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車いすテニス・大谷桃子「ひとりじゃない」

大谷桃子(全仏)

車いすテニス選手で東京パラリンピックで見事銅メダルを獲得した大谷桃子選手(以下、大谷)。

2020年全仏オープンでの準優勝など、車いすテニス界を牽引する存在として活躍する彼女に、パラリンピックの感想や海外転戦での暮らしなどについてお話を伺います。トップアスリートとして厳しい世界に身を置きながら、拠点とする佐賀県での学生との関わりや、まわりの人との関係性など、彼女の人柄が見えるインタビューです。

「今までにない嬉しさ」と「もっとできた悔しさ」

ーー初めて出場された東京パラリンピックでの銅メダルおめでとうございます!まずは、パラリンピックの感想を教えてください。

大谷)メダルを獲得した瞬間には、今まで味わったことない感動や嬉しさを感じました。ですが、上地選手と目指してきた色ではなく、満足できる結果ではなかったと思います。
上地結衣選手と国枝慎吾選手と一緒にメダリスト会見させていただいたとき、お2人の偉大さを改めて身近で感じました。

嬉しかったのはメダルを獲得した当日だけで、あとは「もっとできたんじゃないか」という悔しい思いばかりでしたね。

ーーパラリンピックを通して、車いすテニスの競技のことや大谷さんのことなど、周りからの見る目が変わった実感はありますか?

大谷)私が車いすテニスをしていることは知っていたけれど、プレーは見たことがなかった方から、パラリンピックを通して「初めてプレー見たよ!」という連絡はたくさんいただきました。
パラリンピックを見て、「車いすテニスをもっと見たい!」と思ってくれる友達も増え、4大大会のグランドスラムを放送している「WOWOW」に加入して見るようになったと連絡をくれた友人もいて、すごく嬉しかったです。

2019全日本テニス選手権㈰

車いすテニスとは?

ーー車いすテニスは、どのような大会形式なのですか?

大谷)大会の成績によってポイントが与えられて、1年の累積でランキングが決まる仕組みです。参加する大会は基本的に自分とコーチで判断して決めます。
車いすテニスは1月から12月まで試合があり、「オフシーズン」はありません。今年は12月に休みをつくって休めるようにしました(笑)

ーーコロナ禍では大会がなくなったり、大変ではありませんでしたか?

大谷)コロナ前は、月に1、2回海外遠征に行く生活を送っていましたが、コロナの影響で、海外の大会はほとんどなくなってしまいました。ですが、他競技と比べると、まだ開催されている方だと聞いています。

今(取材時点)日本での国際大会は、緊急事態宣言や入国制限などの影響でほとんど開催されておらず、国際大会としてではなく、ポイントのつかない国内大会として開催する方向になっていることもあります。

日本と海外、それぞれで感じる大変さ

ーーこれまで世界をたくさん回られてきたなかで、何か大変さを感じることはありましたか?

大谷)大会中はホテル住まいが多いのですが、海外ではトイレの便座やベッドは高さがあり、乗り移りが難しいです。ただ、アメリカのホテルはスペースが広く、車いすで生活しやすい印象があります。
一方で、日本は比較的狭いところが多く、車いすで移動しにくいと感じることが多い気がします。いま生活している賃貸マンションも、「バリアフリー」と紹介されていながら、一度車いすから降りなくてはいけない場所もあります。

日本と海外、それぞれで別の大変さを感じますね。

――逆に、大谷選手が快適だと感じたりすることはありましたか?

大谷)アメリカの大会(Midwest Wheelchair Tennis Championships)に参加した際に泊まったホテルでは、車いすを利用する人がプールに入るのをサポートする昇降機が付いていて、その大会が好きになりました(笑)
周辺のホテル2,3箇所に泊まったことありますが、そのすべてに昇降機が設置してあり、「当たり前さ」にすごく驚きました。

大谷桃子

“今の自分”があるのも、“また繋がれた”のも車いすテニスのおかげ

ーー車いすテニスを始めることになって、「スポーツの価値」を感じた出来事はありましたか?

大谷)車いす生活になってから、私は半年ほど引きこもっていました。それを見かねた父が、車いすテニスが行われている場所に連れて行ってくれたんです。
そこから一歩踏み出せるようになったという面では、車いすテニスに出会えたからこそ「今の自分」があると思っています。

車いす生活になり、それまで関わってきた人と会いたくないという気持ちが生まれ、連絡を取らなくなった人はたくさんいました。ですが、私が車いすテニスをしていることを知って連絡をくれたり、パラリンピックに出場したとき「明るく元気に過ごしているのを見て安心したよ」という言葉をかけてくれた人もいました。
「また繋がることができた」というのは、車いすテニスをしていたおかげだと思います。

ーー2020年はインターハイ(全国高校総合体育大会)が中止になりました。その際、大谷選手は高校生に「今できることに集中し、挑戦の気持ちを忘れない」というメッセージを出されていましたね。パラリンピックを終えた今、何か若者に対して伝えたいメッセージはございますか?

