2024年、ついに100回大会を迎える箱根駅伝(正式名称:東京箱根間往復大学駅伝競走)。
観客の熱狂と選手たちの足音が響き渡る、箱根駅伝の物語。100回目の節目を迎えるこの伝説の舞台では、さらなる興奮が待っていることでしょう。
そして、この物語には監督たちの存在も欠かせません。指導者としてチームの結束を築き上げるため、ときには厳しい課題を与え、困難な道を進むこともある監督。それと同時に選手たちを信じ、苦しいことも辛いことも共に乗り越えるよき理解者でもあります。
監督たちが箱根駅伝の舞台で紡ぐドラマも、私たちに感動を与えてくれるものです。そんな彼らは、指導者としてどのような『信念』を持ち、選手たちの成長を支えているのでしょうか?Sports for Socialでは、箱根駅伝に関わる指導者の“教育論”を深掘りしていきます。
第1回は、法政大学の坪田智夫監督(以下、坪田)。選手としても箱根駅伝2区区間賞をはじめ、実業団選手としてニューイヤー駅伝6度の優勝、そして個人としても世界陸上に出場するなどの輝かしい実績を持つ坪田さんは、2012年からOBである法政大学の監督として指導の現場に立ち始めました。指導者のいなかった学生時代、なかなか結果が出ない中での王者からのアドバイス、それらの経験から今でも大切にする想いとは?
指導者への想いは、学生時代の経験から
ーー坪田さんにとって、学生時代の箱根駅伝の思い出や印象に残ってることはありますか?
坪田)いいことと悪いこと、大きく2つ印象に残っていることがあります。
悪いことは、2年次にチームが予選会で敗退したことですね。私自身、強いチームでずっとやっていたわけではないですし、大学も伝統はありましたが、そこまで強いわけではなかったです。1年次に何となく箱根駅伝本戦に出場出来て、2年次も当然出れるんだろうなと思ったら、予選会で負けてしまいました。箱根駅伝が遠のいてしまったこの経験は、競技者としてすごく大きなターニングポイントでした。
もう一つは、4年次に自身が狙っていた2区の区間賞をしっかり取れたことです。3〜4年次の途中まで、1年半ほど指導者がいない期間があり、その中でも自分で考えてやってきたことが2区区間賞という形になったことで自信になりました。大学卒業後、実業団選手として10年現役を続けられ、世界陸上にも出場できたのは、箱根駅伝での経験も含め、大学時代の4年間に積み上げたものが大きな影響を及ぼしたと思っています。
ーー箱根駅伝では、酸いも甘いも経験されてきたのですね。2012年に、競技者から指導者になったのはどんなきっかけだったのでしょうか?
坪田)競技者のころから、指導者の道に進みたいと思っていました。
実業団選手として10年ほど経った頃、法政大学駅伝部前監督の成田に「法政大学に戻ってきて、手伝ってくれないか」と声をかけられました。正直、競技者としても、ニューイヤー駅伝だけであれば、まだ2、3年はある程度、走れたと思いますし、その自信もありましたが、世界陸上、オリンピックというものを考えたときに、現実的に本当にそこを狙えるのかという想いも同時にありました。
ただ、自分が引退するタイミングですぐに指導者になれることはそんなに多くないと思うんです。声をかけてもらったのも、何かの縁と考え、意外とあっさり指導者になる決断をしましたね。(笑)
箱根駅伝王者から学んだ勝つための哲学
ーー指導者が不在の時期の話もありましたが、坪田さんが指導者として影響を受けた方はいらっしゃいますか?
坪田)前任の成田ですね。成田は、私が学生の4年次の6月に就任したので、実質半年間ぐらいしか一緒にはできなかったのですが、本当にすべての判断を選手である自分に任せてくれました。当然、自分勝手にやるというわけではなく、取り組み方やメニューについて相談に乗ってもらったりしました。選手と指導者という関係性において、かなり勉強になったと思っていて、今の選手たちにもそうした自分で考える経験をさせたいなと思っています。
ーーなるほど。自主性を持ちつつ、相談しながら取り組める環境は素晴らしいですね。
坪田)ほかには、東洋大学の酒井監督からはいろいろと教えてもらいました。酒井さんとは実業団(コニカミノルタ)のときの歳の近い先輩で、昔からいろいろお世話になってました。
監督就任当初、予選会で敗退が続くなど上手くいかない時期に、当時の優勝チームである東洋大学さんの夏合宿に酒井さんのご厚意で参加させてもらいました。
ーー酒井監督からのお話で印象に残ってることはありますか?
