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変化を恐れず挑戦し続けるパラアスリート −パラテコンドー日本代表 阿渡健太氏−

・皆さんがもし明日から両腕が無くなってしまったらどうしますか。

・バイトの面接で、障がい者だからと言う理由だけで落とされるとどうしますか。

・腕が無いと言うことで周りから酷い言葉を言われるとどうしますか。

今回はパラテコンドー日本代表の阿渡さんをお招きして、変化に恐れず常に主体的に挑戦し続けられる秘訣や、障がいと言う存在についての想いを語って頂きます。

パラテコンドーとは?▶️2015年1月に東京大会の正式競技に決定し、世界の競技力が急速に向上しているパラテコンドー。パラリンピック種目に採用されたのは、主に上肢障がいの選手が参加できるキョルギ(組手)だ。その特徴は、腕の切断部分などにより4つのクラス(K41~44)に分けられることと、男女それぞれ体重別に3階級に分けられること。一般のテコンドーとは異なり、頭部への攻撃が禁止されており、蹴りのみで攻撃する競技。

Sports for Social編集部)

阿渡さん、本日はご自身の障がい対する想いやパラアスリートとしての想い、社会に対するメッセージなどをお伺いしていきます。よろしくお願い致します。早速ですが幼少期の阿渡さんはどのように過ごしていたんですか?

阿渡)

小学校低学年の頃は、両腕が無いせいで酷い言葉を周りから言われて辛い時期を過ごしていました。しかし小学校1年生の頃にサッカーを始めてから、少しずつ周りの反応が変わってきました。運動神経がよかった私はサッカーで活躍することで、みんなから「こいつ普通にサッカー出来るじゃん」と思われて、気づけば手がないと言う事をチームメイトが忘れる事もありました。周りの友達が、私を障害者でははく、1人の人間として見てくれるようになりました。初めは健常者の方も抵抗があると思いますが、時間が経つにつれて自然と免疫が出来てくるのではないかと思います。

Sports for Social編集部)

初めは障がい者だからとバカにされていても、サッカーで活躍する事で両腕が無い障がい者ではなく、一人の仲間として接してくれるようになったのですね。サッカーではどのポジションでプレーしてたんですか?

阿渡)

ポジションはフォワードやミットフィルダーでプレーし、レギュラーとして試合にも出ていました。サッカーをしている時も周りから気を遣われるのは嫌ですね。サッカーは主に足でプレーするスポーツなので、そういう意味では腕の障害は関係なく、周りと対等にやれたことが自信に繋がったのだと思います。

Sports for Social編集部)

ありがとうございます。阿渡さんはあるインタビューでご自身の障がいを長所と仰っていたのですが、それはとても勇気がいる事では無いですか?

阿渡)

自分の障がいに対してポジティブに考えられるようになったのはサッカーと、小学6年の担任の先生の存在が非常に大きかったですね。私はサッカーが上手くて、地域の選抜にも選ばれ全国大会でも優勝する経験を経て自信が生まれました。小学校のさまざまな経験から、やれば何でも出来ると感じるようになりました。サッカーとの出会いで自信と友達が出来た事は非常に大きかったですね。また、障がいと言っても、先天性と後天性で大きく違ってくると思います。パラテコンドーの選手にも事故などで後天的に障がい者になった人もいますが、後天性の方は自身の障害を受入れることや周りに公表することは、先天性よりも勇気がいるのではないかと思います。一方、私のような先天性の方が自分の障がいを良い意味でネタにするくらい長所として捉えている人が多いように感じます。

Sports for Social編集部)

サッカーで自信と友達が出来たのは、非常に大きな転換点でしたね。サッカーの他に担任の先生との出会いを挙げられていましたが、どのような影響を受けたのですか?

阿渡)

小学校のころ手が無い事で、リコーダーや裁縫など出来ないこともあり諦めていたことがありました。そんな頃、体育の縄跳びの授業でも手が無いから飛ぶのを諦めていたときに先生が縄跳びに細工をしてくれたんです。両手がなくても縄を固定できるように輪っかを作ってくれました。そのおかげで縄跳びが飛べるようになりました。この経験は私にとって一生忘れられない経験です。「工夫すれば何でも出来る」と言うことを先生から教えてもらいました。そこから腕がないから出来ないと最初から諦めるのではなく、「どうしたら出来るようになるか」を常に考える様になりました。中学高校、そして社会人になる上で色々と壁はあるんですけど、その度にどうしたら出来るかを常に考えていました。

