パラ陸上やり投げ(F12/視覚障害)日本記録保持者の若生裕太(わこうゆうた)選手。
大学生の頃に視覚障がいを発症し、野球からパラスポーツに転向しました。
現在は東京2020パラリンピックを目指すと同時に、SNSや講演会を通じた発信活動も積極的に行っています。日常生活にも不安が生じる中、なぜ前を向くことができたのか。そこには、家族への想い、そしてスポーツの力を通じて伝えたいメッセージがありました。
見えなくなることへの葛藤
高校時代には野球部部長として甲子園出場を目指し、幼い頃から全力で野球に向き合っていた若生選手。大学2年生の終わり頃、レーベル遺伝性視神経症という視覚障がいを発症し、野球からパラ陸上やり投げに転向しました。
ーー野球からパラスポーツのやり投げへ転向を決断したことへの想いや理由を教えてください。
若生)5歳から空手を、小学校1年生からはずっとプロ野球選手を目指して野球をやっていました。大学でも野球を続けながら体育教師を目指していたのですが、二十歳の頃にレーベル遺伝性視神経症という病気を発症しました。周りから「パラスポーツをやってみたらいいんじゃないか」と言われていたのですが、高校野球で燃え尽きてしまったところがあり、なかなか覚悟が持てず、すぐには決断ができずにいました。
視覚障がい者が参加するイベントで、中途失明をされた方とお話しする機会があり、その方が40代でパラスポーツを始めて、パラリンピックを目指したと話してくださいました。その方から、「若生くんはずっとスポーツに関わってきたからパラスポーツを通して多くの人に恩返しできる、やってみる価値はあるんじゃないか」と言っていただいてから、自分が視覚障がいになってから前を向けるように支えてくださる方々に、何か形で示せるのはスポーツなのかなと思い、パラスポーツに興味を持ち始めました。
ゴールボールやブラインドサッカーなど、いろいろなパラスポーツを体験したのですが、パラスポーツを始めるのであればパラリンピックに出て恩返しをしたいという想いがあったので、今までの競技経験が生かせるパラ陸上のやり投げに専念することを決断しました。
ーー五感による知覚の大部分を占める視覚が弱くなっていく中で、生きていくことへの恐怖や不安も大きかったと思います。パラスポーツを始めるに至るまでの葛藤や気持ちについて伺ってもいいですか?
若生)右目から見えづらくなり、3ヶ月くらい時間差があって左目が見えなくなったのですが、最初はちょっと疲れてるのかなと軽く捉えてたのがだんだん大事になり、恐怖を感じるようになりました。
スポーツに対しての葛藤というよりは、大学2年の後期というちょうど大学生活の折り返しの頃に視覚障がいになっていったので、今までの生活ができるのか、大学を続けられるのか、周りの人達との関わり方はどうなっていくのかという日常面に大きな葛藤がありました。
写真提供:株式会社つなひろワールド
「母を悲しませるわけにはいかない」
ーー日常生活での葛藤がある中でパラスポーツを始めるのは大きな決断だったと思います。先ほど仰っていたように人からもらった言葉が決断の大きな後押しになったのでしょうか?
若生)一番最初に、前を向いて絶対に障がいを乗り越えて何か形で示そうと思ったきっかけは、やはり母の存在です。この病気は母系遺伝で、母の遺伝が息子に影響します。
レーベル病ということを母に伝えた時、母がすごい涙を流して責任を感じていて「なんでいつも私ばっかり迷惑をかけるんだろう」と言われてしまったんです。
ですが、私自身、幼い頃から好きなことをやらせてもらいました。
空手では全国に行かせてもらいましたし、野球も一つ上の代は甲子園に行って、自分が次の代でキャプテンもやらせてもらって。大学も私立に行かせてもらい、体育教師を目指すことも背中を押してくれた中で、迷惑という言葉がとても引っかかっていました。むしろやりたいことをひたすらやらせてもらっていた人生だったので、母を悲しませるわけにいかないと、前を向こうと思いましたね。
ーー素敵な親子の関係ですね。結果を出して恩返ししたいという想いの背景には、やはりご家族の存在が一番大きいですか?
若生)私がきょうだいの一番上で、弟も1人いるのですが、弟も今後レーベル病になってしまう可能性があります。自分が障がいを負って後ろ向きになっていたら弟も不安にさせてしまうので、前を向けたのは良かったなと思います。
写真提供:株式会社つなひろワールド
スポーツの力とは
ーー転向を決断した理由として「スポーツで恩返しをしたい」ということを仰っていました。野球をされていた中でスポーツの力を感じる瞬間があったからこその決断なのかなと思ったのですが、若生選手はどのようなところにスポーツの力を感じるのでしょうか?
