デフフットサル女子日本代表チームとデフサッカー女子日本代表チームで「手話通訳兼メンタルトレーナー」をされている高橋基成さん。
「耳が聞こえない日本代表チーム」をサポートする苦悩や喜び、また11年間教員として働いていた特別支援学校の子どもたちから学んだことについてお話を伺いました。
手話によるコミュニケーションで手話のスキル以上に大切なこと
ーー高橋さんの活動について詳しく教えていただけますか?
高橋)手話通訳兼メンタルトレーナーとして、2016年からデフフットサル女子日本代表チームとデフサッカー女子日本代表チームに関わっています。その中で、通常練習や合宿また試合などに帯同して、ミーティングで監督が話す内容を選手に伝えるための手話通訳や選手のメンタルサポートをしています。
ーー選手のメンタルサポートだけでなく、手話通訳でチーム内の意思疎通を円滑にする役割もされているのですね。
高橋)そうですね。ただ代表チームのメンバーとなり5年ほど経つのですが未だになかなか難しいこともありまして。実は手話には2種類あり、1つは日本語で話す言葉(単語)をそのまま手話で置き換えていく『日本語対応手話』と、もう1つは手話独自の文法表現がありその独自ルールに沿って変換する『日本手話』があるんです。
代表チームの中には日本語対応手話で育ってきた選手もいれば、日本手話で育ってきた選手もいますので、監督の話をどちらか一方の方法で手話通訳した場合には一部の選手には伝わるものの、一部の選手には伝わらないことがあります。
1対1の手話通訳であれば相手に合わせて対応すれば大丈夫なのですが、チームの手話通訳となるとかなり難しいんですよ。
ーー十数人いる選手に対して監督の言葉を手話通訳するとなると相当大変だと思うのですが、実際にはどのように現場で通訳されているのですか?
高橋)いろいろと試行錯誤してきたのですが、今ではどういう手話通訳の仕方が良いか選手たちに尋ねるようにしています。例えば、キャプテンから「監督の言葉から意図を読み取りたいから日本語対応手話でお願いします」と言われることがあります。
ただ日本手話で育ってきた選手たちはそれだけだと意味が理解できないこともあるので、理解した選手が他の仲間と確認しあったり共有するなどして、選手同士がお互いに工夫し合っていますね。
アスリートをサポートしている方から「手話ができると耳の聞こえない人ともコミュニケーションできるからいいよね」と言われたりすることもあるのですが、そう単純なものでもないんです。
本当の意味でコミュニケーションをとるためには、目の前に見えている現在の相手だけでなく、相手のこれまでの育ってきた環境なども見るようにして、より深く理解することが大切だと考えるようになりました。
1998年長野パラリンピックを見たことが全ての始まり
ーー2016年からデフフットサルやデフサッカーの女子日本代表チームに関わられているということだったのですが、障がい者スポーツに興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?
高橋)僕がそもそも障がい者スポーツに興味を持ったのは、1998年長野パラリンピックをテレビで見たのがきっかけだったんです。選手の名前を忘れてしまったのですが、女性のスケート選手がメダルを獲った時の笑顔が眩しいくらいキラキラしていたんですね。
当時18歳だった僕からすると、障がいを持っている時点で人生真っ暗だし可哀想だなと思っていたんですよ。でも、自分よりも全然この選手の方が輝いて生きているのを見た時に、自分の大きな偏見に気付きました。
それをきっかけにして、大学は社会福祉学部に進学を決め、福祉について学びながら高校の教師も目指していきました。障がい者福祉を学ぶ中で知的障がいの方が描いた絵を見る機会があったのですが、その個性的な絵にとても可能性を感じるものがあったんです。
ーー最初はアスリートをサポートしたい気持ちではなく、知的障がい者の個性や可能性に興味を持たれていたのですね。
高橋)そうですね。大学卒業後に一度は一般企業に就職したのですが、やはり教育に携わりたいと想い特別支援学校の教員を目指すようになりました。その後、特別支援学校の教員として東京都採用となり知的障がい児の特別支援学校で4年間勤務し、異動のタイミングで希望を出して聾(ろう)学校に移りそれから7年間勤務していました。
というのも、もともと高校教員を目指していた一番の理由は「野球を教えたい」という想いからだったんです。聾(ろう)学校なら教科も野球もどちらも教えられるので、自分が貢献できることと好きなことのどちらもできます。知的障がいの学校とはまた違う自分なりの魅力を感じていたんですよね。
ーー自分が「貢献できること」と「好きなこと」のどちらも実現できる聾(ろう)学校に異動されたのですね。より楽しくやり甲斐のある職場になったのではと想像したのですが、実際のところはどうでしたか?
