特集

片耳難聴を抱えるJリーガー町田也真人の「聞こえ」との向き合い方

片耳難聴でありながら、Jリーグの第一線で活躍する町田選手と革新的なヒアラブルデバイスを開発するOliveUnion。

「聞こえ」という共通ワードを持つ、両者の対談企画がOliveプレゼンツで実現しました。

それぞれの立場から社会に対して自分たちに何が出来るのかを語られるインタビューになりました。

町田也真人とサッカー

サッカー_町田也真斗

OliveUnion 田染さん(以下田染):まずはじめにサッカーを始められたきっかけについてお話を伺いたいです。

大分トリニータ 町田也真人選手(以下町田):幼稚園の頃休み時間にサッカーをしていて、その時一緒に遊んでいた友達がサッカーチームに所属していて、一緒にやらないかということでサッカーチームに所属することになりました。

田染:育成年代の頃からプロを目指していたのですか?

町田:当時所属していたチームの活動が週4日であり、それ以外はサッカーをする日もあればそうではない日もあり、ただサッカーを楽しんでいたという感じでした。

田染:ではいつ頃からプロを目指し始めましたか?プロ入りの経緯について伺いたいです。

町田:プロの選手になる人は高校からプロの選手になるんだろうなと思っていたんですが、高校にいたときはプロにはなれなそうという状況で、自然と大学に進学してサッカーを続けました。すごいレベルの高い環境にいたのですが、大学四年生の夏ごろにプロになれるかもしれないという段階になり、その後プロ入りが正式に決まりました。

田染:現在町田選手は大分トリニータの選手ですが、プロになってから現在に至るまでいくつかのクラブでプレーされていると思います。そういったところの経緯みたいなところも伺ってもよろしいですか?

町田:最初に所属させてもらったのが現在J2のジェフユナイテッド千葉だったのですが、選手として活躍できるようになるまでは五年かかりました。五年目からは少しずつ結果を残すことができ、J1のチームも含めて他のチームからのオファーが届くようにもなりました。ただここまで育ててくれたジェフユナイテッド千葉をJ1に昇格させたいという思いがあり、また同じころJ1では、川崎フロンターレの中村憲剛選手や小林悠選手が同じチーム一筋で優勝に導いていて、それを見てすごい勇気をもらっていたので、自分のもとに届いたオファーはお断りしていたんです。ただ30歳を手前にして、このままでいいのか、チャレンジするべきじゃないのか、という気持ちになり、去年当時J1だった松本山雅FCに移籍することを決断しました。この移籍が自分の中では大きくて、J1という景色を見ることができたことでいろいろなことが変わったし、他のJ1のクラブも見ることができました。残念ながらその年に松本山雅FCはJ2に降格してしまったのですが、そんな時に同じくJ1の大分トリニータからオファーを頂きました。降格させてしまったという責任もあって非常に悩んだのですが、なぜ自分はジェフユナイテッド千葉を出たのか、というところに立ち返り、もう一度J1の舞台でチャレンジしたいと強く思い、大分トリニータへ移籍することにしました。

「聞こえ」と向き合って

サッカー_町田也真斗

田染:ありがとうございます。そんな中、去年の末に右耳が難聴であることを公表していましたが、そのあたりについても伺いたいと思っています。そもそもいつから耳の聞こえに違和感を感じ始めたのでしょうか?可能な限りでお聞かせください。

町田:右耳が聞こえないというのを自分で認識したのは正確にいつというのは覚えてないのですが、小学1年生の時に受けた聴力テストで、右耳だけ聞こえないという状況になり病院に行くことになったんです。その時に母親から聞いたのですが、実は2歳のころに自分で耳かき棒を耳に刺してしまって、鼓膜の骨がずれたということがあったそうです。ただ病院では手術をしても治る可能性は半分くらいだという話で、当時あまり不自由を感じていなかったこともありそのままにすることにしました。

田染:そうすると、小さいころはあまり不自由を感じずにサッカーだったり生活を送ることができていたという感じだったのでしょうか?

町田:そうですね。本当に仲の良い友達は耳が聞こえないことを知っていましたが、ほとんどの人は僕が耳が聞こえないことを全く知らなかったと思います。

田染:ちなみに当時から右耳は全く聞こえない状態だったのですか?

