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100万人の手洗いプロジェクトとその先へ~サラヤの社会貢献への想い~

サラヤ

10月15日は世界手洗いデー。これを機に、「手を洗うことで救える命がある」ことを改めて思い返してほしい、また、知らなかった人には知ってほしい。

Sports for Socialでは、以前からサラヤ株式会社(以下、サラヤ)の社会貢献活動に焦点を当て、さまざまな形で記事を発信してきました。ここでは、改めてサラヤの行う社会貢献について深掘りしていきます。

今回は『100万人の手洗いプロジェクト』について。
1952年、戦後日本で流行した「赤痢」の予防のために、日本初の薬用せっけん液を開発し、「手洗い」習慣の普及から創業したサラヤが、2012年の創業60周年の記念事業として2010年から始めたアフリカ・ウガンダでの手洗い設備と習慣の普及を目指して始めた活動です。新型コロナウイルスの流行による世界的な混乱にも、この活動があったからこその効果も。

サラヤ株式会社 広報宣伝部 廣岡竜也さん(以下、廣岡)にお話を伺いました。

藤井瑞希
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サラヤの成り立ちをアフリカでも

ーー今回は改めて『100万人の手洗いプロジェクト』について伺います。そこにはまず、サラヤの“日本での手洗い普及”の歴史を知る必要がありますよね。

廣岡)そうですね。30代以上の方がギリギリわかるかもしれませんが、学校のトイレなどの蛇口に緑色の液体が入ったものを見たことがありますか?

手洗い場前の女性たち

これがサラヤ創業の原点です。赤痢という伝染病が流行っていた1952年、「こうした伝染病に対して、誰もが平等にその病気の脅威から逃れる手段がないか」ということを考えたことから「感染予防の基本である手洗い」に着目し、日本中のトイレにつけてまわったのが始まりです。

サラヤという名前は知らなくても、緑色の石鹸液は多くの方が知っている、というのが弊社の特徴でもありますね。

手洗い容器 シャボネット

ーー戦後の日本で、「誰もが平等に」と考え動かれていたところにすごく感銘を受けます。

廣岡)戦後の混乱期に「薬が買えるのは一部の富裕層」だけ。多くの人が病気で亡くなっていた時代だったので、「誰もが平等に」というのは大切なことだったと思います。また「誰もが簡単に。なおかつ清潔な状態で石けん液が使える」ようにするための方法はないか?と考えて産まれたのが、この石鹸液と専用の容器です。蛇口や壁に取り付ける形で普及していきました。つけるのが難しいところなど、苦労することも多かったと聞いています。

ーー設備を整えるだけでなく、手を洗う意義の啓発活動もセットで行ったことでどんどん普及していったんですよね。

廣岡)そうですね。どんなに便利で優秀な石けん液があっても、手を洗わなければ使われることはありません。なので、“手を洗うことの大切さ”を知ってもらう必要がありました。
「トイレの後には手を洗おう!」などの標語をポスターなどにして、習慣化のための啓発活動を続けていました。
ウイルスや細菌は目には見えないものだからこそ、石鹸液などのハード面の整備と、啓発活動というソフト面の整備を一緒に進めることが大事でした。

ーー日本という国としても、戦後の成長の中で感染症から守りたいというニーズがあったのでしょうか?

廣岡)もともとサラヤのビジネスのヒントをくれたのは紡績会社です。そこで働く女工さんたちは、みんな同じ場所で寝泊まりしていましたので、そこで感染症が広まると仕事全体が止まってしまいます。その会社の産業医の先生からの提言が商品開発のきっかけになりました。

そうしたところからスタートし、公衆衛生としての取り組みや、食品関係の給食センターや食品工場にサラヤの薬剤が普及していき、そこからまた一つグレードをあげて医療機関の院内感染予防にも行き渡っていきました。

サラヤ
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日本とアフリカ「手洗いで世界に貢献していこう」という想いに沿って

ーー戦後の日本、それと2010年代のアフリカというのは、似ている部分はあったのでしょうか?とくにウガンダは、内戦が終わって数年経ったところでしたね。

廣岡)「習慣がなかった国にその習慣を広げる」という意味ですごく似ている部分はありました。手洗い実施率が上がれば、当然ながら、病気にかかって亡くなる子どもの数は減らすことができる、という点は日本もアフリカも同じです。
違う点があるとすれば、経済成長による周囲の環境変化より速度でしょうか。日本は1950年代以降、急激な経済成長によりインフラが整えられていきました。その点で、近年のアフリカとは少しスピード感という点で異なるかもしれませんね。

ーーアフリカでの『100万人の手洗いプロジェクト』を企画したきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

