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異なる文化に飛び込み『剣道』を教え続けた30年を振り返って~JICA × Sports for Social vol.11~

JICA-Hungary

『剣道』を東ヨーロッパの国ハンガリーで30年間教え続けている阿部哲史さん(以下、阿部)。1992年に青年海外協力隊員としてハンガリー・ブダペストに派遣され、任期終了後もハンガリーに残り、大学で教鞭を取りながら剣道ハンガリー代表監督を長年務め、剣道の普及と強化の両面で活躍してきました。

オリンピック競技ではない剣道は、いかにして東ヨーロッパの国に広がっていったのでしょうか?異なる文化に、日本の武道を持って飛び込んで生き続ける阿部さんの人生を振り返ってみてもらいました。

JICA青年海外協力隊
スポーツの力で世界を変える「青年海外協力隊スポーツ隊員」とは〜JICA × Sports for Social Vol.1~国際協力機構(以下、JICA)が派遣する青年海外協力隊は、1965年から約60年間続く事業です。これまでに約55,000人が開発途上国を中心に派遣され、その国の文化づくり、産業の発展に貢献しています。 その青年海外協力隊の中で、約5,000人近くに上るスポーツ隊員は、世界各国でスポーツの技術を教え、その国の文化を共に創ってきました。 Sports for Socialでは『青年海外協力隊スポーツ隊員』にスポットを当て、海外で活躍した、もしくは現在も活躍している隊員の“想い”、これまでの歴史で紡がれてきた“想い”を取り上げます。 第1回となる今回は、JICA職員として、数多くのスポーツ隊員を支えてきた青年海外協力隊事務局専任参事 勝又晋さん(以下、勝又)と、青年海外協力隊スポーツ隊員の一員として、モルディブでバドミントンのコーチを勤めた若井郁子さん(以下、若井)にお話を伺いました。...

異例のハンガリー・剣道の派遣

ーー青年海外協力隊の中で、ヨーロッパ地域への派遣、そしてオリンピック競技ではない『剣道』での派遣は珍しいことですよね。どのような経緯だったのでしょうか?

阿部)たしかに珍しく、派遣前訓練のときの同期生からも「なぜハンガリーに剣道を?」と言われていました。
歴史的な背景として、私が派遣される少し前の1989年に『ベルリンの壁崩壊』などの象徴的な出来事もあり、日本政府から東ヨーロッパの国々に青年海外協力隊派遣についてアプローチしていました。ただ、経済的にもある程度安定していて、オリンピックでの成績も日本よりよかったハンガリーでは、なかなか受け入れる要素がありません。その中で、現地に1970年頃からハンガリーの大学の東洋文化学科で教鞭を取られ、1982年からハンガリーで剣道の指導を始めてハンガリー剣道連盟の事務局長にもなった山地征典先生の存在などもあり、「文化的な要素も強い『剣道』で派遣してみよう」という異例の判断になったそうです。

ーーそうしたタイミングで阿部さんが選ばれたことも、運命的なものを感じざるを得ませんね。

阿部)そうですね。私が筑波大学の大学院を卒業したタイミングで山地先生が一時的に帰国されていたのも大きかったです。「東ヨーロッパに行きたい気持ちがあるか」と聞かれ、JICAの当時の事務局長にも直談判してくださいました 。

ーー阿部さんご自身も、もともと海外に興味を持たれていたのですね。

阿部)私は幼いころに空手を習っており、その先生はニューヨークでストリート空手を教えていたような方でした。なので、道場にときどき外国人の方が来たりしていましたし、また、父の知り合いの日本人がカナダで剣道を教えていたこともあり、“外国の方の武道”に慣れていたことも大きかったのではないかと思います。「自分の好きな剣道を通して、世界とつながってみたい」という気持ちは、歳を重ねるごとに強くなっていました。

