水泳

「いる意味ない」と思っても。40歳で協力隊へ飛び込んだ高校教諭が、エクアドル初の快挙の先に見た景色|JICA 海外協力隊

JICA 糸井

岐阜県の高校教員として水泳部の顧問を務める糸井紀さん(以下、糸井)は、40歳でJICA海外協力隊としてエクアドルへ渡り、水泳のナショナルチームを指導しました。

「いる意味ないじゃん」ーー。科学的トレーニングを伝えようと意気込んで臨んだものの、現地のコーチたちからまったく受け入れてもらえなかった最初の数ヶ月。「まず仲間になる」ことで信頼関係を築いた先にあった“エクアドル初の競泳ワールドカップ出場”という大きな結果。

異国の地での大きな体験を得た糸井さんは、帰国後に国際審判員の最上位資格を取得し、パラ水泳の発展にも力を注いでいます。「障がい者と健常者を分けず一緒に行う国際大会を実現したい」と語る糸井さん。水泳への恩返しのために高校教諭、岐阜県水泳連盟の副理事長、国際審判員とさまざまな活動を続ける糸井さんに、エクアドルでの2年間と今についてお話を伺いました。

科学的トレーニングが届かない壁|「教える」から「仲間になる」への転換点

ーー糸井さんは2013年から2015年までの約2年間、現職教員特別参加制度を活用して40歳でJICA海外協力隊に参加されました。応募のきっかけはどんなことだったのでしょうか?

糸井)正直なところ、JICA海外協力隊がどういうものかあまり知らず、理系の方が派遣されるものだと思っていました。そんなときに、「水泳でも海外協力隊があり、ナショナルチームを指導できる」とJICAの方からお話を伺い興味を持ち始めました。

ーー海外で指導をするということにもともと興味があったのですか?

糸井)それまでも私自身が国際大会に出場した際に発展途上国の選手たちを見て、全然“準備”ができていないと感じていました。「こういうウォーミングアップをすれば、もっと良い記録が出るのに」と思っていたんです。

「水泳に恩返ししたい」という想いをずっと持って教員として活動していたなかで、途上国の選手やコーチに自分がそれまで学んだことをコーチングができたらいいのではないかと思い、JICA海外協力隊への応募を決めました。

ーーエクアドルに行った当初はかなり苦労されたと伺いました。

糸井)日本でやっていた科学的なトレーニングを導入し、「こうすれば速くなる」ということをコーチにも選手にも教えようとしたのですが、まったく受け入れてもらえませんでした。「わかった」と言いながらも実際には受け入れてくれるわけではなく、ただ流しているだけ。それが2、3ヶ月続いて、「自分がいる意味ないじゃん」と思っていましたね。

「でも途中で帰るわけにもいかない」「なんとかしなきゃ」という想いから、「まずは仲間になろう」ということを最優先に考えられるようになってから少しずつ変わっていきました。

ーー「仲間になろう」と思えたのは、なにかきっかけがあったのですか?

糸井)ある日、大会に出るための遠征先のホテルのレストランで、現地の方が私の方を見て人種差別的なことを言ったんです。私自身は「海外に行けばそんなこともあるだろう」と気にしなかったのですが、コーチの1人が真剣に怒ってくれて。
自分を守ってくれたその行動に、「彼らのために一生懸命にやらなきゃ」と思いましたし、それまで「指導しなきゃ」という気持ちでいた自分を反省しました。

もし皆さんの職場に、全然知らない国の人がいきなり来て、「あなたの職場はこうしなきゃダメだよ」といきなり言われてもいい気持ちはしないですよね。それを私は全然わかっていませんでした。

糸井さん当時のエクアドル代表チームスタッフ(右端が糸井さん)

信頼の先に掴んだ“エクアドル初”の世界大会出場

ーーどのように糸井さんは変わっていったのですか?

糸井)それまではキリスト教のミサや、誰かの誕生日パーティーなどですぐ練習がなくなってしまうことが、日本で育ってきた私にはまったく理解できませんでした。ですが、彼らと“仲間”になるために、コーチたちとお酒を飲んだり、エクアドル特有の料理も食べたり、プールサイドで誕生日を祝うケーキをぶつけあったり、とにかく彼らの中に入ろうと考えて行動しました。
そうするとだんだんと私のことを認めてくれるようになり、コーチングの考えも受け入れてもらえるようになっていきました。

ーー仲間として受け入れられてから、どのような成果がありましたか?

