2001年は282万人だった小学生から大学生までの野球競技人口。ところが2022年には137万人と半数以下まで減少しました。
野球人口の回復は多くの野球関係者にとって切実な問題であり、それぞれがさまざまな方法で競技人口の回復に努めています。
今回はゴムボール1個で楽しめる「Baseball5(ベースボールファイブ)」を通じて、初心者や障がいを持つ方にも野球の楽しさを知ってもらう取り組みを行っている、一般社団法人ジャンク野球団の若松健太代表(以下、若松)に話を伺いました。
耳慣れない競技、Baseball5とは
ーーBaseball5というあまり聞かない競技に取り組まれているとのことですが、これはどのようなスポーツでしょうか?
若松)少し上の世代であれば、「手打ち野球」を思い浮かべてもらえたらイメージがつくと思います。使う道具はゴムボールだけで、バッターは自分の手でボールを打ちます。1チーム5名で男女2人以上を入れる必要があり、5イニングで多く得点したチームが勝ちとなります。また3セットマッチが基本で、先に2セットを取ったチームが勝利というルールです。
ーー一般的な野球と比べて、どのようなところがBaseball5の魅力になりますか?
若松)まず展開がスピーディーで、1試合が20分ほどで終わります。バットやグローブを使わないため、野球経験がない人でも楽しめることも特徴ですね。年齢の低い子たちはもちろんですし、障がいを持った方もプレーできます。車いすの方が楽しそうにプレーしたこともあります。
それから最近は「ジェンダールール」というものができました。例えば1セット目が男性3名女性2名というチーム編成だった場合、2セット目は男性2名女性3名という男女の構成比を変えなければならないというルールです。これによって対戦相手と、セットごとのチーム編成の駆け引きが生まれました。
ーーなるほど。まだあまりメジャーな競技ではないように思いますが、そもそものBaseball5との出会いについて教えていただけますか?
若松)どこから話せばよいのか迷いますが、まずは「ジャンクベースボールクラブ(現 一般社団法人ジャンク野球団、以下ジャンク)」というチームの成り立ちから言わせてください。僕自身はたいした選手ではなかったのですが、学生時代は北海道で野球をしていました。
そして大学進学を機に上京したのですが、足首のケガがあり大学での野球を断念した経緯があります。そこで「東京でしかできないことをしよう」とアルバイトをはじめたのですが、友だちから「草野球をしないか?」と誘われ、焼き鳥屋さんのチームに入れてもらいました。その活動だけでは飽き足らず、もう1チームにも入って掛け持ちで野球に明け暮れるようになったのです。
卒業後、鍼灸などの資格を取るために北海道へ戻るのですが、そこでも草野球チームを探してプレーしました。ところがチームの方針と合わず、当時の仲間たちと7人で作ったチームが「ジャンク」です。2003年、アテネオリンピックの年でした。
すべての始まりは「ジャンクベースボールクラブ」
ーージャンクですか?
若松)はい。皆さんご存じのスポーツバラエティー番組がありますよね。ちょうどその番組が始まった頃で、よいフレーズだと思い、意味を調べてみました。すると「ガラクタ」。ジャンクフードという言葉もあり、「野球が下手くそでも集まればおもしろいことができる!」という考えにつながってこのチーム名になりました。その後、僕が楽天ゴールデンイーグルスの臨時トレーナーをしたことがキッカケで、聖澤諒くん(現楽天イーグルスアカデミーコーチ)と仲良くなり、彼がいろいろな野球経験者をジャンクに紹介してくれるようになったのです。
そうして甲子園を経験した社会人たちが入るようになり、草野球界で強豪と呼ばれるチームにまで成長しましたが、根底にあるのは「とことん野球を楽しもう」「野球界になにかしらの貢献をしよう」。そして「ジャンクで野球をすることで、メンバーたちの人生ももっと楽しくなるようにしよう」という想いです。そのような活動を続けていくなかで、長らく女子野球界で活躍していた六角彩子さんとの出会いが生まれました。これが僕とBaseball5の関わりの始まりです。
ーー具体的に教えてください。
若松)六角さんは世界野球ソフトボール連盟(WBSC)に日本人で唯一選出された「Baseball5(Baseball5)」公認インストラクターです。楽天時代の知り合いが務めていた「ベースボールわくわく塾」で六角さんがコーチをしていたこともあって話が弾み、Baseball5の指導をしに、ジャンクの練習へ来てくれることになりました。そこから一緒にBaseball5の普及活動をするようになり、東京オリンピック・パラリンピックの期間は「2020 FAN PARK」というイベントに参加して、たくさんの方に体験してもらいました。
誰もが全力で楽しめるBaseball5のよさを再確認
ーーその後も普及活動は続きますよね。
若松)そうですね。まずは大会の実績ですが、2022年7月のアジアカップ代表決定戦は本来、1位は東京ヴェルディバンバータ、2位に5Stars(六角さんのチーム)、3位がジャンクでした。ところが東京ヴェルディバンバータが諸事情によって順位を取り消されたため、繰上げで1位に5Stars、2位にジャンクという結果になったのです。その後六角さんから連絡をいただき、ワールドカップ出場チームのセレクションをすることになりました。その結果、ジャンクの選手たちも日の丸を背負って出場できることになり、僕も代表コーチとして帯同し準優勝することができました。「侍JAPAN」として日本代表のユニフォームを着て戦えたこともよい経験になりましたね。
ーー他にはどのような活動をされているのですか?
