2025年に東京で開催される、耳のきこえないアスリートの総合スポーツ競技大会・デフリンピックまであと1年。世界中のデフアスリートが『TOKYO』を目指してしのぎを削る中、日本人デフアスリートも世界で結果を残しています。
そんなデフスポーツ界から、今年国際競技大会で活躍した注目の2選手がSports for Socialに登場!
デフ陸上で世界選手権800m銀メダル、1500m銅メダルを獲得した樋口光盛選手(以下、樋口)、デフバレーボール世界選手権で優勝、個人としてもベストアタッカー賞を獲得するなど大活躍の梅本沙也華選手(以下、梅本)。共通の友人もいる2人の和やかな会話から、デフスポーツの持つあたたかく優しい魅力が伝わってきます。
プロフィール
樋口光盛選手
中学2年から陸上競技を始める。
一度競技から離れたものの、改めて復帰して2年目で初の世界大会である『第5回世界デフ陸上競技選手権大会』に出場、800m銀メダルと1500m銅メダルの実績を残す。
梅本沙也華選手
双子の姉(綾也華)と共に小学校1年生からバレーボールを始める。中学校の3年間はろう学校のバレーボール部に所属するが、それ以外は聴者とともに部活動・クラブチームで活動。現在は京都産業大学バレーボール部に所属しながら、大阪のクラブチーム、そしてデフバレーボール日本代表の活動にも参加し、世界選手権で優勝・ベストアタッカー賞を獲得する活躍を見せる。姉の綾也華は日本代表チームのキャプテン。
一度は離れた陸上競技。デフリンピックを目指して復帰!
ーーまずは樋口さん、競技を始めたきっかけを教えてください!
樋口)中学校に入学し、はじめは野球部に入っていました。しかし、野球で大切とされるコミュニケーション、チームプレーの部分でなかなか馴染めず、姉が入っていた陸上部に入ることにしました。とくに「やりたい!」というわけではなく陸上競技を始めたんです。
ーー陸上競技からは一度離れたこともあると伺いました。
樋口)高校では大阪府立だいせん聴覚高等支援学校というろう学校に入り、そこで3年間陸上競技に打ち込みました。キャプテンとしてろう学校の陸上競技大会で総合優勝したこともあり、大学は石川県の大学からスポーツ推薦をいただいて進学しました。
ただ、大学3年生のときに、授業についていけないのとコロナ禍ということもあり、大学を辞めてしまって…。そのときは陸上競技からも離れていました。
ーーどのようなきっかけでまた陸上競技に取り組み始めたのですか?
樋口)社会人になる前に、デフリンピックが東京で開催することが決まり、デフバレーボールの薮野選手から、「一緒に東京デフリンピックに出よう!」と声をかけてもらったことが1つのきっかけとなり、選手復帰しました。
ーー藪野選手のことは、梅本さんもご存じですか?
梅本)デフバレーボール男子の日本代表選手で、同世代なのでもちろん知っています!
ーーそんな紆余曲折があった樋口さん。最終的に陸上競技に熱中できた理由はなんですか?
樋口)高校生のときにはタイムがどんどん上がってパフォーマンスがよくなっていきました。試合でもいい結果が出せるようになり、“聞こえる人たちに勝てる”というのが自分の自信になって、熱中するきっかけになったのだと思います。
練習が結果につながる!バレーボールの魅力
ーー梅本さんがバレーボールを始めたきっかけを教えてください。
梅本)小さいときから両親がバレーボールをしていて、プレーをしている両親がかっこよく、憧れの存在でした。私も両親のようになりたいと思って、双子の姉(綾也華)とともにバレーボールを始めました。
ーー梅本さんは聴者のチームでもプレーを続けています。バレーボールをする上で乗り越えなければならなかったことはありますか?
梅本)バレーボールは、練習でやってきたことが試合に結果として繋がるスポーツだと思っています。試合に参加できるのは6人だけですが、1人1人の小さな力がチームとして結集して大きな力になるので、練習中でも試合中でもコミュニケーションがとても重要です。
自分自身が聴覚障がいを持っていることで、何かを伝えていくことに対して、相手に誤解を与えてしまったりすれ違いもたくさんあって、意思疎通を取ることが難しいときもありました。
ーー意思疎通を図る上で、梅本さんが工夫したことにはどんなことがありますか?
梅本)聞こえる人に伝えたいっていう自分の気持ちを実現するために、発音の練習をする必要がありました。言葉は下手でもいいけども、自分の気持ちを伝えていくために積極的に“声を出して話す”ことを心がけました。
ーー樋口さんはこうしたコミュニケーションの面で困ったことや工夫していることはありますか?
