同じ理念を持つスタッフとともに一般社団法人「監督が怒ってはいけない大会」を設立した、バレーボール元日本代表の益子直美さん。益子さんが大切にしているのは、「どんな人でも競技を続けられるように」という想いです。
「怒ってはいけない大会」への想いなどを伺った前編に続き、後編では益子さん自身が考えるスポーツのあるべき姿や“逆風”のなか大会を始めた経緯などについてお話を伺いました。
▶前編から続きます
「続けたいと思ってくれる環境を整備したい」
ーー多くの“向かい風”を受けながら「監督が怒ってはいけない大会」を続けてこられたのですね。今後はこの大会をどのようにしていきたいのでしょうか?
益子)これからやりたいことは沢山ありますが、とにかく「監督が怒ってはいけない」という大会の名前が変わっていけば良いと思っています。
「怒り」によってコントロールする指導が過去のことになり、この名称が必要なくなってほしいですね。
他にも「勝利至上主義」は小学生年代には必要がないものだと思っています。
点数制ではなく時間制にしたり、多くの選手に活躍の場を与えるため選手のプレー回数を決めたりと、大会独自のルールを作って子どもたちが楽しくプレーできるシステムを考えていきたいです。
ーー子どもたちのことを大切に思われているのですね。
益子)全体としてバレー人口が減っているなか、せっかく始めてくれた子どもたちが、「楽しい」「続けたい」と思ってくれるような環境を整えていきたいです。特に女子バレーは男子バレーに比べ、中学校から高校に上がるときに部活動を続ける割合が30%台と低く、女子には続けてもらえない印象があります。
部活動を学校の先生から外部コーチに委託する動きが進んでいますが、指導者さんがしっかり学ぶことができるように「ライセンス制度」は整えていくべき部分かなと思っています。
成長やリスペクトを大切にできる環境をもっと!
ーー今年の夏には東京オリンピックもありましたね。
益子)今夏の東京オリンピックでは、西矢椛選手や堀米雄斗選手が金メダリストを獲得したスケートボードなどの競技が新たに導入されましたよね。
こういった競技は、「遊び」という感じからあまり良い印象を持っていない方が多いかもしれませんが、もともとスポーツというのは「運動+ゲーム」だと思っているので、“遊び”の要素がすごく大切だと思います。
強制されてないからこそ自分から楽しんで練習に励み、難しい技にチャレンジしたり、失敗してもライバルをリスペクトしたりしていて、「これがスポーツだ!」と改めて感じました。
トップを目指すだけでなく、成長や相手へのリスペクトを大切にできる環境がもっとスポーツの中から生まれると良いなと思っているんです。
ーースポーツクライミング(ボルダリング)では、登る壁のルートを、試合前にライバルと話し合う場面が印象的でした。
益子)スポーツは本来、ライバルをリスペクトするべきなのですが、私の時代は「敵と話すな!」「目を合わせるな!」と指導者に言われていた時代だったので、私自身も“昭和の感覚”から卒業するのに時間がかかりました。
大学バレー部の監督をやっていたとき、私自身も指導力のなさから、自分がやられて嫌だった「怒り」を使ってしまったことがありました。怒ることは簡単で手っ取り早いのですが、「それは“指導”ではなく“支配”なのだ」と気付き、怒りを使わない指導方法を学ばなければいけないと痛感しました。でもすぐには行動できなかったんです。
「“弱い人”でも競技を続けられる環境を」
ーー「怒り」を使ってしまっていた状況から、学ばないといけないと気づいたものの、すぐには行動できなかったのにはどんな理由があったのでしょう?
益子)怒りを使わない方法を学べていなかったのには、“元全日本(日本代表)”のイメージを崩したくないという変なプライドが原因でした。学ばなければいけないと分かっているのに、「いまさら学んでも…」という考えや、自分ができないことをさらけ出す怖さがありました。
実は最初の頃は、「怒ってはいけない大会」と掲げながら、いざ「代わりにどういう声掛けがあるか」と監督から問われても答えることができませんでした。だからまずは自分が変わらないといけないと思い、子どもの成長を促す指導法やコミュニケーションを学ぶことを決意しました。
選手を引退した直後のアトランタ五輪で選手のインタビューしたとき、選手から「試合を楽しんできます」と聞くと「日の丸付けて楽しむなんてふざけるな!」と思っていたくらい染まっていた「昭和の考え」から、よく卒業できたと思います(笑)
ーー「昭和の考え」を卒業するのには、大きな痛みを伴いませんでしたか?
