脊髄性筋萎縮症(SMA)とともに生きる戸澤和馬さん(以下、戸澤)は、パラ競泳とボッチャのチームに所属しています。今回は、戸澤さんがスポーツを始められたきっかけやスポーツの魅力についてお話を伺いました。より上へ、よりよいタイムを、とストイックに競技に取り組む戸澤さんの原点についても教えてくださいました。
4つの型に分けられる脊髄性筋萎縮症
ーー戸澤さんはパラ水泳とボッチャをやられているとのことですが、ご自身の障がいについて教えていただけますか?
戸澤)私は現在31歳(2021年12月時点)で、脊髄性筋萎縮症(SMA)というⅠ型からⅣ型まである中のⅢ型です。
ーーⅢ型はどのような病型なのでしょうか。
戸澤)Ⅲ型は若年型SMAとも言われ、今までできていていたことができなくなります。歩けていたのに歩けなくなるなどの、進行性の病型です。Ⅱ型は腕を上にあげることも難しいのですが、私はまだある程度上げることができます。Ⅳ型に近い軽度の方になると、50代を過ぎても歩ける方もいるようです。同じ病型の中でも、重度だったり軽度だったりさまざまな方がいます。
ーー戸澤さんは、何歳のときから病気と向き合っていらっしゃるのですか?
戸澤)病気自体は遺伝子による先天性のものなのですが、病気だと認識したのは17歳のときです。走るのが極端に遅くなり、体育の授業を見学するようになりました。病院を受診したのですが原因が分からず、障害者手帳をもらって様子を見ることになりました。当時はまだSMAの遺伝子検査自体が始まる前で、軽度脳性麻痺という誤った診断を受けていたこともありました。
SMAを発症してからもしばらくは歩行ができたので、高校も通いましたし会社にも歩いて出社していました。
ーー初めは原因が分からなかったのですね。進行性の病気ということで、発症当初から症状は進んでいるのでしょうか?
戸澤)はい。会社に入って2年ほど経ったくらいから自力で立ち上がることができなくなり、杖が必要になりました。階段の昇降も手すりを使って行うようになりました。まだその時は車椅子を使う選択をしていませんでしたが、周囲から車椅子を勧められるようになりました。それでも、車椅子を使うことには反対をし自力で歩こうとしていました。
ーーなぜ車椅子を使う選択をしていなかったのですか?
戸澤)自分の障がいを受け入れられていなかったからだと思います。ですが、26歳の時、仕事中に転倒し左足の中足骨の骨を折ってしまい、歩行訓練の中で危ないと判断され、電動車椅子を購入しました。そのときはまだ家の中では歩いて移動を行っていましたが、また転んでしまったことがきっかけで手動の車椅子を使うようになっています。
自分が恥ずかしくなり、パラ競泳を始めた
ーーパラ競泳を始められたきっかけは何ですか。
戸澤)TOKYO2020が開催されることになり、会社内でパラスポーツを応援しようという企画が立ち上がり、パラ競泳大会の観戦に行くことになりました。そこでは、頚椎損傷などが理由でプールに自力で入ることのできない方たちが競技をされていました。その光景を見て自分が恥ずかしくなり、私もこういう舞台で泳いでみたいと思ったことがきっかけです。
アテネパラリンピックの銅メダリストである杉内周作さんが私と同じ会社に所属しているので、チームに連絡をとっていただき障がいのクラス分けテストを受け、本格的に取り組み始めました。
ーー戸澤さんにとっての水泳のおもしろさはどのようなところにありますか?
戸澤)地上ではなかなか身体を動かせなくても、水中であれば自在に動かせるところです。あとは、結果を残せば上の大会に出られるところです。
ーー地上と水中では、身体を動かす感覚は違うのですか?
戸澤)まったく違います。浮力があるので、下半身が動かなくても上半身の力で進むことができ、自力で進めている感覚が得られます。
ーー戸澤さんご自身、日本選手権などより上のレベルを目指したいと考えていると伺いました。子ども頃からそういった向上心の高い性格だったのですか?
戸澤)いえ、そうではなかったです。パラスポーツをやり始めてから、投げやりだった性格も変わり、目標を見つけてやれることはやろうと思えるようになりました。
練習は、1日平均1000m
ーー1日にどれくらいの練習をこなされるのですか。
戸澤)コロナ禍で施設の利用時間が制限されているのですが、大体1日1000mくらい泳ぎます。年末の追い込み練習では、コーチの指示のもと20分間泳ぎ続けました。
ーーすごい量の練習をされているのですね。練習はどこでやられてるのでしょうか。
戸澤)横浜にある障害者スポーツ文化センター横浜ラポールでやっています。温水プールの温度が32℃あり、体温調整が難しい障がい者の方でも使えるプールなどがあります。
土日祝日の前後に予定がない日には自主練習をしています。
進行性の病気だからこそ、クラス分けが重要
ーーSMAなどの進行性の病気の場合、パラ競泳のクラス分け(障がいの度合いによる区分け)はどうなるのですか?
