住宅設備向けOEM家具製造と商業施設向け特注家具製造を行うFPKナカタケ株式会社では、2020年に避難所用のパーテーションを開発しました。その後、日常では子どもたちが遊べる迷路としてなど、さまざまな用途で“普段づかい”もできる『どこでもく〜も』として販売を行っています。
本社を置く静岡県は、南海トラフ地震が起きた際には大きな被害が出ると予測されます。静岡の企業だからこそ、静岡の方々に防災意識を少しでも高めてもらいたいという強い想いを持っているFPKナカタケ株式会社。代表取締役社長中根正雄さん(以下、中根)と、牛丸あやめさん(以下、牛丸)に『どこでもく〜も』が誕生した経緯、実際に被災地を訪れて感じたことなどについてお話を伺いました。
『どこでもく~も』誕生の背景とは
ーー『どこでもく〜も』の開発に至った背景についてまずは教えてください。
中根)私個人として以前から、家具メーカーとして家具を製造するときの素材を使って、社会課題の解決に役立つ製品は作れないものか、ということを考えていました。
そんな中、親会社の大阪支店に阪神・淡路大震災でボランティア活動の経験がある社員がおり、当時の避難所の劣悪な環境についての話を聞く機会がありました。その話から感じたのは、「避難所生活を少しでも快適に過ごせるための製品があってもいいはずだ」ということです。そこで、板を組み合わせて簡易的に組み立てができ、保管する倉庫では板を積み重ねるだけで場所を取らない“避難所用パーテーション”の開発を行いました。
ーー最初は、避難所での生活を少しでも良くするために開発されたのですね。日常用にも使用できるようにしていったのにはどのような経緯があったのでしょうか?
中根)実際に商品を自治体などに売り込みに行くと、商品にある程度の重量があり、外にある防災倉庫から体育館まで運ぶだけで一苦労だということに気が付きました。これだと、いざ災害が起きたときには迅速な対応ができない可能性があり、商品が体育館に常設されていないとあまり意味がないと思いました。しかし、体育館には“災害時のみ”に使用するパーテーションに対して使える置き場所はありません。「常設してもらうにはどうすれば良いだろう」と考え、迷路など日常的に利用してもらえる商品にしようということを思いつきました。
ーー「運ぶのに苦労する」という欠点をカバーするナイスアイデアだったのですね!
被災地を訪れて「生の声」から感じるもの
ーーなぜ今回、東北の被災地を訪問することになったのでしょうか。
牛丸)防災商品としてアピールをしていく中で、『どこでもく〜も』の魅力を静岡の企業や自治体、学校に伝えていくには、私たち自身のデータや情報が足りないとは思っていました。社内には被災し、避難所生活を経験したメンバーはおらず、どうしても机上の空論になってしまうのが現状でした。そこで、実際に被災地に訪れ、被災を経験された方々の生の声を聞くことで本当の意味での防災とは何なのかということについて改めて考え、『どこでもく〜も』をもっと多くの人に必要とされる商品へと進化させるため、仙台市、釜石市を訪問しました。
ーー実際に仙台市、釜石市を訪れてみて感じたことについて教えてください。
中根)私自身の想像を超えるものだったというのが本音です。自然災害の恐ろしさに絶句しましたし、胸が痛くなりました。その中で、避難訓練の真剣さ、意識の違いを強く感じました。
牛丸)お話を伺った地域の小中学校では、避難訓練をする際に、ある生徒にトイレにこもってもらい、点呼の際にはその生徒が避難場所に来ていない、というような、一部の先生と生徒しか知らないイレギュラーな状況をあえて発生させるそうです。実際に訓練をしてみて成果が出たのか、といった記録もきちんととっていて、訓練に対する真剣さに関しては静岡と大きな違いがあることを感じました。
ーー私もそのような避難訓練はしたことがないです。訓練が訓練のままで終わっていないのが素晴らしいですね。
中根)偶然にも、東日本大震災が起きる2年前からそのような訓練を始めていたそうで、震災の際も、速やかに行動できたとのことでした。
牛丸)私たちも長い間、静岡で防災訓練に取り組んでいますが、ずっと取り組んでいるから良いというわけではないんだなということを改めて感じました。
ーー訓練に取り組む意識や、そのやり方について考えさせられます。
牛丸)逆にショッキングな話もお伺いしました。当時、避難所ではないのですが、防災センターと名付けられていた建物があったそうで、そこを避難所だと勘違いした方々が避難してしまい、逃げ場がなくなってしまったことが実際に起きたそうです。災害が起きた際に避難するのは分かっていても、どこに避難すればいいのかを分かっている人は少ないと思います。「防災訓練に真剣に取り組んでいたがゆえにちゃんと避難ができた」という話と、「知識がなかったために亡くなられた方がいる」という両面のお話を伺い、防災意識を高く持つことの大事さを強く感じました。
ーー災害後の避難所での生活についてはいかがだったのでしょうか?
