野球

「伝えるだけでは社会は変わらない」元NHKアナウンサーのソーシャルアクション|誰もがヒーローになれる『ウルトラ・ユニバーサル野球」』

視線の動きやほんの少し指を動かすだけで、遠く離れた場所からでもバットを振ることができる。そんな夢のようなテクノロジーが、今、全国の難病や重度障がいのある人たちに“野球の喜び”を届けています。

この取り組みの立役者の一人が、元NHKアナウンサーで現在は一般社団法人ソーシャルアクションジャパン代表理事の内多勝康さん(以下、内多)。30年間にわたってニュースや情報番組の現場で“伝える”仕事を続けてきた内多さんは、ある日「伝えるだけでは社会は変わらない」と実感し、自ら福祉の現場に飛び込みました。

きっかけは2013年に担当した1本のテレビ番組。医療的ケアが必要な子どもたちと、懸命に支える家族の姿を取材するなかで、彼の心に火が灯ったといいます。そんな想いから生まれた、誰もがヒーローになれる『ウルトラ・ユニバーサル野球』の誕生秘話とこれからの未来についてお話を伺いました。

ウルトラユニバーサル野球5ウルトラ・ユニバーサル野球の様子、手前の白い円盤上にボールを置き回転のタイミングに合わせて黒いバットを動かして打ちます
Baseball5
「野球やろうぜ!」初心者から障がいのある方まで。野球の裾野を広げる一般社団法人ジャンク野球団の活動2001年は282万人だった小学生から大学生までの野球競技人口。ところが2022年には137万人と半数以下まで減少しました。 野球人口の回復は多くの野球関係者にとって切実な問題であり、それぞれがさまざまな方法で競技人口の回復に努めています。 今回はゴムボール1個で楽しめる「Baseball5(ベースボールファイブ)」を通じて、初心者や障がいを持つ方にも野球の楽しさを知ってもらう取り組みを行っている、一般社団法人ジャンク野球団の若松健太代表(以下、若松)に話を伺いました。...

医療的ケア児との出会い、きっかけは1本の番組から

ーーNHKアナウンサーをされていた内多さんが、ウルトラ・ユニバーサル野球に取り組むようになったきっかけを教えていただけますか?

内多)私は大学を出てすぐにNHKに入局し、アナウンサーとして30年間働いてきました。報道番組や生活情報番組などを担当しながら、並行して障がい福祉の分野にも関心を持って取材や番組制作をしていたんです。そのような中で、「医療的ケア児」の問題に直面しました。

ーー「医療的ケア児」という言葉を初めて知りました。

内多)現在は医療が進歩して、ひと昔前と比べて難病や重度の障がいのある子どもたちも入院や手術で命が助かるようになりました。日本はその救命率が高い国として世界でも認識されているのですが、一方で退院した後も人工呼吸器や痰(たん)の吸引などさまざまな医療ケアが必要な子どもたちもたくさんいます。そのような子どもたちを「医療的ケア児」といいます。

何が問題かというと、退院後に自宅に帰るわけですが、もちろん自宅には医師も看護師もいません。だから必要な24時間のケアをずっと家族が担うことになるんですね。私はそのような問題がまだ表立っていなかった2013年に、 NHKの番組『クローズアップ現代』で、30分の限られた時間でしたが「医療的ケア児」をテーマに取り上げて社会に発信するという経験をしました。

ーーメディアを通じて社会に問題提起されたのですね。

内多)ちょうどその頃、2016年に世田谷にある国立成育医療研究センターの中に、「もみじの家」という医療型短期入所施設が開設されるという計画が進んでいました。医療的ケア児とその家族を数日間受け入れて、24時間看護師がいる中で家族が休息できる施設です。

取材などを通じてご縁があったこともあり、この施設のハウスマネージャーとして関わらないかと声がかかりました。公募していたので私も応募した結果、採用となり今に至っています。

ウルトラユニバーサル野球1クローズアップ現代で「医療的ケア児」について語るNHKアナウンサー当時の内多さん

安定したNHKアナウンサーからの転職

ーーNHKアナウンサーというと安定した職業の印象を受けるのですが、なぜ転職する決断をされたのですか?

