弓道界が抱える問題の一つに、道具をめぐる環境問題があることを知っていますか?そしてその問題には、弓道の『伝統』が大きく関わっています。そもそも弓道とはどんなスポーツで何を大切にしているのか、『伝統』を知ることで問題の見方がどう変化するのでしょうか?
今回は、国際武道大学の弓道部部長であり、全日本弓道連盟で人口拡充部会委員を務めている五賀友継さん(以下、五賀)にお話を伺いました。実家の近くに江戸時代から続く弓道場があったことがきっかけで、高校生の時に弓道を始めた五賀さん。2009年に筑波大学を卒業後、エンジニアとして石油会社に6年間勤務。その後、弓道という日本文化の魅力や疑問と向き合うために、2015年に会社を辞めて筑波大学大学院で研究を始める。そんな五賀さんが考える、弓道具×環境保護の未来とは——。
弓道ってどんなスポーツ?
ーー弓道の道具にはどのような種類があるのですか?
五賀)まず弓道具の種類についてですが、 パワーポイントを作ってきました。
基本的に、弓道は江戸時代までに形創られた道具を継続して使用しています。もともと伝統的な弓道具は全て天然素材でできており、例えば「弓」は竹と木を張り合わせたもの、「弦」は麻で作られたもの、「矢」は竹のシャフト(竹箆(たけの))に鳥の羽根を三枚、前後に矢じりと筈(はず)(牛の角などを加工したもの)を付けて作っています。もう一つ、「弽(ゆがけ)」と呼ばれる右手にはめるグローブがあるのですが、これは鹿革でできています。
――同様に矢を放つアーチェリーとの違いは何ですか?
五賀)まず、アーチェリーの方が圧倒的に的中率がよいです。1960年代頃までは、弓道とアーチェリーで試合をして、弓道が勝つこともありました。その後、アーチェリーの道具の発達が進むにつれて、弓道は的中では勝てなくなりました。アーチェリーが的中という結果を重視しているのに対し、弓道は的に当てるまでの過程を重視しています。その過程の中に、伝統的な道具の使い方やメンテナンスがも含まれているのです。比較されやすいアーチェリーと弓道ですが、道具の面から言えば、その辺りで大きな違いがあると思います。
ーー道具のメンテナンスという点では、やはり伝統的な自然素材の方が大変ですか?
五賀) そうですね。温度や湿度によって変形するので、形を修正する必要があります。例えば、「弓」は竹と木で作られていますが、夏と冬では引いた時の感覚や引く強さが全然違うので、同じように引いていたら的に当たらないのです。
ーー難しいですね。同じ人が同じ道具を使っても、変わってしまうのですね。
弓道の『伝統』とは?
ーー弓道の『伝統』というのはどういったものですか?
五賀)弓道に限らず日本の武道というのは、それを学ぶことによって、古来日本人がどのような考え方で、どのようにして日本人としてのアイデンティティーを形成してきたかを知るきっかけになるものだと思っています。また、世界の人と渡り合う上で、自文化のことを語れなければ相手のことを理解できませんので、武道は自文化を知る上での、一つのきっかけになるものだと考えています。当然、武道だけでは日本文化の全てを語ることはできません。しかし、日本文化が重層的且つ複合的に形成されていることを考えれば、日本の伝統文化である武道について研究する意味があると考えています。
ーー弓道での伝統文化というと、礼儀作法が一番に思い浮かびます。
五賀) 礼儀作法という点で弓道は、剣道や柔道に比べてかなり厳格に見えます。弓道では、弓を引く前後の所作のことを体配(たいはい)といいますが、昇段審査においては、弓を引く時間より体配をする時間の方が長いです。ただ、体配は、本来は場の状況に応じた最も合理的な動きでありますので、弓道だけでなく、普遍的に活用できるものです。
それでは、弓道の特性は何であるのかということになりますが、柔道など他の武道は人と対峙するため、相手の能力に応じて自分の結果が変わってしまう可能性がありますよね。ですが、弓道においては、試合でも常に対峙する相手は動かない的であり、矢が当たるかどうかは全て自分自身の力にかかっています。そして、的に的中させるためには合理的な動作(射法(しゃほう))と精神の安定が必要であり、このバランス(中庸)が重要だと考えられています。
古来から、弓を引くことによってその人の徳が見えると考えられてきました。つまり、的に矢が当たるかどうかは、その人の徳が体現できるかどうかということ。きちんと徳が備わっていれば、心・技・体のバランスが上手くとれていて、結果的に矢が的に当たるはずだと考えたのです。この思想の背景には、中国の礼射(れいしゃ)思想の影響が多分に見て取れますが、心・技・体の一致が厳格に求められる点において、弓道の大きな特徴があると思います。
弓道具の変化と環境問題
――弓道具における課題にはどのようなものがありますか?