町田:そうです。ひそひそ話をされると全く聞こえないです。

田染:そうなると、小学校の初めのころから聞こえないというところで、サッカーをするにしても右耳が聞こえないということが当たり前の状況で過ごしていたということですよね?

町田:そうですね。もしこれが、もう少し大きくなってからだったらもっと不自由を感じていたかもしれないですけど、2歳のころから耳の聞こえは同じなのであまり問題なく過ごせていました。

田染:そうなんですね。そういった中で今までにサッカーする時、もしくは生活の中で苦労したことはありますか?

町田:サッカーをしている中では、自分の右にいる選手からの声や、右側にベンチがある時に指示があっても全然気づかずに、ほかの選手やスタッフから試合後に言われることはいまでもあります。生活の中では、さっきもありましたが友達からひそひそ話をされるときに「左から話して」と言って、変な目で見られたこともあります。あとは電車に乗る時など、横に並んで座る場面で、自分が耳が聞こえないということを知らない人で右側に座られたときは「まずいな」と思いますね。でもそのくらいです。

田染:なるほど。ちなみに耳の聞こえ具合にもよるのですが、補聴器をつけること、あるいは人工内耳や手術を検討されたことはありますか?

町田:一回だけあります。高校生のときに母から「補聴器を買う?」という話をされて検討をしました。障がい認定が下りれば費用の助成が得られるとのことだったのですが、片耳だけでは認定が下りず、また値段が高いことやデザインが良くないこともあり、じゃあいっか、ということで購入はしませんでした。ただその時の一回だけです。

田染:そのように過ごしていく中で、自分が耳が聞こえないことをツイッターで公表したことにはなにかきっかけはあったのですか?

町田:僕がプロの選手になってから、人のために自分から何か発信していきたいという気持ちがずっとあって、僕自身耳が聞こえないことはハンディキャップだとは思っていないのですが、同じ悩みを抱える人たちに自分が何かできるのでは、ということは考えていました。ただそれはJ1でしっかり試合に出て、耳が聞こえなくてもJ1で活躍している町田也真人選手という人がいるよという発信をしたかったのと、より多くの人を勇気づけたいというのがあって、僕が初めてJ1でスタメン出場をした次の週に発信をさせていただきました。

田染:その時は周りからの反響などはありましたか?

町田:チームメイトにはこのことを知っている選手もいたんですが、知らなかった選手はわざと右から話してきて「あ、ごめん!」といういじりがあったりもして、僕自身あまり重く受け止めていることではないので、発信したことで気が楽になって嬉しかったですね。それと、ツイートに多くの方から反響があり、中でも「私もです!」といった声も多く、同じ悩みを抱えている人の多さを初めて知って、もう少し早く言えばよかったなとも思いました。また、「本当に勇気づけられました」というような声も多かったので、発信してよかったなと感じました。

田染:私たちも形は違いますが、耳の聞こえに関する課題に対して活動を始めていった中で、お客さんから「こういった商品を待っていました」という声を直接頂くこともあり、耳の聞こえに課題を持つ人たちの多さも感じます。また、私たちは商品という形で、耳の聞こえに課題を持つ人たちへのサポートに取り組んでいますが、町田選手のように自分で発信して勇気づけるということは、また違ったサポートの方法だなと感じて、非常にポジティブに、嬉しく思いました。

町田:ありがとうございます!

社会に対して自分たちが出来ること

サッカー_町田也真斗

田染:少し話は変わりますが、OliveSmartEarについてどう思われましたか?感想を聞かせていただけると嬉しいです。

町田:はい。先ほどもお話ししていただきましたが、まさにそのデザイン性が非常にいいなと感じました。僕でさえも、ご老人の方などが補聴器をつけているのを見ると「この人は耳があまりよくないんだな」と思ってしまいますし、それをそのように見せないというのは普段でもとてもつけやすいなと思います。デザインについての話の中でメガネの例えがありましたが、同じような形で普及していってくれたら、少し聞こえないような人でもとてもつけやすくなると思いましたね。

田染:ありがとうございます。私たちも「気軽につけることができればいいな」と思っていて、実際にお客様の中でも「仕事の会議中に使っています」という方や、「家でテレビを見るときに使っています」というように、シーンに合わせてつけている方もいらっしゃいます。そういった「気軽さ」を感じていただいて、耳の聞こえに課題を持つ人たちをサポートができればと思っています。

田染:また話は変わりますが、今年は新型コロナウイルスの影響がいろいろなところであったと思うのですが、今のこの状況の中で感じられていることや心境の変化などはありますか?