廣岡)創業の原点である、「手洗いで世界に貢献しよう」という想いが、シンプルにこのプロジェクトのきっかけです。
サラヤ創業60周年記念事業として、戦後日本と同じように衛生環境の整っていないアフリカで手洗い普及事業を始めようと決めました。実施国の選定とプロジェクトの実施では、ユニセフさんにいろいろとサポートしていただきました。

ーー内戦後の情勢が安定している、英語が通じる、水の入手が容易、政府が公衆衛生への取り組みに前向き、というよい条件がウガンダには揃っていたんですよね。

廣岡)その通りです。「外国の企業が来て、何かやってる。」では、普及はしません。子どもたち、母親たちに対し、手を洗うことは大切で、これまでかかっていた病気が防げるようになる、子どもたちの命が守られるということを啓発していくためにも、また持続可能な活動とするためにも政府との協働は重要なことでした。

サラヤ 100万人の手洗いプロジェクト

ーー5歳以下の幼児の死亡率も高かった中で、ごくシンプルな解決策ですよね。手洗いでなにか変わるんだ、というポジティブな気持ちにもなりそうです。

廣岡)ここで私たちが意識したのは、手洗いの設備など、「現地で手に入るもので作る」ということです。実は、海外からのボランティアなどで、水道に限らずとても立派なものを作ってくれることがあるそうですが、そうすると壊れたときに直せず、以後使えなくなってしまいます。手洗いはずっと習慣化してもらいたいものですので、現地で調達できるものでつくり、簡単に直せるものを作る必要がありました。

ーーこうした活動の資金は、対象商品の売上1%を寄付する形で充てられています。利益をこうした活動に使うことに社内からの反対はなかったのでしょうか?

廣岡)100万人の手洗いプロジェクトに関しては、まったくありませんでした。というのも、それ以前からサラヤではヤシノミ洗剤の売上をボルネオの生物多様性保全活動に寄付しています。はじめは、「自分たちが稼いだお金を象に使うのか!?」などの意見がたくさん出ました。寄付のために売上をもっと上げなければいけない、取引先からもその分値下げをできないかと言われるなど、営業担当の方々にとっては非常に難しい状況だったと思います。
ただ、いざ始めてみると、「サラヤってすごくいいことしてるよね」となり、売上も上がっていきました。この経験があるから反対は出ませんでしたね。巡り巡って自分たちにも利益がでることがわかっていたので。

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コロナにも貢献した“現地ビジネス”のポイント

ーー100万人の手洗いプロジェクトのレポートでは、2020年の新型コロナウイルス流行のタイミングで手洗い実施率がグッと上がっていることがわかります。

廣岡)新型コロナウイルスも手を洗うことで防ぐことが出来る感染症です。そういう意味では、積み重ねてきたことで少しでも感染者を減らすことができたと思いますし、それまでやってきた啓発の意味が現実が迫ることでさらにわかってくれたと思います。
新型コロナウイルスで言えば、同時に動いてきた「病院で手の消毒100%プロジェクト」の方も大きく効果を出しました。

ーーそれはどういった効果だったのでしょうか?

廣岡)病院などの施設にアルコール消毒剤を納入し、手の消毒を100%行えるようにというプロジェクトでした。当時何が困っていたかというと、外国製のアルコール消毒剤が高価で、現地の病院は買うことができなかったことです。弊社では2011年からウガンダで現地法人を立ち上げ、アルコール手指消毒剤を現地で生産するように体制を整えてきました。輸送や手数料などのコストを抑え、なるべく現地での原料調達、現地の人たちの採用を実現し、できたものを現地で使うような循環を考えました。

実際新型コロナウイルスのときは、需要が多く足りなくなってしまうこともありましたが、事前の準備がなかったらと思うと。

ーー怖いことですね。

廣岡)2013年頃からのエボラ出血熱の流行時には、国境なき医師団が現地に入って活動されていましたが、彼らにも“ジャパン・クオリティ”の消毒剤は受け入れられました。現地のビジネスとしても、製造した先の共有先も確保されたことで安定させることができました。

ーーサラヤさんが早い段階で始めた投資が、結果的にいまの時代を生きる人々を救ってくれているというのは、私たちも理解しなければならないですね。

廣岡)サラヤの場合は、ビジネスの中に落としこめてることが大きいですね。「お金を稼ぐことは悪だ」と考えず、ビジネスと連携することにはこだわっています。お金を稼ぐことができれば、活動に必要な資金が得られますし、長く続けていくことが出来ます。単なる寄付だと続けることは出来ません。ビジネスの視点があれば、現地の雇用創出にも繋がりますし、利益がなければ、次の社会貢献活動に繋げることが難しい。こうした点が、社会貢献活動の継続性という意味では非常に大事だと考えています。

ーー創業の想いを大事に、「課題を解決しよう」という取り組みが、ビジネスとしても成り立つ大きな要因なのかもしれませんね。貴重なお話をありがとうございました!

吉冨愛子
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