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パラアスリート・佐藤友祈 挑戦の原点【Morisawa × Para Sports Vol.3】

モリサワvol.3

Sports for Socialでは、株式会社モリサワが発信するパラスポーツに関する取り組みを応援し、全3回にわたって株式会社モリサワの記事を紹介します。
モリサワはPC・スマートフォンや書籍、広告デザインなど、あらゆるシーンで使用される文字である“フォント”を開発、販売している企業です。

第3弾は、東京2020パラリンピックで陸上競技2冠を成し遂げた車いすT52クラスの佐藤友祈選手の紹介です。2021年2月に株式会社モリサワ(以下、モリサワ)の所属選手となり、以降、企業としても社員としても彼から多くの力と学びを得ています。

プロアスリートであり、4つの世界記録を持つ彼の原動力は、「挑戦を楽しむ気持ち」にほかなりません。揺るぎない信念と不屈の精神力で成し遂げられた偉業の裏にはどんな想いがあったのか。この先、彼は何を目指していくのか。2年後に迫ったパリ2024パラリンピックでも金メダルを目指す佐藤選手にじっくりと話を聞きました。

※株式会社モリサワHPからの転載記事です。(元記事はこちら

(全3回のうちの3回目、#1#2

挑戦なくしては辿り着けなかったパラリンピックへの道

「夢や目標にチャレンジすることは楽しい。そんなメッセージを多くの人に伝えられたらと思います」

こう話すのは、2021年に開催された東京パラリンピックで2種目の金メダルを獲得し、真新しい国立競技場に日の丸を掲げた車いす陸上選手・佐藤友祈選手だ。

自国開催となる東京パラリンピックを控えたリオ2016パラリンピックでは、初出場ながら銀メダル2個を獲得し、パラアスリートの中でも注目されるひとりとなった。

しかし、その4年前のロンドン2012パラリンピックが開催されていた時、彼は競技を始めてすらおらず、自宅のテレビで偶然目に入ったのがロンドンパラリンピックの映像だ。このとき、風を切って走る車いすアスリートの姿に心を突き動かされたことが、パラ陸上(車いす)を始めるきっかけになった。

彼はこれまでどんな挑戦をしてきたのか――。ロンドンパラリンピックを観てパラリンピックを目標に定めた佐藤選手は、練習をしたことがないどころか自分の競技用車いす(レーサー)も持っていないにも関わらず、すぐにハーフマラソンにエントリー。順位は後ろから数えるほうが早かったが、自分なりの収穫を持ち帰り、パラアスリートのキャリアをスタートさせた。

「ハーフマラソンの大会の際、会場でパラリンピアンや関係者の方々に『将来、パラリンピックに出場して金メダルを獲る佐藤友祈です』というようなことを言って回りました。夢や目標は口に出して言った方が絶対にいいと思いますから」と本人はなつかしむ。

佐藤友祈

その後は、地元・静岡でひとり練習を積んだが、車いすでは競技場を使う許可も得られず、もっぱら河川敷での練習を余儀なくされた。これでは目標にしているパラリンピックまで到底間に合わない……そう悟った佐藤選手は、競技を始めて1年半がたった頃、故郷の静岡を単身離れた。競技環境の整った岡山に拠点を移したのだ。車いすでも利用しやすい競技場があり指導者のいる環境に身を置くと、いよいよ選手としての才能は開花していく。

チャレンジしてきた日々を振り返り、本人はこう語る。
「もちろん、物事を決意するまでは、悩んだり、家族に相談したりします。でも一度決めたら、直線を突っ走ることができるんです。根拠はないかもしれませんが、僕の中で確信が見えてきたら、それが一本の柱として深く突き刺さる。だから100%自分を信じた上で、挑戦をスタートさせるんです」

スタートしたら、後ろを振り返ることはしない。まっすぐに突き進むのが佐藤選手の流儀だ。

葛藤を乗り越えて掴んだ栄冠

練習環境を変えた翌年、世界パラ陸上選手権(2015年/ドーハ)に出場。400mで優勝、1500mで3位になり、一躍リオパラリンピックのメダル候補に躍り出た。初出場のパラリンピックを目前にした時期でも、世界のライバルたちのタイムや世界ランキングをチェックし、常に頂点だけを目指していた。それが挑戦者のあるべき姿だと信じていたに違いない。

迎えたリオパラリンピックの結果は、400m、1500mで銀メダル。決勝でライバルのレイモンド・マーティン(アメリカ)に敗れた。目指してきた大舞台で走ることができた高揚感と、金メダルを獲ることができなかった悔しさ。両方が入り混じった複雑な感情を胸に、佐藤選手は東京パラリンピックに向けて練習を再開した。

そして、東京パラリンピックに向けた挑戦の中で「世界記録で金メダルを目指す」という新たな目標を打ち立てる。

新たな挑戦をすることで自らモチベーションを上げていく佐藤選手は、2018年は2種目で世界記録を更新。2019年の世界パラ陸上選手権(ドバイ)では連覇を達成した。金メダルは手を伸ばせば届く位置にあるように見えた。

