「手話通訳兼メンタルトレーナー」をされている高橋基成さん。 「耳が聞こえない日本代表チーム」をサポートする苦悩や喜びなどのお話を伺いました。...
ブラインドランナー5村上選手の挑戦をサポートする伴走チームメンバー

 

陸上選手からの転身。伴走者として伝えていきたいこと

ーー西川さんは、現在は村上選手の伴走者として一緒に走っていますが、そもそもどのような経緯で伴走を始めたのでしょうか?

西川)小学5年生から大学4年生まで陸上競技をしていました。社会人になってから別の趣味を見つけようとしていましたが、結局また走り始めて、ランニングチームに所属しながら市民ランナーとして陸上競技を続けていました。

実は大学生のときに同じ部活動の大切な友人を亡くしたことがきっかけで、「走り続けたかった彼の分まで、自分のためだけでなく誰かのために頑張りたい」と思うようになり、走ることについての考え方が少しずつ変化していたタイミングでした。

ーー勝ち負けや記録以外に、走る意味が見つかりつつあるタイミングだったのですね。

大学で社会福祉学を学び社会福祉士の資格を取得したことも、伴走者として活動する上で大きかったと思います。今でもはっきりと覚えているのですが、社会人1年目の2019年の1月に、「今年は新しいことを始めてみたい。誰かのために1人でも多くの人のために何かアプローチできないか」と考えていました。

そのときに、社会福祉士、亡くなった友人への想い、走ることが好きという3つが重なって、『伴走者』にたどり着きました。

ーーそのような経緯で伴走者としての活動が始まったわけですね。これまではご自身のためだけに走られていたと言われていましたが、実際に伴走者として走られてみてどのようなことを感じましたか?

西川)最初は60〜70歳くらいの高齢者の方を歩くくらいのスピードで伴走していたのですが、一緒に走っていて「ありがとう」と感謝の言葉をかけてくださる方が多くて、これまで1人で自分のために走っている陸上とは違い、ぐっと心にくるものがありました

僕は大阪にいるときは、2021年東京パラリンピックで銀メダルと銅メダルを獲得した和田伸也選手の伴走者としても活動する中で、世界で活躍する選手の考え方や練習方法を目の前で学ばせていただきました。和田選手含め関西の伴走で感じさせていただいたことを、いろいろな人へ伝えていきたいと思っていましたね。

ブラインドランナー32021年の年末に出場した大会(1500m走)で自己ベストを更新


ーーそれから共通の友人を介してお2人が出会ったと伺いました。出会われた当初の頃の印象はお互いどのようなものだったのでしょうか?

村上)西川さんに出会うまでは陸上に特化した練習をしたことがありませんでした。ずっと陸上をされている方と事前に聞いていたので、すごい実績の方が来られるとワクワクと緊張の気持ちが両方ありましたね。

初対面から1週間ほど経った頃に豪雨の中での練習があったのですが、そのときにこれまで行ってきた練習内容や、何を目指しているかの目標などを西川さんと一緒に話したことが強く印象に残っています。

西川)初めてお会いしたとき、まだ陸上を始めたばかりの方なのだなという印象を感じました。ただ、これから本格的な練習をすればものすごく伸びる可能性があると思いワクワクしましたね

これまで伴走させていただいた選手の中には、先ほどの和田選手のほかにも世界で活躍されている選手がいて、「ブラインドマラソンを盛り上げていきたい」という気持ちで選手も私も走っていました。その気持ちを引き継ぐという意味でも、村上選手と一緒に盛り上げていきたいと思っていたので、豪雨の中でその僕の気持ちを村上選手には伝えました。

それぞれのターニングポイント。ブラインドランナーとして、伴走者として

ーー少し時間をさかのぼってお話を伺わせてください。村上選手はブラインドマラソンを始めてからいろいろな経験をされてきたと思います。その中で、パラリンピックを本気で目指したいと思われたターニングポイントは何でしょうか?

村上)ターニングポイントは2つあると思います。1つは2018年4月の霞ヶ浦マラソンでブラインドマラソンに初挑戦したときのことです。当時はまだ毎日練習できるような環境ではなく、大会1ヶ月前の練習で30kmを入るのが精一杯という感じで。大会当日も周囲からは「歩かないでくれよ」と言われていたのですが、時間はかかりましたが完走することができました。

頑張ればできるんじゃないか、練習すればもっと速くなれるんじゃないかと思えたことが、まず最初の大きなターングポイントです。

もう1つは、2021年の8月に西川さんと出会い、陸上に特化した練習を始めて記録が劇的に伸びたことです。1500mの記録が2ヶ月の練習で20秒ほど速くなり、それから走るたびにフルマラソンでも自己新記録を更新できるようになりました。伸び悩んで頭打ちになっていた自分の殻を破れたという意味で、とても大きなターニングポイントです。

ブラインドランナーパラリンピック出場を目指すため自分の限界に挑む村上選手


ーー西川さんをはじめ、ほかの伴走者の方やいろいろな方のご縁にも恵まれて順調に記録を更新されてきたのですね。

村上)フィジカルや技術だけでなく、考え方が変わったことも大きいと思います。今ではうまくいかないことがあっても、できることから頑張ろうと思い実際に行動できるようになりました。ただ、昔の自分は行動をあまり起こせずに、どうしようかと考えているものの一歩が出ないということが多かったです。

妻と子どもが亡くなって、もちろんひどく落ち込みました。でも、自分のペースで社会は動いているのではない、自分が落ち込んで止まっているから社会も止まっているわけではないと、そのときに気づきました。

自分が変わっていかないと周りの状況は変わらないし、思っているだけでなく行動しないと何も変わらない。そう考え方が変わったのが、実は最も大きなターニングポイントかもしれません。

ーー西川さんの伴走者としてのターニングポイントはいかがでしょうか?