牛丸)避難所生活を想定した訓練などは、まったくしていなかったそうです。実際に避難所では設備が整っているわけではなく、供給される物資も食べ物が優先されるのでパーテーションはなかったとのことでした。また、供給される毛布なども、寒さをこらえるために床に敷くマットとして利用するなど、本来の用途で使えなかったものもあったそうです。
中根)どうしても避難所での生活ではトラブルも発生するそうで、常にピリピリした雰囲気だったと伺いました。その中で、子どもたちが自由に遊ぶ空間はなく、少し騒ぐとすぐに叱られてしまうような状況だったらしく、「パーテーションがあればプライベートな空間が確保できて、そのような状況も少しは改善できたはずだ」とのコメントもいただきました。
ーーこれまでの想定とはまた違った形でも役に立つのではないでしょうか。
中根)『どこでもく〜も』は元々、普段は子どもたちが遊ぶ迷路として、災害時はパーテーションとして使用することを想定して作っていましたが、災害時にも空いている教室などを利用して迷路を用意することで子どもたちが遊べる空間を用意することも可能です。『どこでもく〜も』があるだけで、災害時にもたくさんの使い道があるのではないかと思っています。
訪れて感じた「実感」をこれからの静岡にどう還元していくか
ーー被災地訪問での経験を、今後どのように活かしていきたいですか。
中根)今は“迷路として遊べる”ということをアピールしていますが、もっとたくさんの価値があると感じたので、その他の使い方をきちんと理解し、静岡をはじめとした多くの皆さまにもわかっていただけるようにしたいと思います。
牛丸)たくさんの資料を目にして、お話を伺って、訪れてみないと感じ取れないものがあるということを実感しました。今回の訪問は、私たちの商品や防災に対して説得力を持たせることが一つの目的でしたが、感じたものをストレートに伝えてしまってもどうなんだろうと感じています。お話の中には私自身あまりにショッキングだったものもありましたが、私たちの口からその事実を伝えるよりも、もっと別の切り口で伝えていくべきだと感じました。こうした話も理解した上で、「どうせやるならみんなで楽しく防災に取り組もうよ!」と伝えていく方が想いが広がりやすいのではないかなと思っています。
ーー静岡という地域の特性を理解したうえで伝えていくことが大切ですね。
中根)学校に『どこでもく〜も』を寄付しただけで少し満足していた自分がこれまではいましたが、自分たちが“橋渡し役”となり、設置後も企業や自治体の方々などを巻き込んで一緒に防災訓練を行うなど、もう一歩踏み込んでいくことが必要だと思っています。
今でも、静岡のスポーツチームに協力してもらい、試合会場に『どこでもく〜も』を設置したりする取り組みをしています。やはりイベントなど、多くの人の目が集まる場で存在を知ってもらうだけでも防災について意識するきっかけになるかもしれないので、引き続きそのような取り組みも行っていきます。
ーーありがとうございました!
※本件は中小企業地域資源活用等促進事業の助成金を活用して実施しています。