スポーツを通じた国際協力を担う『JICA・青年海外協力隊スポーツ隊員』。ときには、そのスポーツの普及や人気、環境が十分でないところへ派遣され、スポーツを通した青少年の育成を担う隊員もいます。
今回は、アフリカ・ルワンダと中央アジア・ウズベキスタンで、それぞれバスケットボールの普及と強化の要請を受けた青年海外協力隊スポーツ隊員へのインタビューです。ボールも十分になく、バスケットボールのルールもあまり知られていない環境の中で、どのようにバスケットボールの楽しさを広めていったのでしょうか?そして、バスケットボールが途上国の青少年たちにどのような影響を与えたのでしょうか?
2017年度3次隊として、ウズベキスタンに派遣されていた寺井嵩斗さん(以下、寺井)、そして2019年度2次隊として、一度コロナによる中断期間を挟みながらルワンダでの活動を終えた清水亮佑さん(以下、清水)にお話を伺いました。
ボール不足の環境からのスタート
ーー寺井さん、清水さんはそれぞれ現地でどのような活動をしていらっしゃったのですか?
寺井)僕はウズベキスタンのウルゲンチという地域に赴任していました。ウルゲンチは首都から飛行機で約2時間ほど離れた少し田舎の地域です。現地での言語を使い、学校の部活動の監督をしながら、地域の選抜チームの指導にも携わっていました。
清水)僕はルワンダのンゴマ郡にある職業訓練校で部活動のコーチのような活動をしていました。ンゴマ郡は首都からバスで約3時間ほどの場所にあります。男子と女子の高校生、そして大学生の男子の部活動の指導を行っていました。
また、他の活動として、バスケットボールの普及活動や、地元のコーチへの指導も行っていました。
ーー今回はお二人とも、スポーツの普及や育成に重点を置いて活動していたという共通点がありますね。ルワンダとウズベキスタンそれぞれの国のバスケットボール文化はどのようなものでしたか?
清水)ルワンダでは、サッカーが1番人気で、その次にバスケットボールが人気です。2番目に人気のスポーツなのですが、皆がバスケットボールを楽しめているわけではありません。バスケットボールコートは街中によくあるけれども、ボールが不足していて、なかなか気軽にプレーできない環境でした。なので、僕が自分のボールを持って遊びに行くと、近所の人たちが寄ってきて、みんなでバスケットボールをすることもよくありましたね。
ーーバスケットのボールは、しっかり弾んでドリブルできないとプレーしづらいので、質という意味では難しいところはあるのかもしれませんね。寺井さんが活動されていたウズベキスタンはいかがでしたか?
寺井)ウズベキスタンでも、サッカーが1番人気で、その他ではボクシングやウェイトリフティングなどの1人で行う競技を行う人もいます。一方で、バスケットボールは、存在自体は皆知っているものの、やり方はあまり知られておらず、何となく「変わった人がやるスポーツ」という感じで捉えられている印象を受けました。
ウズベキスタンは旧ソ連の国でしたので、施設の整備だけは進んでおり、各学校にはほとんどの場合、体育館が存在しています。
ーー体育館が整っているので、バスケットボールのコートはあったのですね。
寺井)コートのサイズやゴールの高さなど、その質は学校によってまばらですが、最近は「スポーツに力を入れていこう」という国の方針にしたがって、大きなスポーツの施設が作られていきました。ただ、清水さんがいらっしゃったルワンダのように、やはりボールはなかったですね。
ーーまさか、どちらの国も同じ課題を抱えていたとは思いませんでした。ウズベキスタンではなぜボールが不足しているのでしょうか?
寺井)ボール自体はそんなに高くない値段で買えます。僕は、ウズベキスタンからJICAの制度を使い、20球ほどバスケットボールを購入しましたが、そのほとんどが使い始めてから半年で穴が空いたり、中からゴムが出てきてしまったり、見たことのないようなボールの壊れ方をしてしまいました。その道具の質の差には驚きましたね。
ーー「普及のために道具を揃える」という観点でも、苦労は大きいのですね。
休みの日もボールを持って散歩へ
ーーバスケットボール文化がまだ薄く、道具も不足している中で、普及のために気をつけていたことはありますか?