西川)村上選手が記録を更新することはとても嬉しいことに間違いはありません。その上で伴走を始めて3年目になる自分には、サポートする選手の記録更新と同じくらい伴走を通じた出会いもやり甲斐になっています。

伴走者がブラインドランナーと走るときには、ただ隣に寄り添って走るだけでなく『きずな』と呼ばれる1mほどの長さのロープを輪にしたものをお互いが握って走ります。もちろんこのような物理的な繋がりの『きずな』もレースをする上で大切なことですが、伴走するご縁でいろいろな方と繋がることができる心理的な『絆』も、僕にはとても大きな価値あるものです

もし20代で本格的な陸上を続けていたとしても、そこからの繋がりは陸上の世界に留まっていたと思います。でも、今は本当にいろいろな方と出会うことができ、いろいろな世界を見ることができていますから。

2024年パリに向けて。想いを『きずな』に

ーー村上選手、最後にパリパラリンピック出場に向けた意気込みを聞かせていただけますか?

村上)ブラインドランナーとしてパラリンピック出場が1つの目標です。これまで本当にたくさんの方に伴走していただきましたので、その想いをパリに繋げていきたいと思っています。レースに実際に伴走できるのは1〜2名ですが、それまでに伴走してくださる方は数百名を超えると思います。そんなみなさんの想いをしっかりと『きずな』に感じながら、パリパラリンピックのスタート地点に立ちたいです

ブラインドランナー6村上選手と伴走者を繋ぐ黄色いロープの『きずな』


ーーチームメンバーには、これまで練習で一緒に走った伴走者の方も含まれるわけですね。フィジカルや技術や栄養などの専門家たちがチームメンバーになる場合が一般的ですので、一緒に走ってこられた伴走者もチームメンバーとして考える捉え方はとても斬新です。

村上)はい、そのあたりもブラインドマラソンの1つの魅力と思います。そして、西川さんには、これからも檄(げき)を飛ばしていただけると嬉しいですね。

ーー西川さん、檄を飛ばすとはどういうことでしょうか?

西川)ブライドマラソンでは、檄、つまり声かけが選手に大きく影響を与えます。タイムや進行方向の声かけだけではなく、選手がいかに気持ちよく走れるかのメンタル面の声かけです

自分自身の陸上経験から、競技で実力を発揮する上で何より大事なことは楽しむことだと思います。村上選手と走る中で確かにきつい場面もあるのですが、村上選手が持っている力を発揮できるように、より楽しく走ることを常に声かけの中で意識しています。

ーーどのような声がけをされているのですか?

村上)レース中には勝負どころがあるのですが、そのときに声をかけてもらえるのが本当にありがたいです。例えば2,000mを走る場合には1周400mのトラックを5周走りますが、3周目が特にきつくなります。そのときに西川さんに「ここから盛り上げていきましょう」と声をかけていただけると、最後まで強度を保ったまま走ることができますね。

西川)なるべく力まないような声がけや、楽しむ要素を入れた声がけをするように工夫しています。

村上)練習後によく一緒に吉野家に行くのですが、きつい練習の終盤に「この後に吉野家が待ってますよ」と声をかけてくれるのも、実はかなりモチベーションアップになっています!

ーー村上選手、ここまで読んでくださった読者の方にお願いしたいことがあると伺っています。

村上)ありがとうございます。今年はフルマラソンの記録で2時間50分切りを目標としていて、そのために練習を一緒にしてくださる伴走者を探しています。伴走未経験でも大歓迎ですので、ハーフを1時間20分程度で走れる方、ぜひ伴走チームの一員として一緒にパリパラリンピックを目指しましょう!

そして、2024年に向けて本格的に練習していくために、障がい者アスリート雇用としてサポートしてくださる企業も探しています。どうぞよろしくお願いします!

ーー挑戦への想いから最後はブラインドマラソンや伴走者の魅力に至るまで、いろいろなお話をありがとうございました。お2人ともご自身の想いだけでなく、亡くなられたご家族やご友人、そしてお世話になった方々の想いも感じながら、毎日の練習で走られていることに心が揺さぶられ、とても共感しました。

今回のこの記事が、雇用サポートをしてくださる企業や伴走者と、村上選手を繋ぐ『きずな』になると私たちも嬉しいです!応援しております!!

若生裕太_やり投げ
視覚障がいを乗り越え、活躍する姿を〜パラ陸上やり投げ若生裕太が前を向く理由〜パラ陸上やり投げ日本記録保持者の若生裕太選手は、大学生の頃に視覚障害を発症し、野球からパラスポーツに転向。現在は競技活動だけでなく、発信活動も積極的に行っています。なぜ前向きになることができたのか、その理由を伺いました。...