益子)痛みはかなりありましたね。
これまで私を指導してくださった先生に申し訳ない気持ちもあるし、連絡が来なくなった人もいます。監督から怒られ、殴られながら育ってきた人にとってはそれが成功体験になっているかもしれないし、苦しみを乗り越えると“良い思い出”になっていると思います。
でも、そうならない人、怒られ殴られることには耐えられない心が強くなく“弱い人”もいることを忘れないでほしいです。だから私は、「“弱い人”でも競技を続けられる環境をつくっていきたい!」と思っているんです。
「スポーツから暴力をなくした第一人者」になれれば
ーー「監督が怒ってはいけない大会」の活動を続けてきたことによって、益子さん自身はどのように変わってきたのでしょうか?
益子)この活動によって、私のメンタルも成長しました。
シッティングバレーのボランティアやっていたとき、「売名行為だ」と言われたことで現場から離れてしまったことがあり、とても後悔していました。「信念を持っているのに、他人の言葉に左右され自分の人生を変えてしまうのはおかしい」。私は今ではそう思い、“弱い自分だからできる活動”というのを一番の信念にしています。
ーー弱いからできないではなく、弱いからこそできる活動を考えるというのは本当に素敵な信念ですね。
益子)誰かがやったことではない、“自分らしさ”を探し続けていたなかで、同じ理念のスタッフと一緒に大会をスタートさせました。
スポーツ界やバレーボール界を良くしたいと思っている人はいるものの、行動に移すことができる人はなかなかいません。小さいことかもしれないけれど、「こんな弱い私でもやれているんだから、みんなできるよ!」と伝え、私自身が行動し続けることで、誰かにチャレンジする勇気を届けることをライフワークにしていきたいです。
そしてそんな私自身の行動が、自分が生きた証になればと思っています。いつか死んだときに「元バレーボール日本代表のタレント」ではなく、「スポーツ界から暴力をなくすために尽力した人」として益子直美を紹介されれば嬉しいですね。
「監督が怒っていた時代あったよね」と元気なうちに
ーーこうした取り組みは、いろいろな経験をしながら自分の心と向き合ってきた益子さんにしかできない取り組みなのだと感じました。
益子)「誰1人として取りこぼしたくない」という思いをすごく持っています。
トップになりたい人もいれば、楽しく続けたい人もいるように、スポーツには一人一人の楽しみ方があります。
せっかくスポーツを始めてくれた子が、スポーツを嫌いになって辞めてしまうのは悲しいことだと思います。
ーーこれまでのお話から益子さんの熱いお気持ちが伝わってきました。最後にこの記事を読んでくれている指導者や子どもたちへ一言お願いします。
益子)全日本に選ばれても、ワールドカップに出場しても本当に自信がなく、エースであるのにもかかわらず、「ボール来るな!」とずっと思っていました。「本当に私って駄目なんだ」「スポーツは向いていないんだ」とネガティブな気持ちをずっと抱えていました。
でも、弱かったからこそ私はこの活動やっていて、弱い私だからできる活動だと思っています。
世の中には強い人ばかりではなく、私みたいな本当に打たれ弱い人もいます。そういう人たちのために何としても続けないといけないし、この活動が必要なくなるような時代になってほしいです。
部活動で水を飲むのが禁止されていたり、うさぎ跳びを強制されていたりしたことがある時からガラッと変わったように、「そう言えば監督が怒っていた時代があったよね」となるその転換を、できれば元気なうちに見たいですね。20年、30年と掛かってしまうと生きているか分からないので(笑)
ーー子どもたちがスポーツを楽しみ成長していける時代をつくっていきたいですね。前編・後編の2部作となるインタビューをありがとうございました!
取材を終えて
時代の移り変わりによって新しい技術が開発されてイノベーションが起こるように、スポーツ指導も昭和、平成、令和と時代が変わる中で変化することが自然の流れのように感じました。
Sports for Socialでは引き続き「監督が怒ってはいけない大会」の活動を応援しております!