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パラ競泳とパラアイスホッケーの二刀流アスリート 馬場俊明を動かした幼少期の原体験とは

パラアスリートの”想い”に迫るインタビュー企画。

今回はパラスイマーとパラアイスホッケーで日本代表入りを目指す、馬場俊明選手にお話を伺いました。

2つの競技に挑戦するに至った背景やそれぞれの競技を始めたきっかけや日本代表を目指しながら、アスリート社員として働くということや新たな挑戦を続ける馬場俊明選手を突き動かす”想い”の原動力に迫ります。

馬場俊明選手 プロフィール

馬場俊明(ばば としあき)

1983年東京都日野市生まれ。先天性脳性麻痺による両下肢機能障害がある。水泳を3歳から12歳まで打ち込み、一旦離れ社会人になり再開。2012年ロンドンパラリンピックに出場した車椅子テニスの国枝慎吾選手に憧れ、本格的にパラリンピックを目指し競泳に本腰を入れる。2019年から新たにパラアイスホッケーに挑戦し、現在は競泳と両立しながら日本代表入りを目指す。また、障害者スポーツ指導員の資格を活かし、パラ選手でもありながら選手独自の目線で、パラスポーツの魅力を発信している。コロナ禍においても、SNSを通じて定期的にパラスポーツを伝えるライブ配信を行っている。パラスポーツを通じて「共生社会の実現」を目指して活動中。

パラアスリート_馬場俊明

3歳から水泳を始める

ー 馬場選手、本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、色々とご質問させてください。

馬場選手はパラ競泳とパラアイスホッケーの2つの競技活動をされておりますが、2つの競技活動を行うようになったきっかけを教えてください。

馬場)私は生まれつき「脳性麻痺による両下肢機能障害」という足の障がいを抱えているのですが、水泳は、母親のすすめで、リハビリ目的で始めたのが最初でした。

水が怖いといったことはなかったので、3歳の時に水泳をはじめて、12歳まで続けていました。最終的には、4泳法(1)できるようになるまでやりました。

 家庭的に転勤族だったため、水泳を続けることができずブランクをあけて、社会人になり、会社に水泳クラブがあったことで、水泳を再開しました。

1 4泳法…「クロール」「平泳ぎ」「背泳ぎ」「バタフライ」)

パラアイスホッケーをはじめたきっかけ

パラアイスホッケーは2018年の平昌パラリンピックをテレビで見たのがきっかけで知りました。当時のパラアイスホッケーの日本代表は平均年齢41歳。下半身障害の人が行う競技であるということも知りました。私自身先天性で両下肢に障害があるため、私でも可能なスポーツであることが、やってみたいと突き動かした最初のきっかけになります。

とは言え、アイスホッケー関係者の知り合いや仲間もいないので、どこではじめていいのかもわかりませんでしたが、トップアスリートを発掘するプロジェクト(ジャパンライジングスタープロジェクト)で声をかけていただき、体力測定の結果やアイスホッケー協会の人の話を聞いて、2019年12月から本格的にパラアイスホッケーを始めました。

ー 1つの競技に絞らず、2つ目の競技にチャレンジしようという決断だったのですね!

馬場)そうですね。競泳については、タイムの世界であり、学生のアスリートも多くいますし、最近は、パラを目指すには実力的にも年齢的にも競泳から一線を引くことも考えるようになりました。競泳については、マスターズやパラの選手として続ける一方、パラ水泳の普及活動も考えて、指導者の勉強もしています。

冬の競技としてパラアイスホッケーは、まだ年齢的にも可能性があるスポーツですし、現段階では、2030年パラリンピックが札幌で開催されるかもしれないという話もあるので日本を盛り上げるためにも頑張ってまずは日本代表入りを目指したいと思います。

パラアスリート_馬場俊明

ー 水泳について、お聞きしたいのですが、始めた当時はどのように活動されていたのでしょうか? 

馬場)3歳のときからスイミングスクールで健常者と一緒に練習していました。当時、「パラ競泳」の認知や知識が指導者や両親、私にもなかったので、みんなと一緒に練習していました。

キックが苦手で、下半身がうまく使えないので、どうしてもみんなにタイムでは、敵わないことは分かっていたのですが、水泳はタイムという数字の世界なので、速くなれば、自分の成長が見えるので、過去の自分の記録を超える自己ベストの目的でやっていました。

スイミングスクールでの練習は、どうしても下半身に障がいがあるのでビート板の練習は大嫌いでしたけど(笑)。

ただ単純に「趣味として続ければいいかな」というくらいでやっていました。

 何回か大会や記録会にも出場していましたが、当時はパラリンピックも知りませんでしたし、「障がい者水泳」も知らなかったので、趣味程度でやっていました。親からは「恥をかくだけだから、大会に出ることはやめなさい」と最初は言われていたのですが、私は競技として成績を残すことが目的ではなく、出ることに意義があると考えていました。

私が勝負していたのは一緒に出ているライバル選手ではなく、自分自身の過去の記録と戦っていたという感じです。

記録会は半年に1回くらいあったので、その半年間で自分自身がどのくらい成長しているかどうかを確かめるのが目的でしたね。

忘れられない記憶。電光掲示板に映る自分の名前

ー 小学校卒業後に1度水泳からは離れられていますが、なぜ社会人になってから、再開しようと思ったのですか?

馬場)私の中では「パラ競泳」という競技や知識もなかったので、中高時代はやめてしまったのですが、社会人になり会社に水泳クラブがあったことで再開しました。そこで、小学生時代に出た大会を思い出し、どうしても忘れることができない大会だったので、再び水泳への熱い思いが芽生えてきました。

ー 忘れられない大会・・・・それはどういった大会だったのでしょうか?