若生)競技力もちろんですが、本当に人として成長できました。
失敗や成功、いろいろな方と関わる中で本当に多くの経験をさせてもらって成長できたというのがスポーツを通じて得られたことです。
自分達がスポーツを通して勇気や元気を少しでも与えられたらいいな、という思いで活動しています。伝わっているかどうかは分からないですが、そういった力がスポーツにあるのではないかなと思います。
ーーありがとうございます。
若生選手のSNSなどを拝見すると、発信や講演会といった「伝える」ことに力を入れていらっしゃると感じるのですが、その背景を伺ってもよろしいですか?
若生)パラ陸上を始めて、最初にSNSで発信するようになったきっかけは、自分の退路を断つという意図でした。パラ陸上やり投げに専念したのが2018年6月頃なので、2020年東京パラリンピックの代表に選ばれるまでに1年半もないという感覚を持ちながら、自分が発信していくことによって逃げ道を作らないという思いで始めました。
次第に、周りの人や、今まで応援や支えてくれた人が、SNSを通して「若生がパラスポーツを始めた」と知ってくれるようになりました。
そこから徐々に結果がついてくる中で、視覚障がい者として発信できることはなんだろうと考えるようになってきました。発信することによって自分にとっても良い影響がありますし、なにより1人でもいいので誰かに届いたらうれしいという思いで発信するようになりました。
ーーSNSや講演会などで実際に触れ合ったり、ディスカッションをしたりする交流の場面を設けていると思います。その交流を通じてどのようなことを感じますか?
若生)講演会を通して、たくさんの方から「ありがとうございました」「元気をもらいました」という言葉をかけてもらうことがありますが、自分の方こそ元気をもらえると感じています。
見えていないので雰囲気でしか感じられませんが、生徒さんからしたらこんな自分でもちょっとかっこよく映っているような感じが伝わってきて、自分ももっとしっかりしなきゃと思ったり、ジャベリックスローの体験をする中で生徒さんから元気を貰えると感じるので、交流を深めることで自分にとって得られるものは大きいなと思います。
https://twitter.com/Y0525W5l5o8v9e/status/1366659864118718469?s=20
ーースポーツを通じて、前向きな気持ちが広がっていくことがスポーツの力なのかなと感じました。
体育教師の資格取得のために勉強されていて、講演会でも実際に小学生に講演されているのを拝見したのですが、若い世代に伝えていきたいという想いは強いのでしょうか?
若生)そうですね。
障がいのこともそうなんですが、私自身が幼い頃から挫折や失敗を通していろいろなことを学んだり、それをひとつずつ乗り越えるきっかけがありました。自分より若い子たちにも「失敗というのは悪じゃないよ」ということや、いろいろなことを伝えられたらいいなと思い、積極的に伝えていきたいと考えています。
ーー話は変わりますが、野球からパラ陸上やり投げに転向した背景がある中で、若生選手の競技に対する想いを教えてください。
若生)野球もパラ陸上やり投げもそうですが、最初に始めた時は本当に何もできないところから一つひとつできるようになって、新鮮な気持ちや達成感を得られました。やり投で言うと、槍がまっすぐ飛んでくれた、槍が刺さったという経験は、幼い頃に野球を初めてやってキャッチボールでボールがやっと取れたというところに似ていて、経験してみて分かることや得られることを感じています。
本当にパラスポーツに出会えて良かったですし、こうしていろいろな方に注目していただき、そして応援していただいているからこそ今の自分がいるので、パラスポーツが人生を豊かにしてくれたと感じてます。
スポーツに向き合うアスリートの皆さんに言えることですが、一人一人にストーリーがあると思います。他の選手も、事故や障がいなどいろいろな過去の出来事を乗り越えてパラスポーツに出会っているので、パラスポーツ自体が一人一人の物語というところに注目していただきたいなと思います。
ーーたしかに、スポーツをしていること自体がその人の人生のストーリーでもありますね。
写真提供:株式会社つなひろワールド
今後への”想い”
ーー競技や発信においてこれから活動されていきたいことや、東京パラリンピックそして次のパリパラリンピックに向けての想いを伺いたいです。
若生)やはり発信力という点で、何を言ったのかより誰が言ったのかというところの方が影響という部分では大事になってくると思うので、それが全てではないですが、競技者としてまず結果を出すこと。東京パラリンピック出場を絶対に掴み取る。そして、2024年のパリパラリンピックでは金メダルを狙える選手になりたい、ということが一番大きな目標です。
自分が結果を出すことで少しでも影響力を広げていけたら、より発信にも繋がっていくのかなと思うので、選手として競技の実力を上げ、同時にSNSや講演会など発信にも力入れていきたいなと思います。
ーありがとうざいました。若生選手の活動を応援しています!
編集部より
競技活動や発信・交流活動に日々精力的に取り組まれている若生選手。活動を通じて、前向きに想いやメッセージを発信している姿には、私も背中を押されました。
東京パラリンピックへの出場、そして活躍を心から願っています!