内多)2013年にクローズアップ現代で医療的ケア児の番組を担当して、一生懸命取材して放送したのですが、1回放送したくらいで社会的な課題が解決できるかというとまったくそんなことはなくて。もっと継続的にこの問題に関わりたいと思っても、アナウンサーという職業は日替わりでいろいろなネタを扱わないといけないから難しいんです。

そんな中で、もみじの家という医療的ケア児とその家族を支える施設ができるという話を聞いて。ここに仕事場を移せば継続的に深く取り組める、ソーシャルアクションを実行できると思いました。それが転職を決意した大きな理由ですね。

ーー社会課題の解決のために個人や団体が自ら行動を起こすというソーシャルアクションの考え方は、Sports for Socialが記事として取り上げる中でもとても大切にしています。

内多)私もソーシャルアクションという言葉が大好きで、やりがいと仕事が一致してアナウンサー人生を過ごすことができて幸せだと感じていました。若い頃は自分が発信したいテーマを取材して、提案が通れば番組にできて、やりがいを感じながら仕事ができていたのですが、50歳を過ぎた頃になると若手にその役割を譲らないといけなくなり、担う役割も変わってきます。

ーー職場である程度の年齢を重ねると、アナウンサーに限らずどこの職場でもこの問題はありそうですね。

内多)これまで触れてこなかったジャンルの番組も増えてきました。もちろんそれも大切な仕事ですし、任されること自体ありがたいことなのですが、「自分がこのテーマを伝えたい」という気持ちとのズレを感じ始めていたんです。諸先輩方の進む道も見ていましたので自分自身の定年までの道筋が見えてしまいました。もう一度自分が本気で関われる場所に行って仕事をしたいと思ったことも理由の1つですね。

ウルトラユニバーサル野球2医療型短期入所サービスを提供する「もみじの家」

「誰でもヒーロー」になれる野球、ウルトラ・ユニバーサル野球の誕生

ーー医療的ケア児と野球は関連性がないようにも感じるのですが、どのようにして繋がりウルトラ・ユニバーサル野球が誕生したのですか?

内多)ウルトラ・ユニバーサル野球は、障がい者が野球を楽しめるように工夫をこらした実物の20分の1の野球場を発明しユニバーサル野球としてすでに実践されていた堀江車輌電装株式会社の中村哲郎さんと、重度障がい者の視線入力を訓練するアプリ『EyeMoT(アイモット)』を開発されていた岩手県立大学の伊藤史人先生との出会いで生まれました。正直言うと僕は、お2人を繋げただけなんです(笑)。

もともとのユニバーサル野球に視線入力や遠隔リモートが加わったことで、ウルトラ・ユニバーサル野球という名前にしたという流れですね。

ーーもともと障がい者が楽しめるようにと開発されたユニバーサル野球の枠を超えた競技という意味でも、ぴったりのネーミングですね。

内多)第1回ウルトラ・ユニバーサル野球大会を2023年9月に開催し、全国に呼びかけましたがこのときは選手が13人しか集まりませんでした。実は私もアナウンサーの経験を活かして、実況として携わらせていただいています。

参加者が少人数なこともあり東西戦で1試合しかできなかったのですが、選手もご家族のみなさんも大変喜んでくださいました。重い障がいのある子どものことを、こんなに全力で応援できる日が来るとは思わなかったというご家族からの大きな反響もいただきました。

ーーそんな反響をいただけると、第2回大会も開催しようという気持ちになりますね。

内多)はい、本当にその通りで2025年の1月から3月にかけて第2回大会の準々決勝、準決勝、決勝と行ったのですが、参加選手が4倍以上になり参加チームも東北から九州まで9チームになりました。しかも、決勝は横浜市役所の公開イベントスペースで開催することができ、横浜のご縁で元横浜DeNAで選手・監督をされたラミレスさんも応援に来てくださるほど盛り上げることができました。

決勝も得点が19対18という接戦で大いに盛り上がり、第3回大会も開催しようということになっています。

ーーYouTubeで大会の様子を拝見したのですが、実況があるとリアル感が増してものすごく盛り上がりますね。

ーー第3回大会はさらに盛り上がるような感じがしていますが、実際にどのくらい参加選手が集まっているのですか?

内多)今年2025年の8月から9月にかけて開催を予定していまして、参加選手は130名、参加チームも倍増して18チームほどになっています。これだけの規模になってくると準備も大変で、実況も大丈夫なのかと心配なところもあるのですが、これだけ広がりがあることがまずは嬉しいですね。

これまでは小規模の活動だったこともあり任意団体で活動してきたのですが、この第3回大会からは一般社団法人ソーシャルアクションジャパンという法人を立ち上げ、大会主催者として活動していきます。

ウルトラユニバーサル野球4大会で実況する内多さん(右)と伊藤先生(左)

インクルーシブスポーツの可能性、海外展開も視野に

ーーウルトラ・ユニバーサル野球に参加することで、選手やご家族のみなさんにはどのような変化があったのでしょうか?