馬場)私の父の仕事関係もあり転勤族で育ちました。小学校時代は広島で過ごし、スイミングスクールに6年間通っていたのですが、その時の頑張りを見てくれた先生から、「広島市の大会に出ないか」と誘ってくれました。

自由形などは健常者の方の記録が早いので、私は専門種目ではない競技人口が少ない背泳ぎで出場しました。今までの記録会は、ストップウォッチで測っていたのですが、その大会では、国体やインターハイでも使う本格的な会場で、電光掲示板に名前が載り、今でもその光景は忘れられないですね。当時は幼いこともあり、電光掲示板に自分の名前が載っていることに興奮していたことを今でも覚えています。

中学からは、東京で生活を送っているのですが、広島市の大会で出場した会場の光景が忘れられなくて、いつかその会場で泳ぎたい自分の中での目標がありました。社会人になった時に会社に水泳クラブがあったということもあり、また競技としてやろうと思いました。

ちなみに、その小学校の時に出場した広島市の会場でもう1度泳ぎたい目標は2019年に24年ぶりに叶えることができました。私の専門種目は、50m自由形ですが、その時も、背泳ぎで成長した姿を見せたいと思い当時と同じ50m背泳ぎで臨みました。

ー 小学生の時に出場した広島市の大会で24年越しにもう1度自分の成長を確認しに行くのはどうでしたか?

馬場)会場の外観や電光掲示板がカタカナから漢字に・・・(笑結構変わっていたので、「こんな感じだった気がする?」という感じで、うる覚えでしたね。

小学校以来24年ぶりで社会人になったこともあるし、タイムは絶対早くなっているし・・・・いろんなことを考えました。でも思い出のある特別な場所で再び挑戦できたことは、本当に嬉しかったですし、楽しかったですね。

地道に想いを伝え、広がった応援の輪

ー パラスポーツ選手としてこれまで活動してされてきて、苦労していることなどはありますか?

馬場)やはり、まだパラ競技は、認知度が低いんですよね。

「オリンピックに出たことのある選手の名前を挙げてください」と言われれば、皆さん何人か出てくると思うのですが、パラリンピックになるとほとんど挙がらないのが現状です。

それは、日本では多くの人が「パラ競技=障がい者が行うスポーツ」という固定概念があるからだと思います

障がいの種類が違ったり、パラ特有のクラス分けなど複雑なところもありますが、障がいがあるなしに関わらず、楽しめるスポーツこそがパラスポーツではないか、と私は考えています。

ー そのような現状で、パラアスリート社員として活動されてますが、勤めている会社の反応は最初どうでしたか? 

馬場)最初は、一般採用で入社した社員がいきなりパラアスリート社員になることに認めてもらえなかったのですが、「パラリンピックに出たい!」という熱い想いを上司に直接伝え続けた結果、現在は勤務時間内でも水泳やトレーニングと向き合える時間を作っていただき、認めてもらえました。

トレーニング時間確保やシフト制で働いている環境ですので、職場の人には本当に感謝しています。

今では、会社全体で応援してくれるようになりました。実際に、上司や同僚もパラの水泳の大会の会場に来ていただき、応援してくれるようになりました。

が、逆に今まで注目されていなかったので、そういった応援はいまだに慣れず緊張してしまいます(笑)。

ー 馬場選手が動いたからこそ会社内での認識が変わっていったのですね。

馬場)少しずつですが、そう感じています。会社でも毎年入社する社員がいます。中には、オリンピック・パラリンピックを目指すアスリートもいますし、そういう人達に向けての発信や道標になればと思っています。

何事も継続して、目標を発信しながら活動することが大切かなと思います。

もっと多くの人にパラ競技を広げたい

ー 最後に、馬場選手が今後考えるビジョンとかはありますか?

馬場)まずはパラ競技の認知を上げていくことです。

競技の魅力は、見て、知って、感じることが一番伝わるような気がします。障がいの有無にかかわらず、ぜひパラスポーツを体験していただきたいです。

特に、障がいがあるお子様を持つ親御さんに知っていただきたいと思っています。

私は中高生の時にパラ競技があることを知らなかったので、その時期を無駄にしてしまったのではないか、と考えることがあります。

「障がいのある無しに関わらず、スポーツはできるものだ」ということを認知してもらって、これまでの固定概念が変わるきっかけにしていただきたいです。

パラアイスホッケーは、来年2022年に開催される北京パラリンピックでメダル獲得を目指しています。パラアイスホッケーチームは全世界約18か国でチームがありますがありますが、Aプール・Bプール・Cプールに分かれています。

現在、日本はBプールに位置しており2021年秋に行われる予定の最終予選を突破して、北京パラリンピックへの出場も決まるので、今後の動向にも注目していただきたいです。

ー 本日はありがとうございました。ぜひ北京パラリンピックでのパラアイスホッケー日本代表チームの活躍する姿を観れるのを楽しみにしています!

馬場)こちらこそありがとうございます。

パラアイスホッケーとは?

下肢に障がいを持つ人たちのために、「アイスホッケー」のルールを一部変更して行うスポーツ。「スレッジ」と呼ばれるスケートの刃を二枚付けた専用のそりに乗り、左右の手にスティックを一本ずつ持って、15分×3ピリオド制で実施します。

スティックにはピックと呼ばれるギザギザの金属とブレードがついており、「漕ぐ」動作で前に進みながら、ブレード部分でパックを操り、パスを出したり、シュートを打ちます。アイスホッケー同様にボディチェック(体当たり)が認められており、「氷上の格闘技」と呼ばれるほど非常に激しいスポーツです。

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