「恩返しとして、パラリンピックに出場するためにやり投げを選びました」
パラやり投げの若生裕太さん(以下、若生)と話したときに出てきたこの言葉。「好きだから」という理由で競技を選ぶことも多い中、『恩返し』という理由にある種の新鮮さを感じた記憶があります。
今回は、もともとテニスでインターハイにも出場し、そこから車いすテニスを始めることになった大谷桃子さん(以下、大谷)との対談。健常者のスポーツと障がい者のスポーツ、競技の転向・現実とのギャップなどのお話から、改めてパラスポーツの魅力を紐解いていきます。
(聞き手:Sports for Social 柳井)
プロフィール
大谷 桃子(おおたに・ももこ)
かんぽ生命所属の車いすテニスプレーヤー。東京2020パラリンピックでは上地結衣選手とともに女子ダブルスで銅メダルを獲得。
若生 裕太(わこう・ゆうた)
電通デジタル所属のパラ陸上競技・やり投げ選手。大学生のときに視覚障がいとなり、2018年7月からパラ陸上競技に転向し、1年足らずで日本記録を塗り替えました。
『恩返し』のために経験の活かせるやり投げを
ーー大谷さん、若生さん、本日はよろしくお願いします!
大谷・若生)よろしくお願いします!
ーーお二人は初対面ということですが、緊張せずにお話していきましょう!
まずは今回の対談を組むきっかけにもなった、若生さんが『やり投げを選択した理由』についてお伺いできますか?
若生)私は高校まで野球で甲子園を目指してみんなと切磋琢磨しながら頑張っていました。大学は体育教師を目指すため、プレイヤーからは一歩退いてサポートという形で野球に関わっていましたが、そんな中、大学2年生のときに視覚障がいを発症しました。
最初はなかなか踏み出せなかったのですが、同じように中途で視覚障がいになられた方から、「若生くんはスポーツをやってきた強みがあるよね!」と背中を押していただいたこともあり、パラスポーツに挑戦することにしました。
やるからには、支えてくれた人に恩返しをと思い、東京パラリンピックに出ると目標を定めて競技を探した結果、野球の経験を活かせるスポーツということで『やり投げ』に取り組むことに決めたという経緯があります。
ーー「好きなスポーツ」というより、「パラリンピックに出るために」という視点で競技選択をされたのですね。大谷さんは今のお話を聞いていかがですか?
大谷)私はもともとテニスをやっていて、障がいになったあとも「やっぱりテニス好きだから」と車いすテニスを始めたので、若生さんはすごくしっかりと考えられているなと感じました。
ーーほかのパラ競技への興味はなかったのですか?
大谷)実は、ちょっとテニスから離れてみようと思った時期もありました。当時私が通っていた大学に、パラ陸上のコーチとパラアーチェリーのコーチがいらっしゃったので、そのどちらかをやろうと考えていました。ですが、なかなか体験する機会がなく、その間に車いすテニスの魅力にどっぷり浸かってしまって今に至ります。(笑)
ーー体験してみたらどうなっていたか、気になりますね!
自身の記憶とのギャップについて考える
若生)大谷さんは、健常者のころのテニスと車いすになってからのテニスで、イメージや動きのギャップはありましたか?
私の場合、もしパラリンピック種目に野球があっても選択しなかったのではないかと思っているので、テニスからそのまま車いすテニスに転向されたその想いやギャップについてお伺いしたいです。
大谷)もちろんテニスのスキルに関しては、それまでにやってきたことが活かせてすごくよかったと思っています。ですがやはり車いすテニスとなると車いす操作が関わってくるので、今までだったら足を出せたらボールに届いて、こうやって打っていたというのがすべて思い通りにいかなくなってしまう状況に2年ほど悩まされました。逆に「テニスができていなかった方が車いすテニスを楽しめたのではないかな?」とも思いましたね。
ーー『できないこと』をより意識してしまいそうですね。
大谷)もうもどかしくてもどかしくて。今までだったら、足を動かすことに関しては意識していなくても勝手に動いていたものが、『車いす操作のこと』と、『手でボールを打つこと』の2つを同時進行で考えなければならないので、なかなかそこの部分が受け入れられなかったですね。
ーーそうしたギャップが吹っ切れたタイミングはあったのですか?