だが、新型コロナウイルスの感染が拡大し、東京大会は延期になった。コンディションを上げてきていた金メダル獲得の強化計画は崩れてしまう。約3年をかけて準備・調整をして、最後の1年には体に一番負荷をかけて結果を追い求めていくアスリートにとって、1年延期というスケジュール変更は、精神・体ともにダメージは大きい。多くのアスリートがモチベーション維持に苦しんでいた中、佐藤選手も例外ではないように見えた。

「東京パラリンピックで金メダルを獲って、そこからいろいろな挑戦を始めることを思い描いていました。そのひとつが、障がい者雇用で勤めていた当時の所属先を辞めてプロアスリートになること。東京大会は延期になってコロナ禍で世の中が暗いニュースばかりになっていたとき、『アスリートである僕がチャレンジする姿を見せていけばいいんだ』と、突き動かされるものがありました」

かくして佐藤選手は、後ろ盾のない大海に飛び出した。2021年1月に職場を辞め、協力者を求めてスポンサーを探し、その後、プロアスリートに。所属はモリサワに決まった。

佐藤友祈2021年2月、モリサワとの契約記者会見にて受け答えする佐藤選手。ここからプロアスリートとしての挑戦が始まった

東京パラリンピックは1年遅れで開催され、400m でリオ金メダルのマーティンに競り勝ち、1つ目の金メダルを獲得。2日後に行われた1500mも、先行した佐藤選手が最後のストレートでマーティンを突き放して2つ目の金メダルを手にした。リオのリベンジを果たし、佐藤選手の挑戦の第一章は幕を閉じた。

子ども時代のマイナス志向をプラスに変換

現状に満足せず、常に新しいことに取り組む。チャレンジ精神の塊のような彼の原動力はどこにあるのだろうか。それは21歳で脊髄炎を発症する前の生い立ちにあるようだ。

1989年、佐藤選手は静岡県藤枝市で生まれた。父と母、3歳下の妹と4人家族だが、近所に住んでいた祖父母と過ごす時間も長かった。

「両親が共働きだったこともあり、祖父母の家に遊びに行くことが多かったです。祖父母にとって初孫だったので、すごくかわいがってもらいました。小学校高学年のとき、クラスになじめない時期もあったんですが、学校からそのままの足で祖父母の家に行き、お菓子を食べたり、ゲームをしたりして過ごしていました」

幼少期から、体を動かすことは好きだった。父がコーチをしていたクラブでレスリングを習うなど、小中学生時代にはさまざまなスポーツを経験した。
「中学では陸上部に入っていましたが、とにかく練習が嫌いで。早く家に帰りたいとか、ネガティブなことばかり考えていました」

一方で、絵画や合唱も好きだった。小学校では担任に絵を褒められて絵画教室に通った。
「絵を褒めてくれた先生のおかげで、好きなことに没頭する力のようなものが身についていったように思います」

本人曰く、小中学生時代は、「穏やかな性格だった」という。そんなキャラクターもあり、「嫌だと感じることがあっても、じっとこらえて反論しなかったんです」。何より、「好きじゃないことを勧められたときに、勧めに従わずに、もっと自分の考えを貫けばよかったなと思うことがあったんですよ」と明かす。「そんな経験から、納得できないことはやらないし、逆に好きなことにはどんどん挑戦しようという、今の僕のベースになっていると思います」。ネガティブな出来事も、原動力に変えてしまう。それも、彼のストロングポイントなのかもしれない。

「チャレンジすることで、もっと自分を高めていけると思うとわくわくします」。充実感を浮かべて語る佐藤選手は、東京パラリンピック後に、パラ陸上競技の100mと自転車競技(ハンドサイクル)への本格参戦を表明した。

モリサワ自転車競技(ハンドサイクル)の大会に初めて参戦する佐藤選手(2022年6月)

「これからも、僕のチャレンジを心から応援してくれるパートナーの皆さんと一緒に、新しいことにチャレンジしていく。自らその姿勢を見せていくことで、さまざまなことが好転していくと考えています」

東京パラリンピックの金メダリストが目指すのは、パラリンピックの金メダルだけではない。パラスポーツにもっと光が当たり、自分と同じ障がいのあるアスリートの活躍が、スポーツ選手としてもっと注目を集め、障がいのある誰もがスポーツ選手を目指せるような環境になることを願う。モリサワと所属契約を結んだのも、このような考えに共感し、サポートしてくれたからだ。アスリートである佐藤選手とその所属企業のモリサワの二者が一体となって活動していく取り組みの計画も進んでいる。

パラスポーツがユニバーサル社会を牽引する。そんな近未来を思い描いて、佐藤友祈は今日もレーサーを前へ前へと漕ぎ進める。

(テキスト 瀬長 あすか)

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