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「仕事と競技の両立が未来を拓く」東北エプソンが支える、2025東京デフリンピック出場・齋藤丞選手|山形県酒田市から世界への挑戦

東北エプソン

山形県酒田市に拠点を置く東北エプソン株式会社

同社に所属する齋藤丞(さいとう・たすく)選手は、2歳で重度の難聴と診断されながらも中学時代に陸上と出会い、「走るって楽しい」と感じた当初の想いを原点に挑戦を続けてきました。2025年東京デフリンピックの日本代表に選ばれた今も、地元で働きながら練習を重ねています。

「地元に恩返しがしたい」と語る齋藤丞選手(以下、齋藤選手)の想いと、「社員の挑戦は会社の力になる」と語る東北エプソン株式会社・齋藤学社長(以下、齋藤社長)。2人の想いの先にある地元・酒田市と東北エプソンの未来の姿について、お話を伺いました。

「地元・酒田から世界へ」人生を変えた陸上との出会い

ーーまずは、齋藤選手の生い立ちや幼少期について教えてください。

齋藤選手)私は、生まれたときからずっと地元の山形県酒田市で暮らしています。幼少期の記憶を振り返ると、やはり友達と過ごした時間が印象に残っています。小さい頃から物作りや運動が大好きで、家にいるときはレゴに夢中になり、外に出れば暗くなるまで公園で走り回る日々でした。気がつくといつも時間を忘れてしまい、親からはよく怒られましたが、今となってはそれも含めて貴重な思い出です。

ーーとても活発な子ども時代だったのですね。耳が聞こえない中での日常生活は大変なことも多かったのではないでしょうか。

齋藤選手)幼稚園のときから中学3年生まで、長い間「口話」の学習を続けてきました。幼い頃の自分にとってはとても大変でしたが、繰り返し練習を積み重ねることで、言葉を通じて相手に自分の想いを伝えられるようになりました。今ではスムーズに会話できるようになり、大人になってからは少しずつ手話も覚えています。聴覚に障がいのある方々との手話でのコミュニケーションを通じて、今もなお成長を感じています。

ーー陸上競技との出会いについても伺わせてください。

齋藤選手)小さい頃から“走ること”自体が大好きだったのですが、姉の影響もあり、小学1年生から中学3年生まで水泳を続けていました。そんななかで大きな転機となったのが、中学3年生のときに出場した東北地区聾学校体育大会の3000m走でした。

その大会で、なんと大会新記録を更新することができたんです。思いがけない結果でしたが、それが自分にとって大きな自信につながりました。「もっと本格的に陸上競技に取り組んでみたい」と心の底から思うようになった瞬間でした。

ーーまさに人生の分岐点ですね。

齋藤選手)はい。その想いを胸に、高校では駅伝部に所属しました。水泳から陸上へと転向する決断は、自分にとっても大きな挑戦でしたが、“走る楽しさ”を知ったことで自然にのめり込むことができました。新しい環境の中での努力や、仲間との切磋琢磨が、今の私を支える基盤になっています。

私の強みは「人と話すのが好きで、いつも笑顔で人を引き込み、仲良くなること」です。駅伝は個人の力も重要ですが、それ以上にチームワークが大切になるので、改めて振り返ってみると私に向いている競技だと思います。

tohokuepson4仲間と切磋琢磨し”走る楽しさ”に気づいた酒田南高校・駅伝部時代の齋藤選手

大切なことは「リスペクト」、齋藤選手の強さの原点

ーーデフ陸上だからこその特徴や難しいことはありますか?

