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現役引退から5カ月。松岡亮輔が「世界」と「社会貢献」に目を向ける理由

2020年12月に現役を引退後、サッカー指導者としてだけではなく、MCやラジオパーソナリティーとしても活躍し、トレイルランニングやOne Shizuoka Projectなど、様々なプロジェクトにも参画している松岡亮輔さん。

幅広いアクションを起こす今の松岡さんの頭の中には、「世界」と「社会貢献」という言葉が強くあると語ります。松岡さんを突き動かす原動力は何か。ご自身の幼少期から振り返っていただきながら、今後の活動の展望を伺いました。

松岡亮輔(まつおかりょうすけ)

1984年生まれ。兵庫県西宮出身の元Jリーガー。

中学・高校はセレッソ大阪の下部組織に在籍。Jリーグではヴィッセル神戸・ジュビロ磐田・モンテディオ山形・藤枝MYFCに在籍し、通算297試合、計14年間活躍。2014年天皇杯準優勝、2019年にはJ3リーグ年間ボール奪取数1位の個人賞を記録。2021年1月現役引退。2021年3月M’sAdvance(エムズアドバンス)を設立し、現在はテレビやラジオ、YouTubeなどに出演し、タレント活動を行っている。3児の父でもある。

 

松岡亮輔をつくる「好奇心・聴く力・話す力」

ーーまずはじめに、何度か松岡さんとお話しさせていただく中で、「好奇心・聴く力・話す力」の3点が凄いなと思いました。まず「好奇心」について、質問させてください。

小さい頃から好奇心が強い方でしたか?

松岡)「好奇心」という言葉では考えたことはありませんでしたが、確かに昔からサッカー以外の普段の生活の中で「違うことを知る」ことは好きでした。

ただ、興味のないものはやりませんでした。学校の勉強で言うと、日本史とかは好きで点数も良かったので、さらにモチベーションも上がっていたのですが、数学や理科は難しかったので放り投げていた気がします。

ー興味があるものに何か共通点はありましたか?

松岡)勉強でいうと、日本史は主に暗記系で点数が良かったです。良い点数をとれたというところがモチベーションだったかもしれません。

ーー結果に繋がったり、積み重なっていくものに関心を持ちやすかったのですね。

松岡)その部分は大きかったと思います。

ーー松岡さんは高校の日本史の教員免許をお持ちですが、「教員免許を取ろう!」と思ったのは何か理由があったのですか?

松岡)大学時代、サッカーだけではなく、将来のために有意義な時間の使い方をしたいという想いがあり、教員免許を取りました。

大学に入って少しそれまでとマインドが変わって、サッカー以外でも充実した大学生活にしたいという目標があったので。

ーー当時から、視野を広くお持ちだったのですね。学生時代に「とにかく競技に集中」とならずに、未来を見据えた行動をしていらっしゃったのはどんな理由からでしょう?

松岡)自分で振り返るとよく分からないんですが、とにかく天邪鬼だったかもしれませんね、性格的に。人と違うことをすることに楽しみを感じていたような気がします。だから変な奴と思われてたかもしれませんし、見る人によっては「人と違うな」とプラスな印象に思ってくれてたかもしれないですね。そこは分かりませんけど。

ーー人と違うことをするとなると、視点も変わってきますね。

松岡)そうですね。大学もスポーツ推薦じゃなくて一般で入りましたから。当時のサッカー部は、自動的に経営情報学部か経済学部に入るって流れがあったのですが、僕はわざわざ一般入試で、国際コミュニケーション学部に入ったんですよ。

そういうところも変わってるなと思いますね、自分で。人と違うことをすることを楽しんでいる自分はいたかもしれません。

ーー現役時代もそうですが、「人と違うことをする」という部分は、今でもありますか?

松岡)そうですね。昔からそうしてきたことが、今に活きているというのはあるかもしれないです。

「これ!」という軸はなく、いろいろな風に川の流れのように身を寄せられるというのも自分の強みなのかもしれません。

ーーここまでお話をしてきて、松岡さんの「柔軟さ」「順応性」が、好奇心というところに繋がってくる印象を受けました。

現在はMCやラジオパーソナリティとしても活躍されていますが、「聴く力」や「話す力」といった人とのコミュニケーションはどのように身につけたのですか?