戸澤)身体障がいのパラ競泳のクラス分けは10段階あり、1に近づけば近づくほど障がいは重くなります。私は今、8のクラスに分けられています。
ですが、クラス分けテストを受けたのは3年前で、当時は杖を使って歩けていました。進行性の病気なので、私は「見直し」をすることが可能になっており、医師の診断書を提出し認められれば、クラス分けの再テストを受けることができます。
ーー再クラス分けテストによって、現状の条件で競技を行うことができるのですね。
戸澤)今回、TOKYO2020が近かったこともあり、再クラス分けテストを受けられる枠が埋まってしまったため、私は受けることができませんでした。おそらく、パラリンピックの育成選手や強化選手で枠が埋まってしまったのではないかなと思います。
ーー戸澤さんのような競技に打ち込まれている方にとって、クラス分けというのは重要なものなんですよね。
戸澤)そうなんです。自分に合っているクラスでないと、大会に出たとしても歯が立たなくなってしまいます。現在の私のクラスである8には合っておらず、周囲からは「6か5ではないか」と言われています。
ーー戸澤さんからお話を伺うまでは、『パラスポーツのクラス分け』というものに対してあまりイメージできていませんでした。特に進行性の障がいの方には大事なもので、そのクラス分けが迅速に行われることが大事なのですね。
ボッチャの魅力は、コントロールの難しさと達成感
ーー今はボッチャもされていると伺ったのですが、ボッチャを始められたきっかけについて教えてください。
戸澤)ボッチャは2021年からチームに所属しています。きっかけは、ラポール上大岡でボッチャの体験会に参加したことです。参加してみたら、とても面白かったのでやってみようと思いチームに入りました。
ーー戸澤さんの感じるボッチャの魅力はどんなところですか?
戸澤)コントロールの難しさと、達成感ですね。投げ続けると疲れてきてしまい、失投してしまうことが今の課題でもあり難しいと感じている点です。距離を合わせて投げることは、結構難しいです。体育館での練習だけでなく、自宅でもコントロールの練習など精度を高める練習をしています。
やれるうちにやれることをやる
ーー戸澤さんは水泳でもボッチャでも自主練習をされたり、とてもストイックな方ですね!そのストイックさはどこから生まれてくるものなのでしょうか。
戸澤)「やれるうちにやれることをやったほうがいい」という想いがあります。昨年亡くなったSMAの海老原宏美さんが生前そうおっしゃっていて、自分もそうしようと思うようになりました。今できることをやろうという気持ちが、ストイックさに繋がっているのではないかと思います。
まわりの人には、障がいを持っていると何もできない、というふうには思って欲しくないです。常に助けられる存在というのは違うと思っていて、助けられることも多いですができることもあると伝えたいです。握力がなくても手の甲で工夫したり、できることは結構あるんですよ。
ーー会社でもお仕事をされていますが、同僚の方とはどのようにコミュニケーションを取られていますか。
戸澤)高いものを取ったりはできないので、お願いをしています。やってもらった後は必ずお礼を言います。やってもらって当たり前だとは思っていません。街中などで見ず知らずの方に配慮をいただく時もあります。その配慮が、自分には必要なかったとしてもお礼を伝えるようにしています。以前は、すみませんと謝っていたのですが今は明るくきっちりお礼を伝えるようになりました。
ーー小さくなって謝るのではなく、明るく感謝を伝えるようになったんですね。
戸澤)はい。パラスポーツを始めて考えが変わりました。頚椎損傷や四肢欠損でも明るくスポーツされている方を見て、塞ぎ込んでいる自分は恥ずかしいなと思うようになりました。
スポーツは、自分を変えてくれる存在
ーーこれからの目標はありますか。
戸澤)まずは、引退しないように続けていくことです。あとは、肉離れを起こさないように身体を動かすことですね。スポーツを始める前は、肉離れを起こしやすい身体だったので、その時の身体に戻らないようにしたいなと思っています。
ーー戸澤さんにとって、スポーツとはどのような存在ですか。
戸澤)自分を変えるものです。塞ぎ込んでいた自分を変えてくれた存在です。もちろん、進行性の病気なのでタイムが落ちたりできることができなくなって悔しい思いもします。ですが、結果を出したりメダルをとったりするととても嬉しく、自分を支えてくれる存在になっています。
ーーありがとうございます!これからのご活躍、楽しみにしています!
編集より
戸澤さんは、進行性の病気である脊髄性筋萎縮症(SMA)をお持ちのパラアスリートです。パラスポーツを考えるときに、『クラス分け』のことや、それが変化していくことについて、戸澤さんとお話するまで正直しっかりと認識することはできていませんでした。
そうした認識を深めるだけでなく、インタビューを通して戸澤さんから本当に強いエネルギーを感じました。「やれることをやれるうちに」という想い、そして少しでも競技成績を伸ばしたいという想い。スポーツに出会ったことで変わったその前向きな想いで頑張る戸澤さんを、これからも応援したいと思います!