糸井)科学的なトレーニングがきちんと定着したことは大きな変化だったと思っています。エクアドルの水泳のコーチはストップウォッチで計測したタイムだけを見て、今日の練習の良し悪しや選手の成長を評価していました。
そうした限られた情報での指導ではなく、血中乳酸値やハートレートの計測を導入し、練習の成果が数値として積み上がっていくように変えていきました。その後、国際大会の派遣標準記録を切る選手も出てきて、エクアドルとして初の競泳ワールドカップへの出場を勝ち取り、私も帯同することができました。

ーーそれまでストップウォッチでしか測っていなかった人たちが、科学的なトレーニングを中長期的に続けて成果を出せたというのは、エクアドルという国の文化から見ても大きな変化ではないのでしょうか。

糸井)これまで“クールダウン”の概念がほとんどなかったエクアドルの選手に対して、レース後の血中乳酸血の数値をデータとして見せ「まだこれだけ高いから、もう少し泳いで落とさないと、次のレースに疲れが残るよ」と話すことでルーティーンに取り入れていきました。

こうしたさまざまな経験から、“待つ”コーチングを覚えましたね。それまでは積極的に引っ張って「こうすると速くなるよ」「技術はこうがいいよ」というティーチングでしたが、エクアドルでは彼らからの反応を待ち、自分で答えを出せるように促すことができるようになりました。帰国後の高校生への指導も、「丸くなったね」とよく言われます(笑)。

ーーある程度、日本で知識や経験を積み重ねた状態だったにも関わらず、新たな経験を得てご自身も変わっていったのですね。

糸井)40歳近くで社会人として一人前になった段階からでも学べることはとても多かったですね。
逆に、きちんと国内でコーチングの知識と経験を積んでからエクアドルに行ったからこそ成果を出せたのではないかとも思っています。

糸井さんエクアドルで水泳指導をする糸井さん

「アスリート」として。国際審判員としてパラ水泳の厳格なジャッジにこだわる理由

ーー指導者だけでなく、糸井さんはパラ水泳の国際審判としても活動されています。審判という道にここまで熱心に取り組まれているようになった経緯を教えてください。

糸井)東京オリンピック・パラリンピックが決まったとき、日本のパラ水泳の国際審判員がいないという話を聞きました。JICA海外協力隊の経験で語学もある程度できたこともあり、国際審判の最上位資格の取得に取り組みました。

その根底には、エクアドルでの大会での審判や運営の“杜撰さ”があります。大会日程や会場が急に変わるようなこともあり、「これではダメだ」と思っていました。

ーーパラ水泳の審判には、特有の難しさはあるのでしょうか?

糸井)パラ水泳のルールブックは、健常者の水泳より何倍も分厚いです。さまざまな障がいがあって、それに付随したルールがあります。例えば、手先がない選手が平泳ぎでゴールタッチするとき、欠損している部位も伸ばさなければなりません。

ですが、その手が少し曲がっていたときにどこまでを失格にするか。国ごとの判定基準の違いを大会前にしっかりと統一しなければならない難しさがありますが、難しいからこそやりがいがあるし、これをきちんと運営することでパラ水泳のレベルが上がると思っています。「障がいを持っているから許してあげよう」ではなく、ルールに基づいてきちんとジャッジすることで、パラ水泳もスポーツとして成り立ち、レベルが上がっていくと信じています。

糸井さん

ーー糸井さんが感じるパラ水泳の魅力について教えてください。

糸井)パラ水泳の選手は、シンプルにアスリートとしてすごいと感じています。もし両手両足を自由に動かせない状況で、普通の人は泳げませんが、彼らはものすごいスピードで泳ぎます。視覚障がいの選手のなかには、タッピングというターンやゴールまでの距離を知るためのサポートを使わず、自分の感覚で50mの距離がわかっているような選手もたくさんいます。

こうした選手たちを目の当たりにすると、「障がいを持ったかわいそうな人が頑張っている」という見方をされるのではなく、彼らの能力の“すごさ”をもっと伝えていかなければいけないと感じます。

中国・杭州で行われたアジアパラ競技大会や、パリパラリンピックでは、水泳の会場も満員になっていました。2026年に愛知で行われるアジアパラ競技大会でも同じような光景が作れるよう、その魅力を伝えていきたいですね。

ーーエクアドルでの経験、その後のパラ水泳の審判の経験など、さまざまな活動が糸井さんの今を作っているのだと感じます。とくにJICA海外協力隊に関心のある方へのメッセージをお願いします。

糸井)私はエクアドルでの2年間で、ものすごく自分を成長させてもらいました。「途上国のためになにかしたい」という想いだけでなく、「自分自身の成長や新たな発見をしたい」と考えて参加するのもよいのではないでしょうか。
苦労もたくさんしましたが、本当に自分の視野が広がり、「自分を再発見」するためのJICA海外協力隊での活動だったと思っています。

ーーありがとうございました!

JICA海外協力隊帰国隊員社会還元表彰とは?

2023年より開始された表彰で、JICA海外協力隊の事業目的の一つである「ボランティア経験の社会還元」事例を収集し好事例として紹介することで、協力隊経験者の社会還元の機運を高めると共に、より良い社会の実現を目指したものです。JICA海外協力隊経験者で、国内外・公私問わず社会課題の解決に取り組んでいる方を表彰する『帰国隊員社会還元表彰』の審査員特別賞(スポーツと開発)を糸井さんは2025年度に受賞しました。

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