大谷)大きな転機になったのは、2018年のアジアパラ競技大会です。それまで車いす操作について頭の中で考えながら試合をしていて、「今のターン逆だったな」などと試合中の思考が悪循環に陥ってしまうことが多かったのですが、2018年の大会のときは試合に集中することができました。そこからはミスを引きずったりすることもパタッとなくなりましたね。
若生)試合に入り込めたのがきっかけということなんですね。
大谷)そうですね。車いすテニスを始めて2年間、車いす操作の練習をたくさんしてきて、それが試合にちゃんと活きていると実感できた試合でした。
『新たな部分』での日々の達成感を
ーー若生さんは、パラ競技として野球があったとしてもやっていなかっただろうとおっしゃっていましたね。
若生)想像でしかない部分ですけど、健常者のころにできていた自分とのギャップが大きすぎて、競技に入り込めないのかなと思っています。
ーーそれこそ、大谷さんが車いすテニスに感じていたようなギャップに近いものですね。
若生)私の場合は、視覚障がいになってから草野球でのプレーも続けていましたが、簡単なキャッチボールすらできなくなり、「できていたことができなくなっていく」ギャップが大きかったです。パラスポーツとして野球があり、視覚障がいの人ができるとしても、踏み入れられなかったのではないかと思いますね。
ーー若生さんはやり投げをされたことはあったのですか?
若生)やり投げは体育の授業で一度やったことがある程度でした。もともと野球もやっていたこともあり、結構直感的にこれだ!と競技を決め、やりを触ってもいないのに「やり投げでパラ出る」とまわりに言い始めていました。(笑)
ですが、最初の練習で2時間ほど行い、やりが地面に刺さったのはたったの2本。競技選択を間違えたかなと思うくらいでしたが、引くに引けないですし、パラリンピックまでの期間的にもこれしかないと、覚悟を決めました。最初はこうした難しさを感じたのですが、やったことがないスポーツだったこともありちょっとしたことでも大きな達成感を得ることができ、日に日に成長していきましたね。野球を始めたばかりのときのような、キャッチボールができるようになったとか、バットにボールが当たったとか、そうした小さな達成感を積み重ねることができました。
パラスポーツだからこそ見る夢
ーー若生さんが、「パラリンピックに出て恩返しをするためにやり投げを選んだ」とおっしゃっていました。大谷さんは、車いすテニスを始めたからこそできた目標などはありますか?
大谷)佐賀県に車いすテニスのできるテニスクラブをつくるということを目標にしています。私が今住んでいる佐賀県は、車いすテニスの練習をできる場所が限られていて、指導者もほとんどいない状況です。「車いすテニスを始めたい」と思ったときに、すぐに始められるような環境を今後残していく必要があると思っています。
ーー健常者のテニスとの環境や指導者の違いはあるかもしれませんね。若生さんは競技面以外で目標にしていることはありますか?
若生)私の場合は、自分の取り組んでいることを通して、勇気や元気を与えたいと思っています。同じ病気を発症した子どもたちなどに、「あの人も頑張ってるから、自分も前向きに一歩踏み出してみよう」という思いになってくれたらいいなと思っています。
ーーご自身の競技以外のパラスポーツで、こんなのおもしろそう!という競技はありますか?
若生)ゴールボールは、やってみてすごく楽しかったです。東京パラリンピックでいろいろなスポーツが毎日放送されていて、車いすバスケなど、『競技としてすごくかっこいいな』と思えるスポーツも多かったと感じています。
大谷)実は、パラ陸上しようと思っていたとき、やり投げをしようと思っていました。(笑)
テニスに一番近い動作であったのと、私の出身である栃木に、やり投げ元女子日本記録保持者の海老原有希さんがいらした影響もあり、すごくかっこいいなと思っていました。車いすテニスが落ち着いたら、是非若生さんに教えてもらいたいです!
若生)是非お願いします!
ーー楽しみですね!大谷さん、若生さん、本日はありがとうございました!
編集より
実はあまり話すことが少ないという、パラアスリート同士の対談。お互いに聞いてみたいことが溢れ、和気あいあいとした雰囲気で進みました。
若生さんからは、「海外での食事」についての質問も飛び出し、大谷さんはからは『炊飯器』についてのアドバイスも。(笑)
そこはトップを目指すアスリート同士、練習環境や練習の組み立て方など、アスリートならではの質問や悩みの共有もあり、今後のご活躍が楽しみになりました!大谷さん、若生さん、ありがとうございました!(柳井)