齋藤選手)デフ陸上に限らず、デフ競技では試合中は補聴器や人工内耳を外さなければなりません。つまり、完全に音のない静寂の中で走ることになります。音がないと、自分の体のバランスを保つのが難しくなったり、走っているときに感覚がずれてしまうことがあります。

その対策として、日々の練習では体幹トレーニングを積極的に取り入れたり、体で“いい走り”の感覚を覚えて、音がなくても安定した走りができるように工夫を重ねています。簡単ではないのですが、だからこそ練習の成果を実感できたときにはとても嬉しいです。

ーー耳が聞こえないことによる困難を、努力と工夫で乗り越えているのですね。一方で、「耳が聞こえないからこそ得られた強み」もあると思いますが、それについてはどう感じていますか。

齋藤選手)耳が聞こえない分、私は人や物を“よく見る力”が自然と養われました。相手の表情や仕草、周囲の状況を観察し、先のことを考えて瞬時に判断する力が身についています。これは日常生活でも競技でも大きな強みになっています。

職場でも相手の表情や動きをしっかり見て理解するように心がけているので、おかげで円滑なコミュニケーションが取れることも多いです。聞こえないからこそ学んだことを、競技や社会生活の中で活かせていると感じます。

ーーお話しを伺っていると、「陸上競技が好き」という想いが伝わってきます。齋藤選手にとって、陸上競技の魅力とは何でしょうか。

齋藤選手)練習だけではなく、仲間とのコミュニケーションが私にとっての陸上競技の魅力です。とくにデフ陸上の仲間同士のつながりは強く、練習や合宿では仲間と過ごす時間が楽しくて、それが練習へのモチベーションになっています。

また、私は陸上競技をする上で、相手選手や仲間のことをリスペクトすることをとても大切にしています。この信念を持って競技を続けてきたからこそ、前を向いてここまで成長することができたと感じています。

ーー2025年東京デフリンピックの出場権を獲得しました。出場が決まったときの気持ちはどうでしたか。

齋藤選手)発表を聞いた瞬間、自然と涙が出てしまうくらい、言葉にならないほどの感情がこみ上げました。これまでの人生でずっと目標にしてきた舞台でしたので、夢が現実になったときの喜びは本当に大きかったです。さらに姉や従兄弟も一緒に出場できることが決まり、嬉しさが何倍にも膨らみました。家族と同じ目標を持ち、一緒に挑戦できることは本当に幸せなことです。

tohokuepson3仲間同士で楽しい時間を過ごすことも練習のモチベーションに繋がります(写真前列中央:齋藤選手)

「多様性を力に、地域と歩む」東北エプソン流の挑戦

ーーここからは、齋藤社長にお話を伺います。まず、東北エプソンにとって齋藤選手の存在をどのように捉えていらっしゃいますか。

齋藤社長)弊社は2,000人を超える社員が働く比較的大きな会社ですが、社員1人ひとりが仕事だけでなくさまざまな場面で活躍してくれることを願っています。齋藤選手がデフリンピックに出場し、世界に挑戦することは、まさに社員全体の励みになる出来事です。

実は、会社として「全国大会に出場できる社員がいれば、積極的に奨励し、サポートしよう」と以前から考えており、手当や準備の仕組みも整えてきました。そうした中で今回、国際大会、しかもデフリンピックという世界的な舞台に出場する社員が現れたことを、心から誇りに思っています。

社内でも大きな話題となり、社員一同、応援の気持ちで盛り上がっています。こうした雰囲気は、周囲の社員にとっても良い刺激となり、挑戦する姿勢や一体感の醸成につながっています。その積み重ねが組織力の向上を促し、企業全体の力となっていくと確信しています。

ーー東北エプソンはダイバーシティや障がい者雇用にも力を入れていると伺いました。その背景や考えを教えていただけますか。

齋藤社長)エプソングループでは、誰もが能力を最大限に発揮できる職場づくりを目指し、ジェンダー平等や障がい者の活躍支援など、多様性を尊重した取り組みをグローバルに推進しています。業務内容や職場環境においては、個々の状況に応じた合理的配慮を行い、働きやすさと成長の機会の両立を図っています。

グループ全体で法定雇用率を遵守しながら、障がいのある方が活躍できる場の拡充にも力を入れています。東北エプソンにおいても、身体に障がいのある方を採用し、業務内容を工夫することで、それぞれの能力を活かせる環境づくりに取り組んでいます。