大谷)以前は、「私が言ったところで、大会がなくなったり練習ができなくなっている学生たちの気持ちを、全て理解することはできないのではないか」とすごく悩みました。
でも、私も車いすユーザーになってから苦しい思いをし、乗り越えなくてはいけないこともあったからこそ、伝えようと思いました。

もちろん私と環境は違いますが、「未来はあると信じて、この難しい状況をみんなで乗り越えていけたら」と伝えたいです。

ーーご自身より若い方々と関わるなかで、違いを感じることはありますか?

大谷)地元・佐賀では市営のコートで練習していて、佐賀県内の学生とは隣でプレーすることもよくあり、仲良かったりするんです(笑)
自分たちの大会がなくなってしまっても、私がグランドスラムに行くことを喜んでくれたり、「試合見ました」とメッセージをくれたり、私が高校生だったら自分が苦しいときに他人のこと思えたかなと。

大学のスポーツ推薦が関わる高校3年生など、大会に出場したかった子たちは、普通なら目標を見失ってしまうと思います。そんななかでも、毎日、元気にトレーニングを励んでいる、そういうこと1つ1つに尊敬しかないです。

2020合宿

フランクな「荷物持とうか?」

ーー大谷選手は普段車いすで生活されています。何かこういうことをサポートしてくれるのは嬉しいなということはありますか?

大谷)すごく簡単なことで言えば、私は握力が弱いので、ペットボトルのフタを開けてもらえると助かります。友人や会社の同僚は、飲み物を渡してくれるとき、当然のことのようにフタを開けて渡してくれる人ばかりで、すごく助かっていますね。

飲み物を買ったタイミングで「開けてもらっていいですか」と言ったときは、「気づかなくてごめんね」と言ってくださり、それ以降は覚えていただいたりすることで、普段から助けてもらっています。

――人によっては気づけないこともあるので、直接的なコミュニケーションが大事なのですね。

大谷)実は私、車いすを押されるのが苦手なんです。
というのも、車いすユーザーになってすぐの頃、後ろから押してくれる人が私の足元を見ておらず、壁にぶつかってしまうことがありました。足にアザがたくさんできた思い出があって、少しトラウマになっています。

人それぞれ、障がいも、手伝ってほしいことも違うので、結局は自分たちからのコミュニケーションが必要かなと感じています。

ーー「手伝いましょうか」と声をかけてくれる人が多いと思うのですが、大谷選手としてはどういう声が嬉しいですか?

大谷)手伝ってもらった方がもちろんありがたいのですが、「やってあげてる感」を感じてしまうと、どうしても「大丈夫です」と言ってしまいがちです。
海外では「荷物持とうか?」というようなフランクな雰囲気で言われる方が多く、そんな言い方が日本でも広がっていけばいいなと思っています。

ーーなるほど!単純に、周囲の人への気遣いとして自然にお手伝いができるといいですね!

宣材

「車いすテニスを習える拠点を佐賀に!」

ーーお話を聞いているなかで、「みんなで乗り越える」「苦しいときはみんなで頑張る」というような想いを感じました。

大谷)市営のコートを借りていることもあり、おじいちゃんおばあちゃんや車いすテニス仲間の存在を身近に感じ、「ひとりじゃない」と思うことがたくさんあります。多くの人がコロナ禍で“孤独”を感じてしまっている今だからこそ、「ひとりじゃないよ」と伝えられたらいいなと思います。

ーー勇気をもらっている部分もありながら、彼女たちも大谷さんの活躍から勇気をもらっていることがお互いにあると思います。

少なくともパリ五輪までは車いすテニスを続け、金メダルを取ることを目標にしています。

それと同時に、佐賀に車いすテニスを習える拠点を作ることも直近の目標です。
九州内、特に佐賀では、車いすテニスを練習できる場所がなく、ジュニアの選手たちは関東に流れてしまっています。九州内に車いすテニス人口を増やしていくためにも、頑張っていきます。

ーー九州にも拠点があることはすごく大切だと思います。

パリまでには作りたいですね。九州は雨が多く、雨が多い時期は練習がままならないことがよくあります。(コンクリートの)ハードコートで練習することが多いのですが、インドアでプレーできる場所が1つもないので、屋根付きの練習場をつくりたいなと思っています!

ーーありがとうございました!

 

かんぽ生命のアスリート社員である大谷選手

かんぽくん

アスリートの社員雇用を検討していたかんぽ生命は、日本車いすテニス協会のトップパートナーでもあることから、大谷選手の将来性を感じ、活動を支援したいと声をかけたとのこと。

「実際に試合も見てくださった上で、ぜひお願いしますと言ってくださった」ことが入社の決め手になりました。

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