私たちの想い

スケッチブックを片手に|アートで自分を楽しもう〜臨床美術のススメvol.6〜

臨床美術士で絵描きのフルイミエコです。臨床美術とはアートの活動を、認知症の症状の改善に役立てる目的で開発されたアートセラピーです。認知症を発症して受診する中で臨床美術に出会い、それまで絵を描く経験がなかった方の生きがいになったというケースもあります。今日は私が出会ったOさんを紹介します。

Oさんは70代男性です。アルツハイマー型の認知症を患い神経内科を受診されていました。奥様がOさんの刺激に良さそうなことは何でも積極的に試していく方でした。私が出会った頃は既に音読の教室などにも通われていました。私が京都で臨床美術の講演会を開いた時に、取材を受けた新聞記事を読んで電話をかけてきてくれたのが出会いです。

その頃は受講していただける講座がまだ開講されていなくて、そのことを伝えたらとてもガッカリされて申し訳なく感じました。そのうちに次第に京都で現場が生まれていきました。臨床美術の講座が開講するたびに、遠方でも車で熱心に通ってきてくれました。まずはOさんの作品をご覧ください。ちょうど今の季節にぴったりな見事な紅葉です。

Oさんは特に絵を描く趣味は無かったのですが、臨床美術を体験してみて非常に面白く感じたらしく、その後はすぐに夢中になっていきました。紅葉の色は何色も重ねて、深みのある色彩を出しています。画面がどんどん秋の色に染まっていくことを、眼で感じながら楽しまれていたと思います。途中でスタッフが褒めると恥ずかしそうに笑顔を見せてくれたのを思い出します。

モチーフを見て描く時の方が安心して描いていました。でもあまり見慣れないものや複雑な形のものが出てきた時は、必ず最初に「描けるかな〜」と心配そうに呟きます。ある種の緊張感と不安を感じていることが伝わります。でもやってみたいという好奇心がOさんの中にありました。いつも挑戦する感じでゆっくりと、マイペースな制作をされていました。海老の足の丁寧な表現。観察したOさんの集中が伝わります。

臨床美術では立体制作も抽象的な表現もあります。この作品はイタリアの建築家であるガウディの表現をヒントに制作をしました。柔らかい粘土の手触りも楽しみながら、Oさんの手の動きが絶妙な形として残りました。Oさんは色を扱うことがとても好きだったので、作品に色をつけていく行程では特に拘りをもって楽しんでいました。

Oさんは表現を楽しまれていましたし、特に観賞会でみんながOさんの作品にどんな反応をくれるか、きっと期待してワクワクと待っていたように思います。奥様もそんなOさんの様子に満足されていました。そのうちにOさんは講座の日が待ち遠しくて仕方なく、自分でスケッチブックにオイルパステルをもって写生へ出かけて行くようになったそうです。臨床美術の講座の枠を超えてアートがすっかりOさんの生活の楽しみの一つになり、日々を支えるものになったということでしょう。臨床美術との出会いがアートの世界への入り口になり、日々を充実して過ごされるようになったことは本当に嬉しい出来事でした。私はこれが実は臨床美術が目指していることだと思っています。

Oさんのエピソードには続きがあります。京都の大学病院の神経内科で医師の診察時、認知症の症状がほとんど進行していないことを不思議に思った医師がOさんに「何か特別なことをされていますか?」と尋ねたそうです。そこで奥様が臨床美術のことを話してくださり、それがきっかけで京都府立医科大学の神経内科において、認知症の方と介護家族を対象にした臨床美術講座を開講してもらえることになりました。

その後もOさんは神経内科の「脳いきいきアート」講座に7年ほど通われました。真面目で繊細な表現をされるOさん。今も観ていると作品は、そんなOさんそのものだったなと思い出されます。アートはいつでも誰にでも開かれた世界。何歳からでもアートは始められる。Oさんの作品から私たちは学ばせていただきました。

認知症には脳の刺激になることをした方が良いということは、今では広く知られるようになりました。脳のリハビリになる様々な療法もこの10年で非常に増えてきました。私はアートが誰にでも万能だとは思いません。やはり人の好みはもちろんあります。スポーツの方が好きという方もあるでしょう。しかしアートがピタッとハマって、その人の生きがいになるようなケースもあるのだと、Oさんは私に教えてくれました。

そんな潜在的なニーズのためにもっと臨床美術のことを伝えて、多くの方にアートの世界に触れていただけたら良いなと思います。認知症になったら何もできないのではなく、新しくいろいろな選択肢があって、身体にもよく生きがいにもなることを見つけていけたら素敵ですね。いろいろなことを試すことができたら一番良いのだと思います。

■著者
フルイミエコ
画家、アート&ヘルスケア臨床美術アトリエ苗 主宰
京都<臨床美術>をすすめるネットワーク代表
日本臨床美術協会認定臨床美術士2級
※「臨床美術)及び「臨床美術士」は(株」芸術造形研究所の日本における登録商標です。

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臨床美術5サムネイル
「自分にちょうど良く」 |アートで自分を楽しもう〜臨床美術のススメvol.5〜1回ごとの楽しさをとても大切にする臨床美術のアートプログラム。このプログラムの面白さによって、臨床美術は認知症改善の目的だけでなく、子どもや大人あらゆる世代が作る喜びと出会えるアートへと発展。その面白さとはどういう感じなのでしょうか。...
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