町田:そうですね。コロナの真っ最中というか、Jリーグが完全に中断して何も活動ができないときに、ファンやサポーターの方たちに何かできないかというのはとても考えました。特に僕自身今年になって大分トリニータに移籍してきたので、ファンやサポーターの方との交流がほとんどできていませんでした。そういった中で、自分のSNSを通じてファンやサポーターの方と交流するという企画をさせていただいて、多くの人から「すごい嬉しかった」という声をいただけたので、本当にやってよかったなと思いましたね。

田染:個人的にもサッカーがすごい好きで、国内の選手や海外にいる選手も発信が増えて、そういった情報がとても近く感じられて勝手ながらうれしく思っていました。サッカー選手をはじめ影響力のある方たちが、この状況下でこういったことをしてくれるのはとても前向きになれる部分だと感じました。今後サッカー以外のところで取り組んでいきたいところがあればお伺いしたいです。

町田:今のところ具体的にそういったものはないのですが、それこそ耳が聞こえない人を応援できるようなことができればと思っていて、まだ行動には移していないのですが、耳の聞こえない人を支援する団体から取材をいただいたりしています。プロサッカー選手であるうちにそういった団体の活動を広める役割ができたらと考えています。ただ現状自分にはそういった力がないので、もしそういう機会があればいいなと思っています。

田染:いま世の中には耳の聞こえに課題を持つ人たちをはじめ、いろんなハンディキャップを抱える人がいますが、そういった人たちが日常生活を送る、あるいはスポーツをすることに対して、想いやメッセージがあればぜひ頂きたいと思います。

町田:僕自身は片耳難聴で、これについてあまりハンディキャップを感じることはないので難しいのですが、より重度のハンディキャップを持つ人たちがいても、僕が公表したように周りの人に発信することでお互い接しやすくなると思うし、自分も明るくなれると思っています。僕も耳が聞こえないことを知らない人と会うときには前もって言うようにしていて、そういうのは大事になってくるのではないかと思っています。

田染:お客さんの中でも、その人のハンディキャップの程度にもよりますが、周りの人に打ち明けたほうがそのあと楽になったという声もよく聞きますので、そういった意味ではネガティブにとらえられないような環境や社会のほうが、ハンディキャップを抱える人たちにとってはいいのかなと思います。

今日は長いお時間本当に有難うございました。これからも町田選手の活躍を期待しております!

町田:ありがとうございました。

最後にOliveから

まずはインタビューを快く受けていただいた町田選手に感謝を申し上げます。ありがとうございました。

Olive Unionはまだまだ若い会社で世の中で知らない人が大半です。私達は一人でも多くの聞こえに課題を持つ方をサポートできればと思い、日々取り組んでおります。町田選手のように自ら発信できる方は決して多くないですが、世の中が社会課題に関して自然と気付き向き合うことで、より豊かな世界になれるよう、私達も精一杯活動して参ります。

また、町田選手及び大分トリニータさんの活躍も心よりお祈り申し上げます。

サッカー元日本代表 巻誠一郎が考える、アスリートが社会貢献活動を行う価値 vol.1熊本地震が発生した2016年、当時現役Jリーガーでありながら、募金活動や避難所への訪問など多くの復興支援活動を行い、現在も復興支援活動、さらに環境問題への取り組みも行っている巻誠一郎氏。熊本県にて、海洋ゴミを回収する『Seabin』という機械の普及活動を行う株式会社SUSTAINABLE JAPANの代表取締役社長の東濵孝明氏。「熊本県」「社会貢献活動」という共通ワードを持つ、両者のオンライン対談企画が実現しました。...
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