目隠しをして3人対3人で音を頼りにプレーする『ゴールボール』。東京パラリンピックで女子日本代表チームが銅メダルを獲得したこの競技の元日本代表選手である高田朋枝さん(以下、高田)にお話を伺います。
2008年の北京パラリンピックに出場後、一度競技を離れ欧米10カ国のゴールボール環境を視察した高田さんは、日本スポーツ振興センター(JSC)での勤務を経て選手として復帰。2018年のアジアパラ競技大会では金メダルを獲得し、2021年まで日本代表強化指定選手として活躍しました。
現在は欧州での経験も活かしつつ、普及活動に情熱を注ぐ高田さん。「競技を広げることが最大の目的ではない」と語るその活動の軸にある想いと、その背景にある彼女が歩んできた道のりとは?

小さなきっかけから大きな覚悟へ|ゴールボール人生のはじまり
ーーゴールボールとの出会い、プレーを始めたきっかけについて教えてください。
高田)高校生の体育の授業で初めて知りました。体験したあと「選手が足りないから出てみないか?」と声をかけられ、国内大会に出場したのがプレーを始めたきっかけです。
それから大学1年生までは、ただ楽しくプレーしていたのですが、あるときアテネパラリンピックに向けた選考合宿に呼んでいただき、そこから“ゴールボールへの向き合い方”が変わりました。
ーーその初めての選考合宿では、どんなことを感じたのでしょうか?
高田)自分自身の“覚悟のなさ”を痛感しましたね。当時のゴールボール日本代表は、海外遠征や毎月の合宿の交通費もすべて自費負担でした。そんな環境で日本代表としてプレーする選手たちと過ごすと、みんなが本当に真剣に競技に向き合っていることがひしひしと伝わってくるんです。
まわりと自分の覚悟の差を感じて、「こんな中途半端な気持ちでここにいてはいけない」と、その選考合宿からはリタイアしました。“人生をかけてゴールボールに向き合っている人たち”に初めて出会った瞬間でしたね。振り返ってみても、あの経験が最初の大きなターニングポイントだったと思います。
ーーその後は少しゴールボールからも離れていたと伺いましたが、再びその世界に戻ろうと決めたのは、いつ頃だったのでしょうか?
高田)大学3年生の頃に、自分になかなか自信が持てず、自分のことを好きになれない時期がありました。嫌なことがあると逃げたり、あと回しにしたりすることも多くて。
「何かに全力で向き合えたら、少しでも自分を好きになれるかもしれない。」そう思って、もう一度ゴールボールにチャレンジすることにしました。やるからには、今度は覚悟を決めて人生をかけて挑戦しようと決意して取り組んだ結果、ナショナルチームで活動させていただき、北京パラリンピックにも出場することができました。

「見えなくても、なんとかなる」世界を広げた10カ国一人旅
ーー北京パラリンピック後には、欧米を一人で旅されたそうですね。
高田)2010年に、奨学金制度を利用して欧米10カ国を1年間かけて巡りました。あの1年は、人生の中でも特別な時間だったと感じています。本当にやりたいことをやって、夢を叶えた。そう感じられる経験でした。
ーーどんな思いで旅に行くことを決めたのですか?
高田)高校生の頃から英語が好きで、いつか海外に行ってみたいという気持ちがずっとありました。加えて、「視覚障がいがある自分でも一人旅のような“難しそうなこと”に挑戦してみたい」という気持ちもあり、その両方の夢を叶えられた旅でした。
中学から盲学校に通っていた私は同級生も少なく、自分の世界が狭いとずっと感じていたからこそ、いろいろな経験をしたいという思いが人一倍強かったのだと思います。
ーー実際に旅をしてみて、どんな経験が印象に残っていますか?
高田)「なんとかなるんだな」と思えたことが、一番大きな収穫でした。
視覚的にはほとんど見えていない状態だったので、正直不安はありました。でも、困っているときには必ず誰かが声をかけてくれましたし、自分でも情報を調べながら公共交通機関を使って移動すれば、意外といろいろなことが問題なくできました。そんな経験を重ねるうちに、なんでもできると前向きに考えられるようになっていきました。たくさんの人に助けてもらって、出会いにも本当に恵まれた旅だったと思います。
ーー旅の中では海外のゴールボール環境を視察されたんですよね。
高田)アメリカとフィンランドでは女子のナショナルチーム、リトアニアとスウェーデンでは男子のクラブチームの練習に参加しました。国際大会の視察だけの国も含めて、合計で10カ国をまわりました。
ーー各国のチームに触れて、どのような気づきがありましたか?
高田)「環境はどの国も日本とあまり変わらないな」というのが正直な感想でした。パラリンピックに出ている国のナショナルチームでも、選手の数は10人に満たないところがほとんどで、国内大会には多くの選手が参加していてもパラリンピックを目指して本格的にやっている層は少なく、強化費もあまり潤沢ではないため限られた環境の中でどの国も頑張っていました。それが世界の実態だと、自分の目でたしかめることができた貴重な機会でしたね。

