近年、子どもの貧困問題が社会的に注目される中、「体験格差」という問題が浮上しています。「体験格差」は子どもたちが生まれ育つ環境により、スポーツをはじめとしたさまざまな体験の機会に大きな格差が生じていることを表す言葉です。
「体験格差」の実態とは何か。スポーツのような体験が子どもたちに与える影響とは何か。そして、この課題を解消するためにはどのような取り組みが必要なのか。
体験格差是正に取り組む団体である、公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事の今井悠介さん(以下、今井)へのインタビューを通じて、この重要な課題に迫ります。
子どもの「体験格差」とは?
ーー「体験格差」とはどのような問題なのでしょうか。
今井)「体験格差」とは、まだ学術的な定義はないのですが、子どもが自分で変えられない環境(例えば家庭の経済状況や住んでいる地域)によって、子どもたちが得られる体験に大きな格差が生じている状態です。ここでいう“体験”は、スポーツや文化的な活動、自然体験、社会体験など非常に幅広いものです。
私たちチャンス・フォー・チルドレンが独自に行った調査によると、世帯年収300万円未満の家庭では、実に3割の家庭の子どもが1年間に何も学校外で“体験”をしておらず、これは世帯年収600万円以上の家庭の子どもと比べると2.6倍以上に昇ります。
これまで低所得家庭への支援というと、食事や医療、教育など基本的な生活の支援がメインとなっており、こうした“体験”の支援はなかなか議論が進んできませんでした。
ーーどうしてこれまで体験機会の提供が置き去りにされてきたのでしょうか。
今井)まず、多くの人にとって子どものときのスポーツ経験や自然体験などの体験が身近すぎるため、意識されにくい部分があると思います。また、食事が満足に食べられない、学習の格差が如実であるなどの課題は広く理解されやすい一方で、体験が子どもたちに与える影響は長期的で多様なため、意義が曖昧になりやすいです。こういった点もあって、これまでなかなか議論が進んでこなかったと考えられます。
新しい世界への扉「体験機会の重要性」
ーー体験の機会が子どもにとって重要だと考える理由は何でしょうか?
今井)私たちチャンス・フォー・チルドレンは、東日本大震災後に子どもたちの学校外での学びを支える活動をしてきたのですが、その前身として1995年の阪神・淡路大震災をきっかけとした活動を行っていました。ボランティアとして最初は学習支援を中心に活動していたのですが、子どもたちからの要望で学校外でのさまざまな体験に連れていったり、不登校の状態にある子どもたちをキャンプなどに連れていったりしていました。
その活動を通して、今までとは違う人間関係の中で子どもたち自身が成長していく姿を見てきて、「体験というのは子どもたちの世界を広げていく力を持つ」のだと感じました。特に、不登校の状態にある子どもにとっては、学校以外での経験を通じて自信を取り戻して次に進む大きな一歩になったなと感じています。
ーー“体験”が子どもたちの成長や自信を持つことにつながるのですね。
今井)さらに、“体験”は学習にも良い影響があると感じています。私が子どもたちへの支援を始めた頃、経済的に厳しい家庭環境で育ち、私たちが予備校に通うための支援をしていた子がいました。10年後にその子と話す機会があったのですが、そのときに言っていたのが、自分の人生の原点は実は子ども時代のサッカーだったということでした。サッカーで出会ったコーチの言葉が今の自分の人生の指針になっているという話を聞いて、私は学びの原動力になっているものは、さまざまな体験の機会やそこで得られる人間関係がベースになっていることを強く感じました。
もう一つ、子どもに選択肢を”気づいてもらう”ことも体験の重要な意義です。沖縄の子どもたちを北海道に引率したことのある団体の話を伺ったことがあるのですが、せっかく普段とは違う体験ができる機会にもかかわらず、子どもたちはチェーンの飲食店やゲームセンターなどいつも行けるような場所にしか行かなかったそうです。子どもたちは自分の体験したことのある範囲でしか選択肢を想像しにくいので、体験が少ないと子どもたちの選択肢は増えませんし、選択肢があったとしても想像できなければ自分の選択肢だと捉えられなくなってしまいます。体験を通じて、好きなこと、嫌いなことを含めた幅広い選択肢を知ることで、自分のやりたいことを見つけることにつながると思います。
スポーツは”コスト”がかかる
ーースポーツにおける体験の格差はどういったものがあるのでしょうか。
