『サッカーから共生社会の実現を』をメッセージに掲げる日本障がい者サッカー連盟(JIFF)は、7つの競技(アンプティサッカー(切断障がい)、CPサッカー(脳性麻痺)、ソーシャルフットボール(精神障がい)、知的障がい者サッカー/フットサル(知的障がい)、電動車椅子サッカー(重度障がい等)、ブラインドサッカー/ロービジョンフットサル(視覚障がい)、ろう者サッカー/フットサル(聴覚障がい))をまとめる団体として2016年に設立されました。元日本代表の北澤豪さんを会長として精力的に活動し、東京パラリンピックではブラインドサッカー(5人制サッカー)の活躍が話題になりました。
そのJIFFを事務総長として支える山本康太さん(以下、山本)に、障がい者サッカーと関わり始めたきっかけ、そしてこの先目指していくものについてお話を伺いました。
「サッカーにはどんな楽しみ方があるんだろう?」
ーー山本さんはどのようなきっかけで障がい者サッカーに関わるようになったのでしょうか?
山本)日本障がい者サッカー連盟(JIFF)の専任スタッフとして関わり始めたのは、2019年の2月からです。それ以前は、日本ブラインドサッカー協会(JBFA)で事業戦略を統括しており、JBFAの立場で設立当初から組織運営に関わっていました。
そもそも障がい者サッカーとの出会い自体は、2005年、私が大学4年生のときです。日本代表戦のゴール裏でジャイアントジャージを掲げているサポーターグループのメンバーとして活動をしていた中で、たまたま障がい者サッカーがあることを知りました。自ら電動車椅子サッカーチームに「見学させてもらえませんか?」と問い合わせをしたところから、私と障がい者サッカーとの関わりが始まりました。
ーーもともと障がいを持つ方との関わりには興味があったんですか?
山本)正直なかったですね。サポーターグループの活動に関わっていたことが私にとって大きかったのかもしれません。サポーターグループでは、国際交流サッカーの企画運営をするなど、サッカーを『する』『観る』だけでなく、さまざまな人と関わったり自分で企画したりする楽しみ方を知ることができました。「他にはどんな楽しみ方があるんだろう?」という好奇心が大きかった時期に障がい者サッカーに出会うことができました。
ーー実際に障がい者サッカーの場に行ってみていかがでしたか?
山本)「こういうサッカーもあるんだ」と感じました。活動に参加する中で大会運営をする人が足りていない、という話があったので、主にサポーターグループのメンバー20人ほどで大会運営にも関わり始めました。それまでは主に当事者が運営も担っていましたが、全体的にウェルカムな雰囲気で迎えていただいたのをよく覚えています。
再び、障がい者サッカーへ
ーーそこから『仕事として』障がい者サッカーに関わるまで、どのような想いがありましたか?
山本)大学卒業後はサッカーとは関係ない一般企業に就職し、仕事をしている中でも、休日などを利用して障がい者サッカーでの活動自体は続けていましたが、自分とサッカーとの距離感、どう関わっていくかについては結構考えていましたね。当時、サッカーに関わる仕事をしている人はプレイヤーとして活躍してきた方が多かったです。そうではない自分はどのような形でサッカーに関わるのが良いのか?そもそも、どのように関わっていきたいのだろうか?ということを悶々と考えていました。
ーーその後サッカー業界、日本ブラインドサッカー協会に転職されますね。どのような想いがあったのでしょうか?
山本)「一生かけて自分がコミットしたいことはなんだろうか」と自問自答する中で「サッカーを通じて人と組織の可能性を広げていく」ことがしたいのだとわかりました。
いままでのサッカー人生を通して、「なぜ障がいがあるだけでサッカー環境が違うのか」「なぜ代表チームが着ているユニフォームが違うのか」という疑問を抱いていました。障がい者サッカーと健常者のサッカーとの連携を進めることが自分らしいキャリアの描き方だと思い、障がい者サッカーに関わることを仕事にすると決意しました。
日本ブラインドサッカー協会では、パラリンピック競技であるブラインドサッカー(5人制サッカー)、視覚障がいという一般的にもわかりやすい障がいという強みを活かしながら、まずは障がい者サッカーの価値づくりをしていくことを試みました。
東京パラリンピックでのユニフォーム統一
ーー東京パラリンピックでのユニフォームの統一(男子24歳以下代表・女子代表・5人制サッカー代表)は、山本さんにとって感動的な出来事でしたか?