高橋)野球が好きな分だけチームを強くしたいという思いが出てきて、当初は自分の野球観を押し付けてしまい苦労しましたね(苦笑)。思い通り動いてくれなかったり理解してくれないと強い口調や言葉で叱ってしまったりと。
今から話す事例は、耳が聞こえないだけでなく発達障がいにも関わるのですが、野球が上手でピッチャーをしている子がいたんです。ただ、自分ではいい球を投げたにも関わらず相手が打ったりして自分の思い通りにいかないと試合中に気持ちが切れてしまい「俺を代えてくれ」と言い出してしまう子で。
本当に交代させると試合中にも関わらず家に帰ってしまったり。試合に出ていても思い通りにいかないとプレイすることを放棄してしまうこともあり、正直なかなか大変でした。
怒るだけでは何の解決にもならない
ーーそれは大変ですね。思い通りにいかないと気持ちが切れてしまうその子に、高橋さんはどのようにして関わっていったのですか?
高橋)ただ怒るだけでは何も解決にならないんです。相手チームの監督には事前にお話して理解していただいた上で、ベンチに戻ってきたその子に「どうする?あれじゃ試合にならないと監督は思うよ。ちゃんとプレイするなら試合に戻ってほしいと思っているけど、もしそれが難しいなら交代するという選択肢もある。どっちがいい?」と本人に選ばせてました。本人に責任を持たせるという関わりをしていましたね。
ーー確かに普通なら監督も怒ってしまう状況だと思います。高橋さんがそのように対話を重視した関わりができたのは、どのような想いがあったからなのでしょうか?
高橋)自分でもどうしようもできない衝動の中で起こっていると考えると、その子本人も苦しいはずなんですよ。本当の意味で相手の立場に立つためには、相手の見ているものや感じているものを自分でも見たり感じたりするために『相手の世界に自分が入る』ことが大切だと考えています。
そうすることで少しだけかもしれないけど、相手のことを受け入れられるし理解できる。そこを自分では大事にしていると思いますね。
逆に言うと、障がいのある子を理解できない人は、その子の見ている世界を見ようとせず、理解しようとしない場合が多いですね。もちろん相手のすべてを理解するのは難しいのですが、少しでもその子の世界を見て感じる努力をすることは私たちにできると思っています。そこにたくさんのヒントが隠れている気がします。
高橋)例えば、運動会のリレーでも「よーいドン!」で逆走する子がいたんです。他の先生はその時点で叱ってやり直しとなるんですが、僕の場合は一緒に走っていって、その子の見ている世界を一緒に感じて一緒に楽しむところから始めてみました。そして一緒に楽しく走りながら、「次はこっちにいってみようか」と言ってスタート地点に戻ってきて、もう一度「よーいドン!」とスタートして次は正しい方向へ走ってゴールして喜び合う。
こういう体験を一緒にすることで、障がいのある子も学んでいくことができるので上手く走れるようになっていきます。これは勉強でも同じですね。
ーー聾(ろう)学校に異動して、そこからデフフットサルやデフサッカーの女子日本代表チームにはどのように繋がっていったのですか?