帰国して見つけた新たな使命
ーー欧州視察から帰国後は、どのような道を歩まれたのでしょうか?
高田)選手として復帰し、ロンドンパラリンピックを目指すことも考えていましたが、日本のゴールボール界の状況を改めて客観的に見たときに、“普及活動に携わっている人がほとんどいない”ことに気がつきました。人手が足りていないところを自分が担うことが一番役に立つことではないかと思い、選手ではなく“普及”に携わることにしました。
ーーどのようにして活動を始めていったのですか?
高田)東京都ゴールボール連絡協議会を紹介していただき、そこで2012年から本格的に活動を始めました。
ロゴやホームページ・紹介動画を作ったり、体験会や交流大会の企画・運営を行ったりと、できることから少しずつ取り組みました。2016年からは『あすチャレスクール』の活動にも関わるようになり、今も続けています。
ーー2016年からは再び選手としても本格的に活動されていますが、普及活動との両立は大変だったのではないでしょうか?
高田)もちろん大変でしたが、決して不可能ではありませんでした。普及活動を始めた当初は、すべてが手探りな状態でしたが、数年かけて組織の基盤が少しずつ整ってきていたこともあり、選手活動とバランスを取りながら取り組むことができました。周囲のメンバーと分担しながら進められたことも大きかったと思います。

ゴールボールの尽きない魅力|日常にはない「わちゃわちゃ」もおもしろさ
ーー選手としても、普及活動の担い手としても、長くゴールボールに関わり続けてこられた原動力は何でしょうか?
高田)やはり“仲間の存在”が大きいです。今までを振り返ると、クラブチームのメンバーやナショナルチームの選手・スタッフなど、さまざまな場面で一緒に頑張ってきた人たちがいてくれました。海外にいたときも、SNSを通じて日本の仲間とつながっていましたし、20年前に一緒にゴールボールをしていた友人とこの前も旅行に行ったんですよ。新しく出会う選手たちと一緒に大会に出たり対戦したりすることも、私にとっては大きな楽しみです。
ーーご自身にとって、ゴールボールのどんな点に魅力を感じていますか?
高田)一番の魅力は、“対等に楽しめること”です。他の競技だと視覚に関するサポートが必要になる場面があるのですが、ゴールボールではアイシェード(目隠し)をつけて同じ条件で競い合えます。もともとリハビリのメニューとして考案された競技ということもあって、音や空間の認知力が自然と鍛えられますし、音を頼りに状況を判断して動くために自ら声を出して仲間に状況を伝えたり、確認したりするスキルも身につきます。これらは、日常生活ではなかなかできない体験です。
見えないからこそわちゃわちゃしながら楽しめますし、逆に初めてアイシェードをつけるとまったく話さなくなる人もいて、その違いもおもしろいですね。
ーープレーを続けていくと、おもしろさの幅も広がっていきますか?
高田)競技レベルが上がるほど、選手同士の会話がどんどん増えていきます。
しかもコート内の3人は、絶えずゲームが進む中でリアルタイムで意思疎通をしなければいけません。競技中はまわりは声をかけられないルールがあるので、ベンチの選手やスタッフと話せるのはプレーが止まった一瞬だけ。最短の一言で意思疎通をし合うのもおもしろさの一つですね。
「普及」以上に大切にしていること|背中を押せるきっかけを
ーー普及活動ではどんなことを大切にされているのでしょうか?
高田)私は、普及活動を通してゴールボールの存在を広げていくこと以上に「人にはいろいろな可能性がある」と多くの人に伝えたいと思っています。見えなくてもできることがある、最初は怖かったけれどやってみたら楽しい、と実感してもらいたいです。私がつくれるのは一瞬のきっかけだとしても、目の前の人の幸せの力になりたいと思っています。
ーーそう考えるようになったのは、どのようなことがきっかけだったのでしょうか?
高田)世の中には本当にたくさんのスポーツがあって、マイナースポーツと呼ばれる競技が大多数です。そして、それぞれのスポーツを好きで広めたいという強い想いを持った人たちがいます。そう考えると、皆が普及だけを目的に突き進むと、競技間での“人の取り合い”になってしまうこともあると思うんです。
だから私にとってゴールボールは、私が背中を押せる“誰かと出会うためのツール”だと思っています。
ーー素敵な考え方ですね。高田さんがそのツールとしてゴールボールを選ぶ理由はどのようなところにあるのでしょうか?
高田)正直に言うと、「私ができるのがゴールボールだから」だと思っています。
もちろんゴールボールには魅力がたくさんあります。ただ、それらがゴールボールにしかない“オンリーワン”の要素かといわれると、必ずしもそうとはいえない気がします。他のスポーツや音楽などでも、同じような価値は得られるかもしれませんが、“オンリーワン”でなくても良いのかなとも思っていて、私が使えるツールがゴールボールだからというのが最近たどり着いた答えです。
ーーこれからに向けては、どのようなビジョンを描いていますか?
高田)今後は、同じような思いを持って、体験会やイベントを開いてくれる仲間が増えていったら嬉しいです。
もちろん、現役の選手であれば、まずは自分の夢を大切にしたい思いは当然あると思いますし、「競技を知ってもらいたい」という方向に気持ちが向くのは自然なことだと思うんです。私自身もそうでした。でも、競技を知ってくれた目の前の人のその先の人生にも思いを馳せて、どんなプラスを届けられるかという視点を持てる人が増えていくと、競技も社会ももっと豊かになるんじゃないかと思っています。
ーー最後に、これからの目標を聞かせてください。
高田)私はスポーツには人と人をつなぐ力があると感じています。なかでもゴールボールは、障がいの有無を超えてつながることができる競技だと本当に実感しています。
だから私は、ゴールボールを通してさまざまな人とつながって架け橋をつくっていきたい、そしてその先に幸せが生まれていくような未来を、一歩ずつ目指していきたいと思っています。
ーーありがとうございました!