山本)そうですね、理想として思い描いていたことが現実になりました。大会のコンセプトのひとつとしても『多様性と調和』が掲げられていましたし、自国開催で多くの注目が集まる中、日本サッカー協会をはじめとしサッカー界がと1つになり「TEAM FOOTBALL JAPAN 2020」として実現できたのはとても感慨深かったです。
ーー実際その期間中、山本さんが感じた周りからの反響などはいかがでしたか?
山本)無観客ということもあり会場で直接観戦頂けなかったことは残念でしたが、選手本人からの喜びの声はもちろんのこと、関係者や普段応援して頂いている方から「嬉しかった」、「感動した」という声をいただいて、純粋に嬉しかったです。選手の気迫溢れるプレーが見ている人に対して伝わったことも、嬉しかったですね。認知度の向上はパラリンピックという大きな舞台で進められました。
東京2020パラリンピック 5人制サッカー(ブラインドサッカー)日本代表結果(JIFF HPより)
ユニバーサルスポーツを考える
ーー『ユニバーサルスポーツ』で、「障がいのある人も健常者の人も一緒にスポーツしよう!」という動きが広がってきています。障がい者サッカーから見てユニバーサルスポーツはどのような存在ですか?
山本)そのような取り組みが全国的に増えていくことは大切なことだと思いますし、どんどん広がっていって欲しいです。それがスポーツにおけるインクルーシブになり、さらには社会全体のインクルーシブ、共生社会の実現に繋がると思っていす。ただ、障がいのある当事者からすると、「同じ仲間で集まりたい」という人もいます。選択肢を持っておける、ということが一番良い在り方だと思っています。
ユニバーサルスポーツの推進と同時に、単一障がいのコミュニティ作りも平行して進めていくとより良いですね。サッカーのプレーが年代別に分けられているように、障がいという一つの括りとして存在する、私はそういう考え方をしています。
ーーたしかに。ユニバーサルスポーツも、パラスポーツもお互いにいいものとして存在するといいですね!
指導者が障がい者サッカーをどう見るか?
ーージュニア世代など、健常者のチームに障がいのある方が一緒に入ったりすることがあると思います。その時の立ち居振る舞いなど、指導者へのフォローのお取組みを教えてください。
山本)日本サッカー協会の有資格指導者向けに行っているリフレッシュ研修会の中に障がい者サッカーコースがあり受講することができます。それとは別に、誰でも参加することができる半日コースのカリキュラムもあります。
修了した方にはそれぞれ『JIFF(日本障がい者サッカー連盟)インクルーシブフットボールコーチ』、『JIFF普及リーダー』という登録証を発行しており、取得後の定期的な情報提供も積極的に行い橋渡しを行っています。
ーー協会の取り組みとしては、学べる環境は多くあるのですね!
山本)パラリンピックで認知度は上がりましたが、大切なところは『日常が変わっていくこと』だと考えています。障がいのある子どもたち含めて、皆さん普段は各都道府県・地域で活動をしてます。「サッカーをやりたい!」と思ったときにいつでも楽しめるような環境作りには、継続的に取り組んで行く必要があると思っています。
指導者の中で、障がい者サッカー向けの講座を選択する方は近年増えています。そうした講習は主に各都道府県サッカー協会が主催で開講するので、私たちJIFFからは「ニーズはあるのでやりましょう」と各地域に促して実践に繋げていきたいです。
ーーサッカーの指導者が、障がい者サッカーについても学ぶことのメリットはどんなところですか?
山本)障がいのある方がチームに入ってもスムーズに入っていけるようになることですね。わからないことがあっても他の団体同士が繋がることで、当事者と向き合ったり、第三者から意見をもらうこともできます。
また、JIFFではバルサ財団(スペイン)とも連携し指導者講習会を行っていますが、そのメソッドを取り入れることで、発見があるだけでなく指導方法に自信を持つことにも繋がります。そうした経験や自信があることで、実際の現場での指導の質の向上につながります。
ーー最後に、日本障がい者サッカー連盟として今後目指すものをお聞かせください。
山本)共生社会の実現の中でもまずは、『誰もが、いつでも、どこでも、サッカーを楽しめる環境の実現』です。そのためにもインクルーシブな場というのを作っていきたいですし、認知度も上げていきたいです。クラブチームを発展させていくことも必要だと思いますし、そういった活動を広げたり、継続的な活動にしたりするためには、都道府県での組織作りも大切です。都道府県のサッカー協会やJリーグクラブを巻き込んだ組織作りをすることによって、サッカーのある日常を作っていきたいです。
ーーありがとうございました!