寺井)自分が日本からきたことによって、「新しいこと教えてくれる!」と生徒たちはすぐに集まってきてくれます。そうしたときに、やりたい人全員がバスケットボールに参加できるように心掛けていました。
ただ、部活動のチームを強くして、試合に勝つことも赴任の目的だったので、そのあたりのメリハリも意識していましたね。
ーー普及活動も行いつつ、結果も残す。普及することで将来の結果につながる部分もある。そのバランスを意識するということですね。清水さんは普及活動を行う上で意識されていたことはありますか?
清水)チームでの仕事もしっかりと行いつつ、休みの日はバスケットボールを持って散歩をしたり、「何曜日の何時にはここのコートに行く」ということを決めてコートに行き、出会った子どもたちにボールを触ってもらったり、一緒にドリブルをして遊んだりしました。
僕がいることで、子どもたちに少しでも多くバスケットボールをしてほしいなと思っていました。
ーー子どもたちにとっては嬉しいことですね!
子どもたち自身で考え、練習を組むことを目指す
ーー「バスケットボールを通じた青少年教育」という観点で子どもたちに重点的に伝えていたことはありますか?
寺井)『子どもたちに自分で考え、自分で判断することを促す』ということは意識して行いました。宗教上の理由や家族の用事など、日本で一生懸命やる部活動を経験してきた私たちからは想像できない理由で練習や試合を休む子がいます。
その点は文化の違いと理解しつつ、子どもたちに自分で考え、自分で判断することを促しました。「練習に参加するかどうか」の判断から始まり、「練習の内容やどこに力を入れるか」など、最終的には子どもたち自身が考え、自分たちで練習を組むようになることを目指していました。任期の最後の方はある程度その通りに活動を行うことができたのは嬉しかったですね。
ーースポーツ隊員の2年間という短い時間の中で、子どもたち自身で考えてもらうところまでいったのは凄いですね。
寺井)生徒たちにも恵まれていたと思います。「できる」と思って指導をしていたのですが、本当にやってくれて少しびっくりもしています。
ーー青年海外協力隊として活動している間、自分自身が成長したと思う部分はありますか?
清水)2年と少しの間で、自分の行動力に対する成長を感じました。新型コロナウイルスの影響で、ルワンダでも外出も活動もできない状況にあったこともありました。結果的に一時帰国し、1年間日本で生活することになったとき、「自分がルワンダのコーチであることに変わりはない」という想いを持ちながら、「必ず何かできることがある!」と常に考え、行動できたことはいままでにない成長だと感じています。
再赴任するまでに愛媛の方々や団体様にご協力いただき、練習着を集めて、ルワンダの選手たちに郵送するプロジェクトを立ち上げました。そのプロジェクトの成功のために多くの方々に支えていただきながら自分で考え、行動できたところは自分の行動力の成長を感じられた場面の1つだと思います。
「スポーツ隊員としての2年間」が人としての厚みになる
ーー青年海外協力隊スポーツ隊員をやってみたいと思っている人や興味がある人へメッセージをお願いします。
寺井)成功しても、失敗しても「たった2年」です。自分にとってプラスになる可能性があるなら、青年海外協力隊スポーツ隊員に行くことをおすすめしたいですね。
僕自身、最初に就職したのは27歳のときでした。「22歳から働いていればよかった」と後悔したことはありません。むしろ、その5年間がアドバンテージになり、人間としての厚みやユニークさ、個性に繋がっていると感じています。2年でそうした個性を得られるのであれば、こんなにおトクなことはないと僕は思います。
ウズベキスタンという土地に行って、自分の想像しないことがたくさん起こりました。「“普通”はあくまでその人の中の経験値でしかない」と感じるような経験を是非してほしいと思います!
清水)青年海外協力隊に行くか行かないか迷っている人は、現地での日常生活やコミュニケーションが不安なのではないかと思います。僕もとても不安でした。
行ってみると、現地の同僚や大家さんをはじめ地域住民の人が、「おー!リョウスケ!」といろんな人が声をかけてくれました。僕としては元気はあったつもりでも「元気ないな、どうした」と気にかけてくれたり、大家さんは「ご飯ないなら、うちに毎日食べに来い」と言ってくれたり、子どものように可愛がってもらいました。
寺井さんの言う通り、行かないと前に進まないですし、チャレンジすることに対して応援してくださる方もたくさんいることが実感できるので、不安はなくなっていくと思います!
ーーありがとうございました!
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