五賀)最初に説明した弓道具ですが、現在ではその中の多くが、形状はそのままで、天然素材が人工素材に置き代わっています。弓道に限らず、様々なスポーツにおいて道具が天然素材から人工素材へと置き代わっていますが、その理由は大きく分けて二つあります。
一つは、より高機能にするため。例えば、スキー板は木の板からカーボンファイバーなどの板に置き換えられています。これはよりよい記録を出すためですが、弓道の場合は、材料や職人が少ないために人工素材に置き代えざるを得ない現状があります。これは弓道に限らず、いわゆる伝統的なスポーツや芸能などでも同様に起きています。
現在、実態から言えば、弓道家の大半が何らかの人工素材の弓道具を使っていますが、弓道具の中で、人工素材に置き換わっていないものは、「矢」の鳥の羽根と、「弽(ゆがけ)」と呼ばれるグローブの鹿革があります。
ーー「矢」に使用する羽根において、自然保護の問題があると聞きました。
五賀)そうですね。現在は七面鳥の羽根が安価で、広く初心者などに使用されることが多いですが、本来は鷲や鷹などの猛禽類の羽根が使用されていました。一般的に、こうした速く飛ぶ鳥の羽根の方が、矢が安定して、勢いよく飛ぶと考えられています。
ーー自然に羽根が反応するということですか?
五賀) そうです。ただこういった鳥は、ワシントン条約や種の保存法で規制され、入手が難しくなっています。絶滅危惧種に指定されるようになってから、使用が規制されたり、高価であることから七面鳥などの羽を使うようになりました。そうすると、必然的にそれに応じて技術が変化したり、道具に対する知識が欠落していくこととなります。弓道具は、弓道という文化を構成する重要な要素ですので、時代に応じた文化の変容が求められています。
この羽根を巡って、弓道界では不祥事が生じています。一部の上級者が、密猟等によって違法に入手された羽根を、矢羽として用いているとの情報が弓道界に流れ、全日本弓道連盟は第三者による調査委員会を立ち上げて詳細な調査を行うと共に、関係者の処分を行うなどして、問題の解決に向けた取り組みを行っています。そして、今後同様の事案が発生しないように、弓道具と環境問題に関する啓発活動などを計画しています。
ーー上級者がより良い技術や結果を求め、そのようなことに手を出してしまう現状があると。
五賀) おおよそ、その通りです。ただ、「良い技術や結果」が、どのような意味なのかは、検討の余地があります。また、伝統的な弓道具を使うこと、鷲や鷹の羽根を使用することが、弓道の『伝統』の維持に繋がるのか。この点については検討の余地があると考えています。
五賀)確かに、道具自体が一つの伝統性の象徴であり、それも含めた弓道文化ですので、こういった道具を維持・保存・継承していくことは必要です。ただ、今回問題となった弓道家が、そのような意図をもって違法な羽根にまで手を出してしまった可能性があるのかと言われると、これは大いに疑問です。というのも、別にこういったものに手を出さなくても、弓具店では合法の矢羽を用いた矢がたくさん売っているのです。なぜそれを買わず、密猟で入手したものを買うのか。果たしてその人達が、『伝統』の維持のためにそれらを買っていたのかと言うと、私は疑問です。そうではなく、威厳や権威の象徴のために買っていたという側面が大きいのではないかと。そういった羽根を使うことが、上級者の一つのステータスになってしまい、そのような風潮が弓道界の中に蔓延すること自体が問題だと思っています。鷲や鷹などの羽根を使うことが問題なのではなく、考え方や背景の部分で問題があると考えています。
『伝統』を守るために
ーーどのようにして弓道の『伝統』を守るべきだと思いますか?