若松)『ユニオンソーシャルシステム株式会社』という、ジャンクにスポンサーとして関わっていただいている会社があります。ここは障がいを持った方たちを社員として雇い、野球の硬式ボールを制作しています。なかでも“硬式ボールの再生球”というリサイクル事業をされていることは、野球界にとって大きな活動だと感じています。
ここは山形県の新庄市に本社があるのですが、何度かそこの健康レクリエーションイベントに呼んでいただいたことがあります。そこでBaseball5をしたのですが、選手たちがとても楽しそうにプレーするのです。車いすの方はカラーコーンの上にボールを置いて打つなど工夫も生まれて。さらに試合を重ねるうちに、応援する方々もお手製のボンボンを作ってくるなど、その場にいる全員が一体となって楽しんでいる空間を体験できました。
それから小学校を訪ねる活動もしています。よりルールを簡略化するなどの工夫が必要ですが、ここでもすごい盛り上がりを感じています。「野球が上手な子が活躍するとは限らない」「男女の差がほとんどない」といったこの競技ならではのよさも、こうした盛り上がりの要因でしょうね。こうした活動は今度も続けていきたいと思っています。
野球を通じて人生をより楽しいものに
ーー今後ジャンクとして、そしてBaseball5としての目標を教えてください
若松)やはりジャンクとしての目標は、結成当時から変わらない「野球を楽しむこと」です。あえてジャンルにすると「草野球」です。けれども、このことを改めて教えてくれたのは、Baseball5を通じで出会ったプレーヤーの方々やスタンドから応援してくれる方々の姿です。そのため、楽しさを知ってもらうキッカケとしてBaseball5を広めていきたいですし、そこを入り口にして従来の野球につながることが理想です。
それから、Baseball5は障がいを持った方でも十分に楽しめる競技であることを肌で感じています。ですから、パラリンピックの公式種目やメジャーな障がい者スポーツとしての地位が確立できるような活動を続けていきたいと思います。
ーー最後にこの記事を読んでいただいた方にメッセージがありましたらお願いします。
若松)最後まで読んでいただきありがとうございます。皆さん、まずはBaseball5を体験してください。ルールやプレーの仕方がわからなければ、僕らにできるお手伝いはいくらでもさせていただきますので、一般社団法人ジャンク野球団まで連絡をいただけたらと思います。ぜひ一緒に野球を通じて、人生をより楽しいものにしていきましょう!
若松健太(わかまつ・けんた)
プロフィール
桜美林大学准教授・一般社団法人ジャンク野球団GM兼代表・侍ジャパンBaseball5 日本代表監督
大学卒業後、国家資格(はり師・きゅう師、柔道整復師)取得や大学院進学。医療業界(整形外科、整骨院など)やトレーナー(国体やプロ野球など)として10年以上勤務。その後大学教員として学生を指導している。スポーツ指導歴として代表的なものは、アーバンスポーツ『Baseball5』第1回ワールドカップ(メキシコ)では日本代表コーチとして、第2回ワールドカップ(香港)では日本代表監督として帯同する。野球をはじめとするスポーツの普及活動に尽力している。
■関連ホームページ(各名称をクリック)
一般社団法人ジャンク野球団
Baseball5 JAPAN
ユニオンソーシャルシステム株式会社
写真提供:一般社団法人ジャンク野球団