インタビュー中の会話やエピソードの節々から、競技に対して、そして日々の生活に対しての強い気持ちが表れていた北薗新光(きたぞのあらみつ)選手。その原点には、視覚障害者柔道への挑戦を後押しした恩師の言葉がありました。
そして、「パラアスリートとしてやろう。私生活を全部見直そう」と決めてから続けている柔道ノートが、3度目のパラリンピックへの歩みを後押ししていました。
「やってもいいし、やらなくてもいい。君の人生だから、自分で決めなさい」
ーーまずはじめに、柔道を始められたきっかけを教えてください。
北薗)5、6歳の時にたまたまテレビで柔道を見て、格好良いなと思って始めました。体格差のある相手を投げている姿が格好良かったです。
ーー憧れから始められたんですね。そこから、視覚障害者柔道の競技を始めるに至った経緯を教えていただけますでしょうか。
北薗)19歳の時に障がいが見つかり少し荒んでいた時期に、視覚障害者柔道をいろんな方に勧められました。当時は正直どちらでもいいなと思っていたのですが、恩師に「やってもいいしやらなくてもいい。君の人生だから自分で決めな」と言われ、それが決め手でした。
「やれ」と言われるかと思っていたのですが、そう言われて、自分の中でハッとする気持ちがありました。
自分の人生を自分で決める、当たり前なことを言われて、やっとまだできていないなと気づいたのです。
その2週間後に視覚障害者柔道の合宿に参加するために、仙台に向かっていました。
ーー恩師の一言が、19歳の北薗選手のターニングポイントだったんですね。
所属会社の想いを背負い、リオオリンピック・パラリンピックへ
ーーアルケア株式会社に入社した経緯を教えてください。
北薗)引退しようと思った時期があり、その時に世界大会に出場しました。
練習をせずに出場したところ、1回戦敗退。当たり前なのですが、その敗退が私の負けず嫌い精神に火をつけてしまいました。
ーー競技活動を続けながら働く決意をしたんですね。
北薗)面接を受けました。アルケアに決めたきっかけは、面接官の方が優しかったからです。一次面接では緊張してうまく話せず、不採用になると思っていたのですが、二次面接の知らせを聞いて「あの優しさは嘘じゃなかったんだ」と思い、直感でアルケアに決めました。
パラリンピックに出場した際は、たくさん応援していただき、会社の一体感を感じました。試合の前後に祝勝会や壮行会を開いてもらったり、全社員が出席する経営方針発表会などで活動報告をする機会をもらったりなどして、皆さんに知っていただく機会があります。
「常に新しいことをする」変化を支える柔道ノート
ーー北薗選手が試合の時に大事にしていることはありますか?
北薗)常に新しいことをすることを心がけています。あとは、帯の名前の文字を赤色にしたり、お気に入りのスパッツを履いたりもします。
ーー新しいことというのは、例えば技の掛け方などについてですか?
北薗)そうですね。トレーニングなどでも。動画を見たり考えたりして、今のままの自分では追いつかれてしまう、と思いながら常に挑戦しています。
技やトレーニングに常に新しいことを取り入れていくということですね。
ーー強くなってもなお貪欲に挑戦し続けるのですね。かっこいいです!「新しいことをする」というのは、いつ頃から始められたのですか?
北薗)入社後、「強い人は常に新しいことをやる」という言葉に出会ってからです。2016年からは人と同じことをしないようにしています。
ーー他にも何か取り組んでいることはありますか?
北薗)「柔道ノート」です。パラリンピックのアスリートとして生きていこうと決めた時からこのノートを始め、今でも続けています。
月曜から金曜まで「柔道ノート」を記入して、土曜に見返します。見返すだけではなく、課題をみつけ次の週の稽古に取り入れます。
ーー自分なりの使い方をされているのですね。なぜ始められたのですか
北薗)私生活を見直そうと思い始めました。負けないために、とりあえずできることはやってみようと思ったからです。できることを全てやって、負けたら仕方ないなと。
ーー北薗選手の芯の強さが伝わってきます。それでは最後に、今後の競技活動についての想いを聞かせてください。
北薗)新型コロナウイルスの状況下のため、トレーニングばかりになってしまうのですが、”(競技活動が)出来ないときこそ出来ること”を見つけようと思っています。そういう姿勢を子供に見せたいです。また、アスリート社員として、諦めないということをこれからも大切にしたいです。
諦めずに何か続けてたら、何かしらの成功をするというところを見ていただきたいと思っています。
ーーありがとうございました!