箱根駅伝には、選手だけでなく、支える人々にも物語があるーーー。
箱根の玄関口『小田原』。箱根駅伝において、『小田原中継所』ではさまざまな激闘が繰り広げられてきた場所です。
そんな小田原市のスポーツ課に勤める酒井優佑さん(以下、酒井)。酒井さんは地元小田原出身で幼少期から陸上競技に取り組み、大学時代は順天堂大学陸上競技部に所属し箱根駅伝を目指していました。卒業後、スポーツ行政や小田原市陸上競技協会の役員として、支える側として箱根駅伝に携わってきた酒井さんから、この大会はどのように見えているのでしょうか?これまでと、これからの箱根駅伝に対する想いをお聞きしました。
日常にある箱根駅伝
ーー酒井さんは、学生時代に陸上競技の選手としても活躍したとお伺いしています。
酒井)小さいころから陸上競技に取り組み、1500mで中学校のときは県大会で優勝し、高校生3年生のときには南関東大会3位でインターハイに出場し、決勝にも進出することができました。その後、スポーツを学ぶために一般受験で順天堂大学に入学し、陸上競技部にも所属しました。
ーー箱根駅伝との関係性はいかがだったのでしょうか?
酒井)大学時代、チームとしては大学2年・3年時に箱根駅伝の予選落ちを経験しました。順天堂大学の箱根駅伝の連続出場記録を52回で途絶えさせてしまいましたし、自分自身も高校時代の記録も更新できず、非常に苦しかったですね。4年生のときは予選会をギリギリで通過しました。私は、最後の箱根駅伝も諦めきれず、監督に「6区の候補選手として、最後のチャンスをください」とお願いしました。結局、タイムが出せずに選手に選ばれることができず、その後はプレイングマネージャーとして、レギュラーメンバーになれていない下のチームの後輩たちをまとめていました。その経験で培ったチームビルディングは、社会人になった現在でも活きています。
また、監督も私の想いを汲んでくれて、本来下級生が務めるべき箱根駅伝当日の2区の付き添いもやらせてくれました。私が大学4年間で学んだことは、“楽しむことの大切さ”です。チームが箱根駅伝に出場できないときは、みんな自己ベストを更新できなかった。でも、箱根駅伝の出場が決まると、みんなが自己ベストを更新したんです。この年度、予選会はギリギリの通過なのに、本戦はシード校を上回って7位でした。この経験が僕の心にはすごい刻まれています。
あと、私の卒業した年に、教育実習時の生徒で高校の後輩の松枝(現:富士通陸上部)が順天堂大学に入学し、箱根駅伝も走り、東京五輪にも出場したのは嬉しかったですね。
ーーそれほど酒井さんにとって、箱根駅伝とは想いの強い大会だったのですね。
小田原の人の文化となっている箱根駅伝観戦
ーー小田原市出身である酒井さんは、幼いころから箱根駅伝は見られてましたか?
酒井)物心ついたときから1月2日・3日は、家族と一緒に沿道で旗を振っていました。私も含め、小田原に住んでいる方は沿道に出て応援される方が多いように思います。
陸上競技に興味がない人でもその日は、「箱根駅伝だから応援に行こう」ということが文化として染みついているように感じます。
ーー箱根駅伝を開催するうえで、小田原市や市民の方々が協力することはあるのですか?
酒井)一番影響があるのは交通規制です。お正月に国道1号線を止めることは、小田原の人たちにとって、その2日間交通の便は悪くなります。しかし、そんな国道1号線を正月に交通止めにする大会が100回も開催できるのは、地域の皆さんが“小田原のイベント”として認識していると感じますし、大きく協力している部分だと思っています。
ーー箱根駅伝当日の小田原市内の雰囲気はどのようなものなのでしょうか?
酒井)当たり前ですが、小田原駅周辺は人がごった返しています。日本のお正月は家で過ごすことも多いと思いますが、小田原に関しては、箱根駅伝が開催されていることもあって、外に出る方がすごく多いと感じています。本当に寒いのに皆さん、観戦しに行っていますね(笑)。
ーー酒井さんが幼い頃から箱根駅伝を見てきて、何か変化を感じる部分はありますか?