五賀) 現在、全国の弓具店で構成される全日本弓道具協会が、弓道具をユネスコの無形文化遺産に登録しようと活動しています。時代の流れと共に環境が大きく変化する中で、伝統的な弓道具が保存・継承されるためには、こうした動きは歓迎すべきものだと考えています。ただ、その際に、なぜ天然素材を使った伝統的な弓道具が必要なのか、弓道の歴史・文化的背景に加えて、実際の技術などと関連付けて説明されるべきだと考えています。
五賀)しかし、天然素材を使った伝統的な弓道具が『伝統』を守るために必要であるのと同時に、人工素材の安価な弓道具は弓道の普及のために必要だと考えます。竹製の「弓」は、温度や湿度によって変形するため、一定のメンテナンスの知識が必要ですが、グラス・カーボンファイバー製だと、その必要はありません。安価でメンテナンスが容易な人工素材の弓道具が普及することは、弓道人口の増加を考える上では、非常に重要な役割を持っています。私は、弓道人口は、修練の段階に応じたピラミッドが形成されるあるべきだと思っていて、その頂点には、数は少ないけれども、伝統的な弓道具を使い、弓道という文化に対する深い知見を有して継承を図っていく人、底辺には人工素材の安価な弓道具を使い、武道、競技スポーツ、遊戯、娯楽などといった様々な目的を有した、広く多くの人々が、そして、中間には上を目指すと共に、上下の橋渡しを行い、弓道の普及や振興を行う上での様々な取り組みを行う人々が位置し、弓道の伝統とその魅力を発信していくべきだと考えています。
スポーツにおける道具の考え方
ーースポーツ全般において、より性能の良い道具を使うべきという考えと、性能が落ちたとしても環境保護のために配慮すべきという考えがあると思いますが、そのような考えについてどう思われますか。
五賀) これに関しては、一つの価値観の違いだと思います。オリンピックをはじめとした近代スポーツの多くは、結果を数値化してより高い記録を出そうとしています。だからより良い結果を出すために道具の変更があるはずで、これが行き過ぎたために、水泳の水着の問題だとか、あるいは野球のボールだとかの問題が起きてしまうわけです。ただ武道というのは、結果ではなく質を評価しています。つまりその結果に至るまでのプロセスを評価しており、必ずしも結果だけを評価するわけではありません。その辺りの考え方の違いが、道具の問題にも反映されているのかなと思っています。
ーーありがとうございました!
編集より
スポーツと道具の問題。そこに「環境問題がある」と言われ、問題への意識から入ってしまうと「それって悪いことなのでは」「なぜ弓道はそこまでこだわるのか」など、私自身そのように捉えてしまうこともありました。
しかし、大事なことは、弓道はどのようなスポーツであるのか、どのような『伝統』を大切にしているのかを知ることにあります。問題を問題のみで捉えず、元々そのスポーツが持っていたもの、大事にしていることを知っているかどうかで今回の問題の見方も変わってくるかと思います。
五賀さんがおっしゃったように、『伝統』の継承と弓道の普及にメリハリをつけることの大切さを、私や多くの読者のような “弓道を外から見る人” にも感じてもらいたいです。