たとえば、齋藤選手は「健常者と同じ基準」で採用しており、入社してからも生産活動にしっかり携わり結果を出してくれています。彼は入社から能力伸長に取り組み、実力をつけてきています。本人の努力の賜物ですが、障がいの有無にかかわらず生産に寄与いただき、職場でも正当に評価されていると思います。

tohokuepson2齋藤選手が勤務している山形県酒田市を拠点とする東北エプソン株式会社(写真左:齋藤社長、写真右:齋藤選手)

ー「特別な基準」を設けて評価や判断をしているわけではないのですね。

齋藤社長)そうですね。障がいがあるからといって特別な基準を設けて評価するのではなく、一人ひとりの特性を理解し、その力を発揮できる場をつくることが大切だと考えています。これは、すべての社員に共通して言えることです。人にはそれぞれ得意・不得意や個性があり、その特徴に応じた仕事を任せることを促し、結果として会社全体の成長につながっていくと考えています。

ーーCSR(企業の社会的責任)の取り組みにも積極的と伺いました。酒田市との関わりについてお聞かせください。

齋藤社長)東北エプソンは酒田市で事業を始めてから40周年を迎えました。私はここで長く働いてきた経験もあるので、地域との結びつきを強めることが自分の役割だと考えています。酒田市とは事業連携協定を結び、少子高齢化や人口減少といった地域課題に対して、協働で取り組んでいます。弊社では、地域の持続可能な発展に向けて、Uターン・Iターンの促進による人材の呼び戻しをはじめ、女性が働きやすい地域づくり、多様な人材の受け入れ、自然環境の保全や森林の維持、防災対策の強化など、幅広い分野で地域と連携した取り組みを進めています。

さまざまな課題がある中で、地元の雇用の受け皿となることはもちろんですが、国際大会に挑戦する社員が地元企業にいるということは、地域にとっても非常に明るい話題だと思います。今回、齋藤選手がデフリンピックに出場することをきっかけに、東北エプソンという会社が、地域に勇気や希望を届けられる存在として、さらに成長していけたらと願っています。

「ゴールではなく、始まり」東京デフリンピックから未来へ

ーーあらためて、東京デフリンピックに向けた意気込みや目標を教えてください。

齋藤選手)私にとって今回が初めてのデフリンピック出場になります。目標は決勝進出で、自分のベストを超えるパフォーマンスを発揮できればメダル獲得も見えてくると思います。世界の舞台で戦うことは初めての経験ですが、結果だけではなくたくさんの新しい発見や多くの刺激を受けることを楽しみにしています。

ーー仕事への想いについてはいかがでしょうか。

齋藤選手)働くことも、私にとって大切な生きがいです。日々の業務を通じて仲間と協力し、誰かの役に立てることが嬉しい。だからこそ「競技と仕事の両立」を大事にしています。どちらか一方では物足りなくて、両方があるから毎日が充実し、自分らしくいられると感じています。

ーーその両立を実現できているのは、東北エプソンという環境があるからでしょうか。

齋藤選手)はい、東北エプソンだからこそ、競技と仕事を両立できていると強く感じます。入社を決めた理由のひとつも、練習環境と仕事を両立させることが可能だと感じたからです。実際に働いてみても、社内の理解とサポートのおかげで安心して競技に取り組むことができています。

入社当初はコミュニケーションに不安がありましたが、同僚の皆さんがゆっくり丁寧に話してくださり、困っているときには自然に声をかけてもらえました。そのような関わりを「特別なこと」ではなく「当たり前のこと」として行ってくれる姿が本当に心強かったです。

tohokuepson1「ゴールではなく、新しい挑戦の始まり」と東京デフリンピックへの意気込みを語ってくれました

ーー最後に、東京デフリンピック後の将来についての考えもお聞かせください。

齋藤選手)これからも競技と仕事の両立を続けながら、自分らしく成長していきたいです。競技では世界で経験を積み、限界に挑戦し続けたい。仕事では少しずつできることを増やし、周囲の方々に安心感を与えられる存在を目指したいです。そして、その姿が誰かの「自分も頑張ってみよう」という勇気や希望につながればとても嬉しいです。

東京デフリンピックはゴールではなく、新しい挑戦の始まりです。

ーーありがとうございました。

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