松岡)話す力は、やっぱり関西出身というのが大きいと思います。僕の父親も話すことが大好きで、周りの人を笑顔にしていたのを小さい頃から見てきたので、子どもながらに尊敬する父親でした。その流れは受け継いでるのかなと思います。

聴く力は徐々にですね。昔はそこまで人の話を聴くことの重要さも分かってませんでしたから。大人になるにつれて、自分だけが話していても上手くいかないという経験を得て、聴く力も大事だと思うようになってきました。

自分として大事にしているのは、相手が年下だろうが年上だろうが、自分の考えと同じだろうが違うかろうが関係なく、一人の相手として敬意をもつというところです。

それがあると素直に聴くことができるし、話す言葉も変えられるというのはあるのかなと思います。

今はがむしゃらに、なんでもチャレンジしていく

ーー今年の3月にエムズアドバンスとしての活動(松岡さん個人のタレント活動や講師活動など)がスタートし、新しいことにチャレンジしていってらっしゃいますね。チャレンジを始める際に、何か基準はあるんですか?

松岡)今は何でもかんでも取り入れている感じですね。サッカー、スポーツ以外のことを取り入れようとはしています。今は選んでる余裕もないし、選んでる場合でもないと思っているので、とにかく詰め込めるだけ詰め込んで、という感じです。

ーーホームページには社会貢献活動についても多く書かれていましたが、ご自身の活動に社会貢献活動を積極的に取り入れようと思ったきっかけはありますか?

松岡)いろいろなプロジェクトに関わらせていただき、報酬をいただいていますが、その中でも自分の頑張りだけでなく、みなさんの頑張りが主となり、活動の成果に繋がったものがたくさんあります。それを、自分の懐だけに入れるのは何か違うなというのがあったんです。

それを、社会貢献活動に使いたいなと思ったのがきっかけでしたね。

ーー松岡さんが旗振り役となり、立ち上がり、広がっていったプロジェクトから生まれた収益を、また社会に還元していくイメージですね。さらにその素敵な輪が広がっていくのが楽しみです。

先日はトレイルランニングにもチャレンジしたと伺いました。はじめてのトレイルランニングはいかがでしたか?

松岡)すごく楽しかったです。競技性というよりはエンタメ性を強く感じました。みんなで走りながら休憩して、景色を見ながらお話しして、でまた走り出してという感じで。10人ぐらいで走ったのですが、初めての人たちとも仲良くなれて。そういう楽しみもあるのかな、と。何より景色がきれいでした。

ーー松岡さんの表情と感想を聞いているだけで、景色のよさが伝わってきます!

松岡)静岡市葵区の家が多い街並みに、少し小高い山があり、そこに登りにいきました。少し上に登ると、もう清水の漁港が見えたり、富士山が見えたり、日本平が見えたり、駿河湾が見えたり。数多くの絶景ポイントがありましたね。

ーー昔から自然はお好きだったんですか?山遊びなどもされてきたのでしょうか。

松岡)山も好きだし、川も海も好きですよ。小学生の頃とかによく両親に連れて行ってもらいましたからね。そういう思い出が強く残ってるので、自分も今親になって、子どもたちをできるだけ連れて行くようにはしてますね。

ーーエムズアドバンスのホームページを拝見したのですが、「CSR(社会貢献活動)」の中の「地球に生かされている」というメッセージが印象に残っています。子どもの頃から身近に自然に触れていたことや、現在のトレイルランニングの活動から来ている言葉ですか?

松岡)それはあるかもしれませんね。子どもの頃から自然に身近に触れながら、育てられてきました。

また、ハイキングしてる人とトレイルランニングしてる人が出会った時のマナーであったり、もっと言えば「人と人」よりも「自然と人」という考え方ですね。山を走るにしても、山を貸してもらってるというような、「自然の中に人がいる」という意識をもつ。このような意識は先日トレイルランニングをしてて初めて感じましたね。

ベテランのトレイルランナーの方にもお話を聞き、いろいろな自然に対する考え方を伺いました。

「トレイルランニングをすることによって山を汚している」という考えもある一方で、トレイルランニングをする中で山を走ることで山の偉大さや、自然の大切さに気付いて、そこから啓発するという考え方もあります。トレイルランニングをすることで、改めて、自然の中に生かされているちっぽけな私という一面に気付きました。

ーー実際に自然に触れることで、環境への意識が高まっていったのですね。最近、他にはどのような活動をされていますか?

松岡)イベント系の活動をしています。サッカーイベントであったり、テレビ、そして、ラジオも始まりました。あとは、これから「One Shizuoka Project」も進めていこうと思っています。

ーー「One Shizuoka Project」にはどのような経緯で関わり始めたのですか?

