車いすテニスにおいて、国枝慎吾選手や上地結衣選手などを擁する日本は世界でもトップレベルと言われています。そんな日本の車いすテニス界、クァードクラス(上肢にも障がいがあるクラス)で日本を引っ張るのが、菅野浩二(すげの・こうじ)選手。40歳で出場した2021年の東京パラリンピックでは、ダブルスで銅メダルを獲得しました。
日本の車いすテニスがここまでレベルが上がってきた背景には、日本で行われる世界レベルの大会が存在し続けていたことも見逃せません。DUNLOP KOBE OPEN(兵庫県車いすテニス協会主催)は、2000年代から国際大会として長年続いている大会です。
今回は菅野選手に、今年も優勝したDUNLOP KOBE OPENについて、そして車いすテニスの魅力やプレー環境についてお話いただきました。
DUNLOP KOBE OPEN 2022を振り返って
ーーまずはクァードクラス・単複での優勝おめでとうございます。今回のDUNLOP KOBE OPENを振り返っていかがですか?
菅野)新型コロナウイルスの影響もあり、国内で開催される国際大会(注:今年は新型コロナウイルス感染症の影響あり、国内選手のみの大会に変更)に出場することも東京パラリンピック以来でした。日本でプレーをするのは久々でしたので、開催してもらい本当によかったなと思っています。
ーーやはり日本国内で開催される国際大会というのは、菅野さんにとっても特別なのですか?
菅野)そうですね。国内で開催される大会は大変貴重です。トップにあがるにつれて世界ツアーを回る環境にもなるので、日本国内でこうして世界のトップレベルの経験をできることはすごく嬉しいです。
ーーこれまでもDUNLOP KOBE OPENに多く出場されてきたと思いますが、思い出に残るシーンはありますか?
菅野)2012年に DUNLOP KOBE OPENのイベントで元プロテニスプレーヤーの森上亜希子さんをゲストで迎え、私と森上さんとダブルスを組んでエキシビションを行ったのはとても印象に残っています。
ビーンズドームのセンターコートでニューミックス(車いす選手と健常者がパートナーを組みダブルス戦を行うもの)でプレーができたことはすごく楽しかったです。
ーーそうした有名選手とのコラボで車いすテニスの認知度も高まるのはすごくいいですね!
『続けやすいスポーツ』だった車いすテニス
ーー日本国内で車いすテニスをプレーする環境、観戦できる環境は多くないように思います。国内における車いすテニスの普及という面において課題をどう感じていますか?
菅野)日本では、国枝慎吾選手や上地結衣選手をはじめ、世界のトッププレーヤーがいるのにも関わらず、競技の盛り上がりが少ないことに課題を感じます。
他の国ではトップ選手が実際に解説をしたり、イベントに参加したりと盛り上がっています。日本ではあまり起用されませんが、他国ではエンターテイメント番組などにおいても選手が活躍しています。
車いすだからということは関係なく、才能ある人が注目される世界が広がっていってほしいと思います。「〇〇選手がいるから、車いすテニスを観に行こう!」と思っていただけるくらい盛り上げていきたいですね。
ーー菅野さんはどのようなきっかけで車いすテニスを始めたのですか?
菅野)車いすテニスという競技との出会いは、事故で車いす生活になってからのリハビリテーション中でした。リハビリの一環でさまざまな種目のスポーツをする中で車いすテニスを選びました。
ーー多くの種目に取り組んだ中で、車いすテニスを選んだ理由は何ですか?
菅野)一番の理由は、「続けやすい環境があった」ということです。
健常者のときはバスケットボールをプレーしていたのですが、タイミングによっては人数が集まらないこともあるなど、チームスポーツならではの課題がありました。
テニスは、自分がやりたいと思った時にパッとできるスポーツであり、その点が私にとって魅力的でした。ネットを挟めば健常者の方ともプレーできますし、友達を誘って一緒に楽しむこともできます。そうしたさまざまな魅力も含め「今後も長く続けていきたい」と思い、車いすテニスに取り組むことを決めました。
ーーそこから世界でプレーすることを目指していくわけですが、そう思うまでにどのような変化があったのですか?
菅野)DUNLOP KOBE OPENも含めて、日本で開催される国際大会にはエントリーすると参加する機会を得ることができます。身近に世界レベルに触れる機会や国際交流ができる場所があり、参加する中で「もっと世界で戦いたい」と思うようになりました。
ーーなるほど。こうした大会が世界を目指していくきっかけになったのですね。
菅野)車いすのタイヤが焦げる匂いなど、生で観るとすごくいろいろな体験をしていただけると思うので、多くの方に是非観に来ていただきたいですね!
飛び込んでしまえば健常者とも一緒に楽しめる!
ーー菅野さんはどのようにご自分の技術を磨かれたのですか?
菅野)そもそも、車いすテニスを教えられるコーチが少ないので、選手同士で教えあったりして技術を磨いていました。その中でもベテランの選手の存在はありがたく、ライバルでもありながら「みんなでレベルを上げていこう」と技術も隠さず教えてくれました。先輩たちと一緒に練習する中でどんどん技術を磨くことができました。
ーー菅野さんは、健常者とも一緒にプレーする機会があるとのことでした。そうしたことはテニスでは当たり前のことなのですか?
菅野)そうですね。多く見られる光景だと思いますし、ルールの違いが少ないので交流しやすいスポーツなのかなと思います。私自身、以前テニスショップの方から近所の高校の卒業生のサークルにお誘いいただき、そこから皆さんとも仲良くさせていただいています。恐れずに飛び込んでいくことができれば、健常者のグループに混ざっても普通にできますし、テニス仲間を増やしていくことができるのではないかなと思います。「上手くなりたい」という選手は、健常者のテニスクラブにも飛び込んで開拓していく人もいますね。
ーーそうなんですね。車いすテニスに触れ合ったり、始めたりするハードルはすごく低いのだなと感じました。
2バウンドだからこその戦術の深み
ーー車いすテニスという競技の魅力について教えていただきたいです。
菅野)一般のテニスと大きく違うのは、車いすテニスは2バウンドまで可能だということです。そうしたルールの違いにより、わざと2バウンドさせてボールを返したりするなど、戦術面でも違いがでてきます。早いタイミングで返すとテンポが上がるので、そうした形で時間を操ること、それを実現させるためのチェアワークなど、通常のテニスとはほぼ同じでありながら、競技としての独自のおもしろさがありますね。
ーー菅野選手が思う、スポーツの力とは何だと思いますか?
菅野)私は、スポーツや車いすテニスが“楽しい”からプレーヤーとして戦っています。そんな楽しいスポーツのプロ選手として活動する中で、少しでも広めていきたいですし、多くの方に観にきてほしいと思いますね。
私は後天的に障がい者になり、気持ち的にネガティブに考えてしまう人生になっていたかもしれませんが、車いすテニスとの出会いでプラスの気持ちに変えて生きていくことができています。ほかのパラスポーツの選手でもそうした方は多いのではないでしょうか。私としては、何もなく健常者として過ごすよりも、車いすになって活動してきたから明るい将来になったと思っています。健常のままだったとしたら、スポーツを仕事にすることは選択肢になかったと思うので。
障がいを負って車いすになったからこそ見えた世界があり、スポーツに力をもらって本当に感謝しています。私が車いすテニス選手として活動することで、さまざまな人から「感動しました」「頑張ってください」と言っていただけると、皆さまに対して恩を返すことができているのかなと思います。
ーーありがとうございました!これからも応援しています!