高橋)実は聾(ろう)学校で担任をしていた時の教え子に、デフサッカーとデフフットサルの女子日本代表選手がいたんですよ。代表選手がいると知った当時は自分がメンタルの仕事をすると思っていなかったので、担任としてその子を教室のみんなと一緒に応援していました。
それから2年後にメンタルコーチングを学び、スポーツメンタルコーチとして生きていくことを決めて学校を辞めました。離任式の時、ちょうどその子が中国遠征で学校にはおらず結局最後に会えなかったんです。
だから別の日にお別れを伝えに会いに行ったのですが、ちょうどそのタイミングで代表チームのコミュニケーションで悩んでいたみたいで「先生にチームに来てほしい」と言われて。その流れでデフフットサルやデフサッカーを管轄している一般社団法人ろう者サッカー協会に紹介していただいたんです。
高橋)そうしたら、手話もできてメンタルもサポートできるということで、数回代表候補合宿に帯同させていただき、その後正式に手話通訳兼メンタルトレーナーとして契約をしていただきました。
ーー高橋さんと教え子である代表選手の信頼関係があったからこそ、その先に繋がっていったのですね!
2020東京パラリンピックなど今後の日本の障がい者スポーツへの想い
ーーこの先、デフフットサルやデフサッカーの女子日本代表チームをサポートする一人としてどのようなことを目指していきたいと思われていますか?
高橋)まずデフサッカーでいうと2022年に開催されるデフリンピックで、デフフットサルですと2023年に開催されるワールドカップで結果を出すことですね。偶然にもどちらもブラジルで開催されます。ぜひ応援をよろしくお願いします!
高橋)スポーツメンタルコーチとして個人的に目指しているところもあります。聴覚障がいの選手はパラリンピックに出場できず、代わりにデフリンピックという別の大会が開催されているのですが、僕は聞こえないアスリートがオリンピックに出場することをサポートしたいと思っているんです。
耳が聞こえない選手はスタートのピストル音が聞こえないので、100m走など一瞬のスタートの差が勝負を決める競技はかなり不利なんですけど、そんなハンデも乗り越えてオリンピックで活躍する聞こえない選手が日本から出てきたら世界中の障がい者の見方が変わると思っています。
聞こえないからできないとか、障がいがあるからできないとか、選手が枠を作ってしまっているとしたらその枠を超えた可能性を一緒に見出したいですし、聴者の偏見があるとしたらそれも無くしていきたいです。
ーー最後に、間もなく開幕する2020東京パラリンピックに対する想いもぜひ聞かせてください。
高橋)最初にお話ししたように、僕が障がい者スポーツに興味を持ったきっかけが1998年の長野パラリンピックでした。だから、間もなく開幕する2020東京パラリンピックでは障がいを超えて活躍する選手のパフォーマンスはもちろん、その表情もぜひ多くの人に見てほしいと思っています。
数ヶ月前から2024年パリパラリンピックを目指すブラインドマラソンの選手をサポートし始めましたので、その選手と僕の夢を実現するためのプロセスとしても楽しみに観戦したいと思っています。
また、まだまだ日本のスポーツ界はオリンピアンに比べてパラリンピアンの待遇は低いと感じていますし、社会を見ても障がい者採用も形式的なところがあったりします。自国開催の今回のパラリンピックにより、障がい者の方を前向きに受け入れる会社が増え、健常者と障がい者がともに幸せを感じて生きていける社会づくりが前進すればとても嬉しいですね。
そのためにも、世の中にはいろいろな障がいのある方がいるし、障がいがあっても活躍できることを今回のパラリンピックを通じてまずは知ってもらうこと。それがとても大切だと思います。
2025年にデフリンピックを日本に招致しようという動きもありますので、そのあたりにも注目してもらえると嬉しいです!
ーー「まずは知ってもらうことが大切」という言葉にとても共感しました。オリンピックでも新競技が盛り上がりましたが、パラリンピックにはオリンピックにはない競技もあります。そのあたりにも注目しながら観戦するとさらに楽しめそうですね!