松岡)このプロジェクトは、ジュビロ磐田の山田大記選手が発起人です。2020年5月頃、コロナ禍の中でリーグ戦が中断されていました。山田選手が発端で何か静岡の方々に対してできないか、というところで県内4チームの選手会が立ち上がり、プロジェクトが始まりました。僕も仲の良い友人だったのもあり、コロナ禍の中で自分にもできることはないかというところでプロジェクトに関わることを決めました。

ーー関わってみて、心境の変化などはありましたか?

松岡)今まではスポンサーや自治体との関係づくり、たとえばひとつひとつの挨拶や取引であったりといった部分は選手が行うものではありませんでした。今回のプロジェクトでは、選手がそのあたりもやり始めたというところで苦労があったと思います。

私個人としては、お話ししてきたとおり、「知らないことを知る」というのが好きなので、苦労はありませんでした。

ちゃんとした組織にはなっていないところから試行錯誤しながら、とにかく想い優先でプロジェクトを進めていき、活動しながら徐々に修正していきました。クラウドファンディングをして寄付金を集め、静岡県新型コロナウイルス感染症対策本部に寄付し、県内のPCR検査体制拡充に役立てる活動を行いました。また、今年はこども食堂への寄付をする予定です。

ーー印象に残っている声や成果はありますか?

松岡)個人的には一回目のクラウドファンディングがとても印象に残っています。

思った以上に皆さんが応援してくれて、このプロジェクトやクラウドファンディングの活動は間違っていなかったのだ、と自信を深めることができました。

また、他にも静岡県の小学生対象や指導者対象で僕らの経験を伝えるZoomの講習会をしたり、YouTubeで対決企画をしたり。そういったエンタメ性のある企画をやってみたいね、という話になり少し試してみました。シーズンが始まってしまうと、選手たちの参加が難しくなるのでそこが課題ですね。今後も、コンテンツを提供していくというところに取り組んでいきたいと思います。

ーー松岡さん自身がどう動いていくのか、選手をどう巻き込んでいくのかが鍵になりますね。

松岡)おっしゃる通りです。「One Shizuoka Project」のメンバーの中では唯一の引退選手なので、今自由に動ける立場である僕が、さらに形を作っていきたいです。

「世界」に目を向けた社会貢献活動を

ーー社会貢献活動は、現役時代からチームでも個人でもされていたのですか?

松岡)いろいろなチームにいましたが、チーム単位で活動していましたね。

昨年からのコロナ禍での活動もそうですし、震災時など、その都度選手会長が発起人になり義援金をオークションで集めたりしていました。選手たちの多くが「社会に対して何ができるか」を意識しています。

僕に限らず、「サポーターの皆さんに生かされている」という意識はどの選手も持っていたと思いますよ。

ーーこれまで現役時代から、様々な社会貢献活動をされてきていると思いますが、その中でも印象に残っている活動はありますか?

松岡)東日本大震災の時の活動です。日本代表や元日本代表の試合を開催したり、各クラブ単位で募金活動をして総額を東北に寄付したりと、全チームがひとつになり活動を行なっていました。

僕自身も小学4年生の時に阪神・淡路大震災を経験してますし、個人的に強い想いがあったのも覚えています。

ーー今後、力を入れていきたい活動や、特に関心をもっている分野はありますか?

松岡)世界に目を向けていきたいですね。

僕自身も今はそこまで世界をよく知っているわけではないので、まずは自分で世界を見て現状を知った上で、自分に出来ることと掛け合わせた活動を、積極的に行っていきたいです。

ーー松岡さんが今、世界に目を向けるようになったきっかけはありますか?

松岡)「知らないことを知らないまま死ぬ」のが一番悔しいという気持ちがあるからです。

勉強して知っている海外の文化でも、実際に見たり経験したりせずに人生が終わるというのは歯痒い気がして。

サッカー選手としては移籍も多く、日本では色んな土地を知ることができました。そして、現役引退した今のタイミングで、世界に強い関心が向いているとも思います。

ーーこれまでサッカー選手として活躍されて、また現在はMCやラジオパーソナリティ、指導者としても活動されている松岡さんが、これまでの経験と「世界」を掛け合わせて、どのような活動をされていくのか、非常に楽しみです。

本日はお話しいただき、ありがとうございました!

編集部より

「地球に生かされている」

インタビュー中の答えからも伝わってくる強い「好奇心」と、「聴く力」「話す力」を武器に、2021年とにかくたくさんのことにチャレンジし、多くの人と出逢い、吸収した松岡さんが、どのように静岡に、日本に、世界に、地球に還元していくのか。

お話を伺っていて、一緒にワクワクした時間でした。これからの松岡さんのご活躍を楽しみにしております!

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