ーー国際武道大学在学時には、ドイツのハンブルクに短期留学もされています。

阿部)ハンブルク留学では、「剣道の取り組み方が日本よりも幅広い」と感じました。競技として“強くなる”ことを求めるだけではなく、“ヨーロッパにない文化の学習”として捉え、自分たちが日本で剣道をしているだけでは気づかないこと 、例えば、大工の剣士は良い質の床で剣道することで裸足で生活することの意味を再確認し、自分の仕事に役立てる。医者の剣士は畳にほれ込んで、背骨が変形しがちな人に畳で寝ることを勧めたり。そういう価値に現地の人は気づいていて、そうしたことがとても新鮮でした。

ジンバブエ
アフリカで25年の時を超えて〜水泳ノートが残した青年海外協力隊員の想い〜「アフリカで、日本人が残した水泳ノートを使っている指導者がいる。それも25年以上前のものだ」 そんな、嘘のような本当の話。このノートは1996年〜99年にジンバブエに青年海外協力隊・体育隊員として派遣されていた鈴木恵里さん(以下、鈴木)によるものでした。体育隊員として派遣中、才能あるスイマーを見つけ、個別指導を自ら申し出た鈴木さん。真剣に取り組んできたその指導ノートは、現在もアフリカで子どもたちの指導に役立てられています。 時を超えて繋がる青年海外協力隊員の活動とはーー。現在は京都府の中学校で保健体育の教員をされている鈴木さんと、当時指導を受けていたジンバブエのBrightonさん(以下、ブライトン)にお話を伺いました。...

オリンピック種目でない剣道

ーーハンガリーにおいて、日本の剣道を普及していく上で苦労されたことはどのようなことでしょうか?

阿部)当時のハンガリーでは、剣道は50人ほどの競技人口で、首都ブダペストの剣道クラブを2つと、地方での活動、ナショナルチームの指導などを行っていました。東ヨーロッパ諸国の歴史的な背景もあり、国が支援するものは基本的にはオリンピック競技のみです。まだ貧しい人も多い時代に、「オリンピックに出て稼ぐ」ということがスポーツをする人の根本的な欲求でもありました。

ただ、なかにはオリンピック競技ではない剣道に純粋に魅力を感じてくれる人もいて、そうした人たちを少しでも増やすように取り組みました。また、現地の人々の考え方にも合わせ、“競技の魅力を伝える”ことだけでなく、“強化して成績を出す”ことの両輪を追い求めていましたね。

1993年 ハンガリーザーモイ村1993年 協力隊員時代にハンガリー・ザーモイ村での初稽古の記念写真

ーー阿部さんは青年海外協力隊以後、ハンガリーに残る選択をされました。日本に帰るという選択はなかったのでしょうか?

阿部)現地にパートナーがいたということもありますが(笑)、私が在任した2年半ではやり切れていないことの方が多く残りました。「育てた選手たちやハンガリーでの剣道が今後どうなっていくのか見たい」という想いも持っていたところ、ハンガリー側から大学の助教授のポストも用意していただき、「人生一度しかない!」と思い、一度帰国して協力隊員としての身分は終了し、ハンガリーに残る決断しました。

30年間見つめてきたハンガリー

ーーハンガリーの現在の剣道の状況はいかがでしょうか?

阿部)1,000人ほどの人が剣道に親しんでいます。赴任した当時から比べると20倍ほどですね。競技の成績としても、2002年に男子が欧州大会で優勝し、2012年・2015年には世界選手権で3位になりました。
スポーツ大国が多いヨーロッパの中で、オリンピック競技になるわけでもなく、文化を大事にする競技でよく浸透したなと思います。

ーー阿部さんが目指してきた、“文化面”と“競技面”の両方が花開いた形ですね!

阿部)私が派遣された1992年以降は、ハンガリーも含めた東欧諸国が自由主義・民主主義に変わっていく過程にありました。その中で、スポーツにも生涯スポーツの概念が広がっていくのではないかと予測していたのですが、その通りにゆっくりと徐々に変わってきた印象ですね。

ーーその30年の間に、空手がオリンピック競技になるなど、武道自体も変化が生まれています。ほかの武道と比べて、“剣道”にはどのような魅力があるのでしょうか?