Sports for Social編集部)

健常者、障がい者関係なく出来ないと思って立ち止まるのでは無くて、どう工夫すれば出来るようになるかを考えるのはとても大事な事ですね。障がいがある事の苦悩は当事者しか分からないので。周りと共有することが出来ないですよね。

阿渡)

障がいは当事者にしか分からないと言われたんですが、まさにその通りだと思います。私が一番辛かったのは高校生の時で、小学校や中学校はまだみんな子供で何をしてもあまり差がなかったんです。しかし高校生はだんだんと大人になってきて、障がいに対する悩みは大きかったです。具体的には、小学校や中学校ではサッカーに自信があって、フィジカル面でもあまり健常者と差がありませんでした。しかし高校生になると、フィジカルで勝てない経験をしてプロサッカー選手になる夢を諦めました。当時はプロを目指していて、障がい者初のプロサッカー選手を夢見ていたんですけどね。

また、アルバイトが出来なかった事も、高校時代の大きな悩みでした。同じサッカー部の仲間はアルバイトをしていて、自分も同じように出来ると思っていました。しかし会社に行って面接すると腕が無いと言う理由だけで落とされました。そういった不条理な世界があるんだなと初めて実感しました。結果的にアルバイトをすることは出来たのですが、そこまでの道のりは大変でした。いくつもの面接に落ちていた私は「どうすれば雇ってもらえるか」を考えました。そこでバイトの面接時に「1ヶ月間は給料なしで働きます、その間に仕事ができるかどうかを判断してください」と私から逆に試用期間を提示しました。すると1ヶ月後には無事に雇ってもらえる様になりました。どうすればバイトが出来るかを考えた末の行動だったと思います。

Sports for Social編集部)

確かに私が経験したバイトも腕を使う場面が多く、腕がなければ仕事が出来ないのでは無いかと思ってしまいます。そんな中で、自ら会社に試用期間の申し出をした行動力は凄いですね。次はパラテコンドーの話を伺いたいと思います。パラテコンドーを始めたきっかけは、どのような所だったのですか?

阿渡)

パラリンピックの競技をいくつか体験する機会があり、その中で一番面白かったのがテコンドーでした。テコンドーの第一印象はミットを蹴る時の音と、他の選手がやっている姿がカッコいいなと思い競技を始めました。テコンドーでの蹴りの強さはサッカーの経験が活きていますね。ただ、蹴り方はサッカーとテコンドーで全く違うので、その当たりは非常に苦労しました。テコンドーを2017年に初めて3〜4ヶ月ですぐに強化指定選手に選ばれました。日本の中で競技人口が少ないということもありますが、将来性を見て頂けたんだと思います。そこからすぐに世界大会が始まり、初の海外での試合がロンドンでの世界選手権でした。

Sports for Social編集部)

初めての海外遠征が世界選手権とは凄いですね。競技を始めてすぐに日本代表のジャージを着た訳ですが、どんな気持ちでしたか?

阿渡)

日本代表のジャージを着た時は率直に「カッコいいな」と思いました。ただサッカー日本代表みたいに、日の丸を背負うと言う意識は初めは無かったですね。競技を始めて3年経った今は、日本代表に対する気持ちの変化は大きく変わりました。その理由としては、周りのサポートのありがたさを感じたからです。例えば、私が合宿や遠征で不在の間、代わりに仕事をしてくれている会社の同僚、事のサポート、体のケアなど、沢山の人のサポートがあって競技活動が出来ています。だから、より日本代表としての自覚も芽生えてきました。

Sports for Social編集部)

では次に、阿渡さんのお仕事のお話を聞いていきます。今は職場でアスリート制度を使い、どのような仕事をしているのですか?

パラスポーツ_阿部健太

阿渡)

仕事は主に人事で採用の仕事をしています。障がいがある事による、仕事の支障は特に感じないですね。会社の同僚たちもいい人ばかりで、とても良い環境で仕事に取り組めています。ただ今の会社に入社した頃は、私のような障害者がいなかったのでどのようなキャリアを歩めるのかがイメージ出来ず悩んだ時期もありましただからこそ今は、次に入社してくる障がいを持った方のために一つのモデルケースになれるように頑張っています。

Sports for Social編集部)

モデルケースになるのは素晴らしい事ですね。阿渡さんの後に入社してくる障がい者のために、いま何か取り組んでいることはありますか?