酒井)昨年まで新型コロナウイルスの影響で応援自粛でしたが、そのときを除けば、年々観客の方が増えて、盛り上がっている。また、スポーツを日頃やっていない人も興味をもっていただいているということを感じています。
箱根≒小田原 ~駅伝が与える経済効果~
ーー酒井さんが小田原市役所に入庁した経緯をお聞かせください。
酒井)箱根駅伝が開催されている場所であり、土地柄的に地域単位での駅伝も頻繁に行われています。そういったことがすごく楽しくて、地域の繋がりを深められるような仕事ができたらなと思って市役所を志望しました。ちょうど東日本大震災で地域のつながりが重要視されていたことも大きく影響したと思います。
入庁して、いまスポーツ課にいて思うことは、スポーツというのは「する」だけでなく、“スポーツの力を活かす・引き出す”ということがキーポイントであると感じています。私は、箱根駅伝に関わってきたからこそ、スポーツの経済効果や人に与える影響等を感じてきました。今はスポーツ行政に携わっていますが、そのような経験をしてきた私だからこそ、スポーツをスポーツの枠に留まらず、経済面や福祉、教育、街づくりなど、広い視野でスポーツ振興に取り組んでいきたいなと感じています。
ーー小田原市の立場から見て、箱根駅伝が開催されることによる経済効果や地域交流に関して、教えてください。
酒井)県外で小田原出身ですという話をすると、箱根駅伝の中継所だよねとよく言われます。(笑)
そもそも小田原っていう文字が全国視聴率の高いテレビで何度も呼ばれることだけで、この地域が認知される効果が多大にあるのかなと思っています。箱根駅伝によって、小田原と箱根が近いと認知されている方も多くいらっしゃいます。そのお陰で、「箱根に旅行するなら小田原にも行ってみようか」と考えてくれる人もいると思いますし、経済的な波及効果はあるのではないでしょうか。
本当箱根駅伝って5区の山登りが醍醐味だと思うので、その中継所が小田原にある。みんなちょうどお昼でちょうどテレビをつける、そのタイミングで小田原中継所っていう名前が出るっていうのは本当にありがたいなと、市役所職員としても思います。
小田原という地で箱根駅伝が開催される意味
ーー箱根駅伝が次回100回を迎えますが、小田原市役所にお勤めの酒井さんとして箱根駅伝がこういったものになってほしいなと考えている部分があれば教えてください。
酒井)個人的には、小田原という名が多く出る大会ですので、併せて特産品など、何か小田原がPRできたら嬉しいなとは思います。箱根駅伝は、すでに完成されているコンテンツなので、行政としてどう関与していくか難しい点もありますが、そこを一歩踏み出すことで新たなものが生まれるのかなと感じています。
私たちはスポーツ振興という立場で、やってもらいたいという形ではなく、この地で箱根駅伝が開催されるからこそ、それを活かすためにアクションしなければならないのだと思っています。
ーー小田原市内で箱根駅伝ベストな観戦スポットを教えてください!
酒井)酒匂橋(往路4区、復路7区)が個人的にベストな観戦スポットだと思っています。あとは、6区の最終盤である小田原中継所(往路4区→5区、復路6区→7区)。特に6区の選手が箱根を下りきってから中継所まで続く、約3kmの緩い下り基調のコースが、めちゃくちゃきつくて、ずっと下ってきたから緩い下りでものぼり坂のように感じるんですよ。
そこの選手の頑張りと、最後の監督車からの檄。箱根湯本駅からの監督車の監督の檄を聞くのが見どころじゃないかなと思います。そこがやはり駅伝の醍醐味かなと思います。
ーー最後に、第100回大会に向けてのメッセージをお願いします!
酒井)大会を開催すること自体が本当に大変で、注目度が上がっています。勝ち負けはあるんですが、それが真の目的ではないと私は考えていて、それよりも「仲間と頑張って正月を走り切る」という単純なことが一番大事なのではないでしょうか。
私も大学時代にいろいろな経験をしてきたからこそ、そういう思いを強く感じます。その当時の仲間とは10年以上経った今でも交流がありますし、順天堂大学の監督とも交流が続いています。箱根駅伝を通して、学ぶこと得られることっていっぱいあると感じています。選手を含め、箱根駅伝に関わるすべての人が良い思い出になってほしいと思っています。
ーーありがとうございました。