坪田)“夏の過ごし方”ですね。箱根駅伝へ向かうには、予選会があろうがなかろうが、夏の過ごし方がすごく大事なことはわかっていました。
私が指導者として戻ってきた頃は、自分の現役時代の経験をもとに、合宿の最初から強度が高い練習をしていました。でも、私は身体が強かったので、練習をガンガンやっても大丈夫だったというだけでした。選手によっては、秋は何とか乗り切れるけど、冬の駅伝シーズンで調子が落ちたり、怪我が多くなります。
東洋大学さんの夏合宿では、さぞ厳しい練習をしているんだろうとイメージしていましたが、意外とそうではありませんでした。そのときの酒井さんからの「夏は長期のスパンでやらなきゃダメ」「秋に上がってくるように作ってる」という話は、いまの私にとっても深い学びとして残っています。
ーー國學院大學の前田監督、明治大学の山本監督など、同年代の指導者の方も大学駅伝界に多くいらっしゃると思いますが、影響を受けたりはしますか?
坪田)前田さん、山本さんとは仲がよく、いろいろ話をします。この世代で監督をしているメンバーも多いので、駒澤大学の大八木総監督からも「お前らがもうちょっとしっかりしなきゃ駄目だよ」とはっぱをかけてもらったりします。実は、大八木総監督は私たちより少し若い年齢で箱根駅伝優勝をしてるんですよね。
優勝争いに絡むこともそうですが、いろいろな意味で箱根駅伝を盛り上げないといけないと思っています。
私たち3人は、“お互いに同世代には負けたくない”と思っていますね(笑)。箱根駅伝を出場するだけの大会ではなく、“勝負する”大会としてもっと盛り上げていきたいですね。
箱根駅伝だからこそ求められる力「団結力」「思考力」
ーーこれまで、数多くの学生を指導されたと思いますが、箱根駅伝に取り組む上で、重要な要素はどんなことだとお考えでしょうか?
坪田)箱根駅伝の結果は、“4年生”だと思っています。4年生の実力というわけではなく、4年生がいかにまとまれるか。
実は、これまでも4年生になってすぐの春先にまとまる年はありません。だんだん4年生らしくなっていき、それがチームの色に変わっていきます。
おもしろいなと思うのが、メンバーの実力的に難しいなと感じる年でも、4年生がしっかり足並みを揃えて箱根駅伝に向かえる年は、『シード権』という1つの結果を勝ち取ります。
能力の高い選手が揃っている年でも、4年生の足並みが揃わないと目標には届かない。これは間違いない事実だと思っています。リーダーとなるべき4年生の振る舞いが結果に影響を及ぼすのは、箱根駅伝だけでなく大学スポーツ特有のおもしろさなのかなと思います。
ーー陸上競技は個人競技ではあるものの、リーダーシップが重要になってくるという部分、非常に興味深いです。力のあるなしに関わらず、最上級生の団結力によって、組織の良しあしが決まる。おっしゃる通り、これが学生スポーツの醍醐味ですね。
ーー坪田さんが学生に指導されるうえで、“箱根駅伝”という観点で一番に大切にされていることはなんでしょうか?
坪田)選手たちによく言うのは、「箱根駅伝は陸上競技とはちょっと違った競技だよ」ということです。毎年5月に行われる関東インカレという大会での10,000メートルで入賞するのは、はっきり言って能力が高くないとできないことです。こちらはいわゆる“陸上競技”です。
他の強豪大学だと違うかもしれませんが、法政大学駅伝部に入部する学生には「うちの部員であれば、みんなにチャンスがあるよ。」と伝えています。過去には一般入部の学生でも箱根駅伝を走っています。いかに4年間考えて、努力するか。「物事をしっかり考えて、努力していけば、絶対に箱根駅伝を走ることができる」と言う話はよくしていますし、そうしたメンバーで箱根駅伝に臨んでいます。
ーー最後に第100回大会に向けて、意気込みを教えてください!
坪田)ここ2年、総合5位を目指してやってきて、よい結果が残せていませんでした。ですが、今年の99回大会では終盤9区で3位の背中が見える場面もあるなど、一つの自信を得ることができました。それでも7位。この自信と課題を胸に、改めて5位という目標にしっかりとチャレンジし、第100回の節目の大会で結果を残せたらと思っています。
ーー本日は、ありがとうございました!