阿部)身体的な接触が少ないので、長年取り組めるところが剣道の魅力だと感じています。最近では、当時なかった「スポーツが健康にいい」という感覚も広まってきていますので、生涯スポーツとしての可能性は大きくあると思っています。

ーー今後ハンガリーでどのように剣道が広まっていくのでしょうか?

阿部)現在、ハンガリーの学校教育や生涯学習のプログラムに武道をどのように取り込むか、ということに取り組んでいます。ハンガリーでは、35歳以上の男性の6割が糖尿病になるというデータもあります。国としてはそれを危惧し、体育の授業数を増やしてスポーツに親しむ環境を整えようと動きました。その際に武道の枠も増え、中学校・高校で以前からあった柔道だけでなく空手も行われるようになりました。
剣道は用具などの関係で学校の授業に入れることは難しいですが、武道に親しんだ子たちが将来的に生涯スポーツとして楽しめるようなプログラムを作っていきたいと思っています。

剣道世界選手権2012イタリア大会2012 剣道世界選手権(イタリア開催)で男子団体銅メダルに輝いたハンガリー代表チーム

飛び込む勇気を

ーー現在の青年海外協力隊のスポーツ隊員の中にも、現地であまり普及していない競技の専門として派遣される隊員も多くいます。新しい文化に飛び込む上で、阿部さんからのアドバイスはありますか?

阿部)一番大事なのはその国の文化を理解することだと思います。求められてないものをいくら押し付けたって無理なわけですから。
特に武道を教えるために海外に行くと、日本でやっている武道の形や解釈を変えるのを怖いと感じることがあります。ですが、日本のものをそのまま海外でやらせるということが目的ではないので、「日本はこうだから」という部分を勇気を持って形を崩してもいいのではないかと私は思っています。どれだけ自分がその国の文化を理解し、その場の風向きを見て変えていくくらいの余裕を持つことが大切なのではないでしょうか。

ーー押しつけるのではなく、文化を理解し、尊重し合うことが大事なのですね。

阿部)それに加えて、2年間という短い期間でなにか成果を残すことはなかなか難しいです。「行くからには成果を残したい」と思うかもしれませんが、しっかり頑張って蒔いた種は、成果としてあとから出てくるものですので。

ーー阿部さんご自身が文化に馴染むために工夫したことはありますか?

阿部)今でも使うことがあるやり方は、同じテーマに対して年長者の方と若い方に同じ質問をすることですね。その国の人の考え方を幅広く知ることにもなりますし、近い年代の人たちばかりと付き合って考えが偏ってしまうことも避けられます。
もう1つ大事にしたのは、国の歴史を知ることです。こちらから近寄ろうとしてるっていうところを見せないと、向こうも心開いてくれないという面もありますし、特にハンガリーはさまざまな歴史があるので、考え方の背景を理解し寄り添うためにはしっかりと知っておく必要がありました。

ーー青年海外協力隊スポーツ隊員として今も多くの方々が世界中に派遣されています。日本人がスポーツのよさを広めるということに、どのようなメリットを感じていますか?

阿部)日本人は、ヨーロッパでもよく「きっちりしすぎている」と言われます。しかし、細かいが故にスポーツにおいては技術がしっかりするというメリットもありますよね。
ハンガリーでも、野球隊員が派遣されている時期に、アメリカのメジャーリーガーが引退後に野球教室を開催していたことがありました。国民の気質からみても、そっちに多くの人が流れてしまうのですが、何人かは「きっちりやってくれるから」と日本人隊員の方に残りました。その部分は、海外から見た日本への評価ですし、スポーツ隊員として武器にしてよいところだと思います。

ーー最後に、これから協力隊活動に参加しようと思う方々にメッセージを!

阿部)青年海外協力隊に参加したら、どんな活動であろうと“いい経験”ができます。国際協力などかっこいい言葉は抜きにして、“自分の人生のために”協力隊を利用するくらいのつもりでよいのではないでしょうか?
自分から外に出て、フィードバックできるものを勝ち取れれば、日本に戻ったときの人生も変わるはずです。「何かを求めて」いる方はぜひ参加してほしいと思いますね!

ーーありがとうございました!

阿部さん

 

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