阿渡)

まだリリース前なので詳細はお話出来ませんが、障がい者であっても健常者と同じように働ける雇用環境を作りたいと考えています。処遇や雇用機会の格差が無く、全ての人が対等で社会的意義を感じながら、持てる能力を存部に発揮して働ける社会の実現を目指しています。この辺りは、また次の機会にお話出来ればと思います。

Sports for Social編集部)

とても興味深いお話ですね。次に阿渡さんが行っているYouTube活動について聞いていきます。YouTube活動を始めようと思ったきっかけはどういった所ですか?

阿渡)

YouTubeを始めようと思った理由は、パラテコンドーの普及促進と障がい者の社会進出を後押しする、そして健常者にも障害者のことを少しでも理解してほしいという想いではじめました。YouTubeの反響はかなりありました。個人のSNSのDM等で、障がい者のお子さんを持つご両親からよくコメントを頂きます。「凄く励みになる、勇気をもらいます」など、たくさんのメッセージを頂いています。とくにお子さんが小学校入学前や小学校低学年の方からのメッセージを頂くことが多いです。これから子供が思春期になる上で、どうやって接していくのか不安がある様です。YouTubeを通じて、障がい者の先輩である私を見る事が新鮮で、こんなにたくましく元気に生活している姿を見ると励みになると言う声を頂き、私自身もYouTubeをはじめて良かったと実感しています。

また、「障がいは不便だけど不幸ではない」ということを強く伝えたいです。障がい者だから出来ないと言うのは言い訳で、工夫すれば出来ることもあると思います。ただし私みたいにポジティブで常に前向きになれる障がい者ばかりではありません。私も昔は自身の障がいをネガティブに考える時期もありました。一人でも多くの障がい者にYouTubeを通して私が工夫してやっている様子などを見ていただき、障がいがあってもやれば出来ると言う姿を見ることで、少しでも前向きになれるヒントやきっかけを伝えていきたいと思っています。

パラスポーツ_阿部健太

Sports for Social編集部)

YouTubeでの発信も多くの共感を集めており、同じ境遇の方に勇気を与えると言う意味で非常に大きな役割を果たしていると思います。では来年に延期となった東京パラリンピックについて、いま取り組んでいる事は何ですか?

阿渡)

まずはアスリートなので、しっかりとトレーニングを積むことは大前提だと思います。私も含めた全アスリートに共通すると思うんですが、東京オリンピックパラリンピックが開催される前提で日々努力しています。アスリートは死に物狂いで練習していて、そこを含めて皆さんには応援して欲しいですね。気持ちの作り方としては、当初から掲げている目標を思い出す事を心がけています。私の場合は「東京パラリンピックでメダルを獲ってメダリストパレードに出る」ことが目標です。あそこに立てるのは限られた人なので、可能性があるのであればそこに向けて練習するだけですね。そういった下心の延長として、小さい子供たちが将来こうなりたいと思ってもらう事も狙いとしてはありますね。

Sports for Social編集部)

未来のパラアスリートが阿渡さんのメダリストパレードを見て、自分もパラリンピックを目指そう!と思う子が増えれば良いですね。では最後に、阿渡さんから社会に向けたメッセージをお願いします。

阿渡)

たくさん伝えたい事があるのですが、1つ挙げるとすれば「自分が主体的に行動すれ周りは変化するんだよ」と言うメッセージを伝えたいです。一例を挙げると、今の会社ではもともとアスリート制度はありませんでした。。要はフルタイムで勤務しながら、テコンドーの練習もしていました。その時期は体もメンタルもかなり疲弊していました。一方、私以外のパラテコンドーの強化指定選手は所属企業のアスリート制度を活用し、仕事と競技が両立し易い環境でした。彼らは練習時間も多く確保されていた中で、私は練習に割ける時間が少ない状況でした。このような状況下だったので、アスリート制度がある会社に転職も考えていました。しかし今の会社がとても好きなので、自分でアスリート制度を作ろうと思い、実際に作りました。上司に自分の熱意を伝えて、会社のメリットもしっかりと説明しました。何が言いたいかと言うと、自分が主体的に行動する事で周りは動いてくれる、一方で何も行動しなければ何も始まりません。障がいの有無に関わらず、自分で考えて行動することが大切だと私は考えています。周りは変えてくれないので、自分の手で変えていくということを伝えていきたいです。

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