今井)スポーツという子どもたちにとってポピュラーであるものは他の体験と比べても格差が生まれやすいです。スポーツに関していえば、特に用具と遠征費用が経済的にかさむ要因になっています。用具に関してはスポーツの種類によって変わってくる部分もありますが、サッカーならボールやスパイクが必要ですし競技によってはもっとたくさん用具が必要なものもあります。私が過去に会ったお子さんの中には、用具がいらないから部活動に陸上競技を選んだという子もいました。しかも、練習には参加するけれども、お金がかかるから試合には行ったことがないと。
また、遠征もかなりコストがかかります。試合は特に都市部で行われることが多いので、地方だと遠征費がかさむという都市部と地方の差もあります。
このように、スポーツをそもそも始める段階での用具などの経済的負担や、練習はできたとしても試合・遠征のための費用がかかるといった部分が家庭への負担となっています。
ーー経済的な負担以外にも家庭の負担となっていることはあるのでしょうか。
今井)子どもの体験には親の送迎が必要なケースが多いため、その時間も家庭の負担になりやすいです。例えばひとり親の家庭で親御さんが働くのに精一杯でそもそも時間が取れなかったり、時間はなんとか捻出できても体力的に厳しかったりといった状況があります。特に地域のクラブ活動などのスポーツでは、保護者が当番制でクラブに参加して運営のサポートをすることが必要な場合もあり、そういった面でも家庭の負担は大きいです。
ーースポーツはさまざまな点でコストがかかるものなのですね。それでも子どもたちがスポーツをやる意義についてどう感じていますか。
今井)一番に思うのは、スポーツは「子どもたちが夢中になれる時間」の一つだということです。スポーツなどさまざまな体験を通じて、好きなものができたり、自分の拠り所のようなものができたりすれば、その子ども自身をずっと支えていくものになっていきます。
また、人との繋がりを作ることもできます。スポーツを通じてこんな人になりたいとか、あの人なら自分のことを認めてくれるとか、いろんな人に出会えます。子ども時代の出会いはずっと子どもたちを支えていくものになるので、体験を通じて出会いを紡いでいくという意義は大きいと感じています。
子どもの”やりたい”と地域を結ぶ
ーーこういった体験格差の是正のためにはどういった取り組みが必要なのでしょうか。
今井)今までお話しした通り、体験格差にはさまざまな要因が絡み合っているのですが、やはり経済的な要因というのは無視できません。その意味で、より家庭への経済的な負担が少なくなるようにしていく必要があると感じています。ただ、重要なポイントはあくまで子どもたちがやりたいと思ったら参加できるという状態にすることです。一律に強制的に参加するプログラムがあっても、子どもがやりたいと思うかはわからないですよね。なので私たちは子どもたち1人に対して最大で年間10万円分の体験奨学金を無償で提供していて、地域のいろんなスポーツや文化芸術活動、自然体験等、子どもたちが参加したいと思った活動に参加できるようにしています。
また、ただ体験奨学金を渡すだけでなく、同時にコーディネーターと呼ばれるスタッフが子どもたちの選択をサポートしています。一緒に遊んだりしながら子どもの興味をヒアリングして、保護者の方と相談しながら子どもたちのやりたい活動につなげています。
ーー子どもたちと地域の活動をつなげていくことが大事なんですね。
今井)そうですね。私たちはこの体験奨学金事業を「ハロカル」と名付けていて、「ハローカルチャー」の略で子どもたちが新しい文化や世界に出会えるようにという意味と、「ハローローカル」の略で子どもたちが地域の人たちと出会っていくという意味を込めています。体験の機会が地域の人たちの手により生まれ続け、経済状況など家庭環境のハードルが取り払われていくことで、たくさんの子どもたちが体験に参加できる社会ができると思います。
ーー今後はさらにどういった活動に力を入れていきたいですか。
今井)子どもたちは、何かをやりたいと思えたとしても、それが叶わないという経験を繰り返す中で、自分のやりたいことを口にできなくなっていきます。その意味で、子どもたちがやってみたいと思ったことを素直に口に出せる、主体的に手を挙げられる社会を私たちは目指したいと思っています。
そのためには、やはり子どもたちにとっての体験の意義が見直されて、社会全体で子どもたちの体験機会を保障していく状態が必要です。体験に関しては、食料や教育と違って、必需品だと思ってる人もいれば、それは贅沢品だと思う人もいるという社会的合意がない状況があります。子どもたちに体験の機会を直接届けるという事業ももちろん大切ですが、一方で、ある種社会の価値観に訴えかけていく活動にもさらに力を入れて取り組んでいきたいです。
ーーありがとうございました。