樋口)陸上競技では、競技の前に番号を呼ばれて確認する作業があります。大会の方が何番を呼んだかわからないときもあるので、隣の方に番号を見ていただいて自分の番になったら教えてもらったりしています。
ーー周囲に協力してもらうことはとても大事ですね。
梅本)高校生のときに、まわりのメンバーが手話や指文字を覚えてくれて、すごく嬉しかった記憶があります。いまの大学バレー部でも多くのメンバーが手話を覚えてくれて、私がわからないときに「今の何?」とか、「(今のボールは)誰が行く?」とか何か確認すると、手話や指文字で教えてくれるんです。
ーーチームとしても一体感が出るような、そんないいエピソードですね!
世界で結果を残す2人
ーー梅本さんは世界選手権での優勝、そしてベストアタッカー賞を受賞されています。チームとしての優勝もそうですが、ベストアタッカーという個人賞を日本人で受賞するというのは素晴らしいことですよね。
梅本)世界選手権では、本当に素晴らしい選手たちの中からベストアタッカー賞に選んでいただき、まさか私だとは思わなかったので、自分でいいのかな?って(笑)。名前を呼ばれたときはとても嬉しかったです。
ーーどのようなご自身のプレーが、このような素晴らしい結果につながったとお考えですか?
梅本)「強気でスパイクを打つ」ということを心に留めて試合に臨んでいました。トスが多く集まるポジションでもありますし、「点を取りたい」シチュエーションのときにきちんと点数を取れるかが大事でした。実は、決勝トーナメントの前に怪我してしまっていたので不安もありましたが、最大限出し切ろうという想いで、より強気に臨めたのが良いパフォーマンスに繋がったのではないかと思います。
ーー樋口さんは台北で行われたデフ陸上世界選手権で800mで銀メダル、1500mで銅メダルと2種目でメダルを獲得されました。
樋口)実は、国際大会に出場するのは今回の世界選手権が初めてでした。そこで1500mの銅メダル800mの金メダルという大きな実績を残せたのはよかったです。これからどんどん世界の大会にも出て、記録も伸ばしていきたいです。
ーー昔から中距離競技を専門でやられていたのですか?
樋口)中学時代は3000m、高校に入ると5000mなど比較的長距離に取り組んでいましたが、長いと疲れるので少しずつ距離を縮めています(笑)。
観たい!デフスポーツの魅力を語る
ーーそれぞれの競技の魅力はどんなところにありますか?
梅本)デフバレーボールは、聞こえる人と同じルールで行います。みなさんがイメージするバレーボールと同様に、一つのミスが結果に繋がってしまう緊張感、得点を決めたときチームメイト全員と喜びを共有できる部分などは大きな魅力です。
デフバレーボールでは、“アイコンタクト”をとても大事にしています。手話でオープンにコミュニケーションを取ると、声で話すよりも相手に内容がバレてしまうことがあります。目を合わせながら気持ちを繋げ、チーム全員で一丸となって粘り強く、ボールを必死に繋ごうとする姿を是非見てほしいなと思います。
ーー陸上競技はいかがですか?
樋口)私の種目である中距離は、短距離種目と違いは、同じレーンで8、9人一緒に走ることになることです。なので、前後左右の押し合いや、ある程度そのアクシデントがつきものなんですよ。そんな状況で、「1位を取るぞ!」という気持ちを持っての闘いは、是非注目して観てほしいです。
バレーボールと違って個人競技なので、自分の努力次第で結果も変わってきます。これまで頑張ってきたことがシンプルに結果に出る、というところも陸上競技の魅力だと思っています。
梅本)海外の選手も含めて、バチバチぶつかり合いながら走って結果も出すというのはすごいことですね!是非今度観に行きたいです。
ーー2025年にはデフリンピックが東京で開催されます。大会への想いを聞かせてください!
樋口)僕はデフリンピックに出たことがないので、まだあまりイメージができていないところがあります。チャレンジする気持ちで競技に挑みたいですし、パリ五輪でも多くの日本人選手が陸上競技で活躍し、北口榛花選手が金メダルを獲得したように、僕自身もデフリンピックで金メダルを獲りたいなと気持ちを高めています。
梅本)オリンピックやパラリンピックは知ってる方が多いですが、デフリンピックはまだ知名度が少ない状況です。デフバレーボールの活動を通じて、デフリンピックのことやデフスポーツの魅力を多くの人に知ってもらいたいと思っています。そのためには、自分自身が結果を出すことも大事です。
デフリンピックをきっかけに、これから社会の見え方がよりよい方向に変わっていくことを願っていますし、デフリンピックで終わりではなく、その先の繋がりにも目を向けていけるようにしたいです。
ーーありがとうございました。