内多)野球を楽しむということが1番の目的ではあるのですが、選手たちはプレイすることを通じてパソコンのスキルを身につけたり、視線入力アプリの練習にもなったりと副次的な効果があります。その中でも野球はチーム競技ということで、コミュニケーションが豊かになるということは大きく感じています。大会以外のときでもLINEグループで選手たちが繋がり交流が生まれていて、繋がりや広がりをつくれていることはとても嬉しいです。

実際に負けて悔し涙を流す選手もいて、お母さんが「この子が悔し涙を流す姿を初めて見ました」と言われていたことをとても覚えています。重度の障がいのある子どもたちは、限られた活動になるので日頃適切な刺激が足りなくなりがちです。だから、心の動きを大きく感じる機会があることは、その子が成長する過程でもとても大切なことだと感じています。ウルトラ・ユニバーサル野球は、本当の野球やスポーツと同じくらい感情も大きく動かすことができるインクルーシブなスポーツだと思いますね。

ーーまさに誰もが参加できるインクルーシブなスポーツですね。また心の成長という点でも、とても大きな意味がありそうですね。

内多)選手が本気で挑戦することを、ご家族みなさんが本気で応援することに大きな意味があると思います。選手もこの大会をベストコンディションで迎えたいので、本番で眠くならないよう服用している薬のタイミングを調整するなど、思考が本当の野球選手みたいですよね。

大会に参加する前は体調も良くなく乗り気ではなかった子も、参加後に感想を聞いてみると「心が元気になった」と言ってくれて。この言葉は本当にすごくいい言葉だなと思いましたし、もちろんヒットやホームランだけでなくアウトになって思い通りに進まない中で、こんな感想を抱いてくれたことが嬉しいし感動しました。

心が元気になったり前向きになったりと、この大会がそういう力を持っているなら、僕としてはずっと開催し続けたいです。

ウルトラユニバーサル野球3第2回大会に出場した神奈川県チームの選手と応援するご家族

ーー最後に、内多さんご自身がこれからのウルトラ・ユニバーサル野球に期待されていることを教えてください。

内多)このウルトラ・ユニバーサル野球を現地やYouTubeでご覧になった方に、周りが環境を整えることによって障がいのある人もいろいろなことができるんだ、そんな時代になったんだと認識を変えてもらえると嬉しいです。たとえば、自社で環境をこんなふうに整えると障がいのある人も社員として雇用できるんじゃないのかなど、発想を大きく変えるきっかけにしてもらえたらと強く思っています。

そのためにも、ぜひ選手たちがウルトラ・ユニバーサル野球をしている様子を見てほしいです。第3回大会の準決勝と決勝は国立成育医療研究センターの講堂で開催しますので、9月20日(土)、21日(日)はぜひお時間ありましたらいらっしゃってください。もちろんYouTubeでも配信します!

ーー近い将来に海外展開もありそうですね!

内多)誰でもすぐに楽しめるのが特徴ですので、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のような形でも開催しようと準備しています。そのあたりもぜひ楽しみにしていてください!

ーー「心が元気になった」。内多さんの言葉にあったように、ウルトラ・ユニバーサル野球は、プレーする本人だけでなく、それを見守る家族や関係者の心にも変化をもたらすスポーツです。野球というフィールドが誰かの生きる力になる。Sports for Socialでは、そんな瞬間をこれからも追いかけ伝えていきたいと思います。

sylphid
大和シルフィードが“インクルーシブなスタジアム”を実現するために|現地レポート「インクルーシブ」という言葉が、多くの場所で聞かれるようになりました。障がいの有無や年齢・性別に関わらず、誰もが楽しめる場所を作りたい。さまざまなスポーツチームでも、この「インクルーシブ」をテーマに多くの活動が行われています。 なでしこリーグに所属する大和シルフィードもそうしたクラブの1つです。10月12日(土)に行われたプレナス・なでしこリーグ2部第20節のホームゲームは、『インクルーシブスタジアムDAY』として誰もが楽しめるスタジアムとして開催しました。 多くの観衆が集まる『大和なでしこスタジアム』での、インクルーシブなスタジアムをつくるための実際の取り組みと、見えてきた課題についてレポートします。...
verdy
「世界一インクルーシブなクラブへ」東京ヴェルディの描く未来1969年に日本初のプロサッカークラブを目指して創設され、Jリーグ初代チャンピオンなどの黄金期を築いたのち、長い雌伏の時を経て2024シ...
球舞1
「福祉×FOOTBALL」で目指す誰も排除されないインクルーシブな社会〜サッカーは障がいを網羅する〜フットボールエンターテイメント集団「球舞-CUBE-」メンバーのTo-ruとしてパフォーマンスを披露しながら、社会福祉士として働く浅井徹さん。「福祉×FOOTBALL」の想いと実現させたい2050年の社会の姿に迫ります。...
ブレス浜松
スポーツのまち・浜松の未来とは?|スポーツが生む地域の絆 ブレス浜松応援インタビュー vol.7女子バレーボールチーム『ブレス浜松』がホームタウンとする浜松市。2023年にはスポーツを通じた地域活性化に関する協定を両者が締結し、スポ...

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA