輝やかしい世界で活躍するプロスポーツ選手。想像を絶する努力と数々の挫折を乗り越えて辿り着いたアスリートも、いつの日か最前線の舞台から退き、次の挑戦をするタイミングが訪れます。
Sports for Socialではそんなプロスポーツ選手たちがどのような”第二の挑戦”をしているのか、スポーツ選手として得た経験や力をどのように活かしているのか、その方々の人生に迫ります。
廣瀨智靖さん(以下、廣瀨)は、幼少期からサッカー選手としてエリート街道を歩み、高校サッカーの名門・前橋育英高校からJリーグ モンテディオ山形に加入しJリーガーに。24歳で徳島ヴォルティスに移籍し、2年後の2015年に26歳の若さで引退しました。
引退後は株式会社トゥモローランドへ入社し、アパレル業界へ。「アパレルのことを基礎から学びたい」と、自身の知名度を活かすことなく努力した廣瀨さんは、トゥモローランドでのスーツの販売、新店舗のマネージャーの経験を経て、現在はマーマレーション株式会社に所属し、オーダースーツブランド「illbe」立ち上げています。
廣瀨さんが経験してきた、“サッカー以外”の場面での努力、そして「自分のやってきたスポーツに恩返ししたい」という想いについて伺います。
思い描いていたプロの世界と現実との違和感
ーー山形、徳島でプレーされていたサッカー選手時代。現役引退後のセカンドキャリアについて意識するようになったきっかけを教えて下さい。
廣瀨)プロ1、2年目では世代別の日本代表合宿にも参加していたのですが、香川真司選手など当時の日本を代表する選手のプレーを目の当たりにして「自分はトップにいくことができないのではないか」という感覚を持つようになりました。
2012年のロンドンオリンピックの代表にも選ばれず「J1とJ2を行き来する選手で終わるかもしれない」と感じ、その後のキャリアについて考えるようになりました。
ーー実際に現役を引退される際にはどのようなことを考えていましたか?
廣瀨)プロの世界に身を置いていると、毎日が競争の世界でストレスを感じることも多いです。その中で、僕の息抜きは“洋服”でした。最初は先輩に連れて行ってもらっていたのですが、だんだんと僕自身がハマってしまい、当時住んでいた山形から仙台まで、週に2回は洋服を見に行くような生活をしていましたね。
26歳までサッカーを続けてきたのも“サッカーが好き”という想いがあったからこそです。選手を引退し、次に仕事をするにも「自分がやりたい」と思える好きなことじゃないと仕事にできないなと思ったので、洋服の世界に進もうと決めました。
ーーまったく未経験の業界に飛び込むことに不安はありませんでしたか。
廣瀨)不安というよりは「もうやるしかない」「自分を信じて飛び込もう」という感じで決めました。本当にゼロからなんですけど、サッカーにおける“止めて蹴る”のように、基礎基本からしっかり学ぶ覚悟を持ってトゥモローランドに就職しました。
ゼロから飛び込んだアパレル業界
ーー実際にセカンドキャリアとして株式会社トゥモローランドでの仕事がスタート。はじめは店頭でのスーツの販売だったそうですが、いかがでしたか。
廣瀨)アルバイト経験すらなかったので、本当にすべてが初めての体験でした。知識も経験も技術もない中でいきなり店頭に立ち、お客さんに接しなければならないということは、正直ピッチに立つよりも怖さを感じていました。
本当にたくさんのミスもしました。注文された商品の発送を忘れてしまったり、採寸の際にお客様の脚にピンを刺してしまったり・・・(笑)。
ーーそれは大変ですね(笑)。
廣瀨)そうした難しい状況ではありましたが、「自分でやると決めた以上とことんやり遂げよう」という想いで、人が10年かかることを5年でできるようにと考えながら、人一倍努力していましたね。朝8時頃から出社して、自主練習をしたり先輩を呼んでアドバイスをいただいたり。
ーーそのあたりのマインドは、アスリート時代のようですね。
廣瀨)そうですね。サッカーがうまくなりたいと思って取り組んでいたときの感覚に似ています。最初は上手くいかないのですが、続けていくと力がついてきて、まわりのスタッフからの見方も変わりましたし、お客様も増えていきました。
順調なキャリアを歩む中で感じる違和感とサードキャリア
ーーそして、トゥモローランドから現在のマーマレーション株式会社へ、さらにキャリアを進めていきます。
廣瀨)トゥモローランドでは、入社後はドレスカテゴリー(スーツ部門)の販売員として、接客はもちろん採寸や体型補正(オーダー)を主に学びました。ここでドレスの専門的なことを1から学べたのはとても大きかったです。入社して3年目には新店舗の日本橋髙島屋のオープニングスタッフに選ばれ、のちに店舗マネージャーを経験させていただき、合計約5年在籍しました。
アパレル業界では少しずつ力をつけている感覚があったのですが、もともと持っていた「いずれは洋服を通してサッカー界に恩返しをしたい」という考えに対し、「いまの仕事ではなかなかそれが達成できないのではないか」という思いも抱き始めていた矢先に、現在の勤務先であるマーマレーションに誘っていただき、2度目の転職を決めました。
ーーマーマレーションでは、自身のオーダースーツブランド『illbe』も立ち上げています。
廣瀨)会社自体はアパレルグッズの企画を行っている会社で、Jリーグのグッズ制作にも携わっています。アパレルグッズの商談を大宮アルディージャさんと商談しているときに自分の経歴を知っていただいてか「チームスーツをつくることはできませんか」という依頼がありました。会社としてスーツを取り扱うことはそれまでなかったのですが、僕自身のトゥモローランドでの経験も活かせるということで、『illbe』が立ち上がりました。
WEリーグの『大宮アルディージャVENTUS』のチームスーツを担当させていただき、そこからほかのサッカークラブ、サッカー以外の競技にも少しずつ広がっています。
山形から世界へ!米沢織の可能性
ーー2023シーズンからは、古巣であるモンテディオ山形のフォーマルウェアの制作も『illbe』でされているのですよね。
廣瀨)モンテディオ山形のオフィシャルフォーマルウエアでは、山形県の伝統の織物『米沢織』を使用したジャケットやパンツを作成しました。正直、現役時代には『米沢織』というもの自体知らなかったのですが、関わらせていただく中で和装(着物)やレディースのブラックフォーマルとして使用されることが多く、“メンズ”の“スーツ”や“ジャケット”ではなかなか使用されたことのないものだと知りました。生地屋さんも経験の少ない分野だったこともあり、難しさはありましたが、米沢に何度も足を運びコミュニケーションを重ね、苦労した分納得ができる良いものができたと感じています。
ーーどのようなコンセプトで制作されたのですか?
廣瀨)『山形を繋ぐ』をコンセプトに山形のものづくりを結集した「Montedio Yamagata Official Formalwear」を制作しました。山形県は、米沢織だけでなく、ニットのものづくりも業界内では非常に高く評価されています。僕自身、選手時代には気づくことができませんでしたが、アパレル業界に身を置き山形のものづくりのクオリティの高さを知ったことから、モンテディオ山形を通して山形県民の人たち、そして日本中の人たちに山形の魅力を伝えていきたいという想いからコンセプトを決めました。
また、サッカー選手時代のチームスーツは1、2年に一度スーツを支給されていた立場で、なおかつ今の仕事をする中で感じたこととして、そこまで着用回数が多くないスーツを新調する商習慣や、引退した後も着られるデザインではない(チームカラーを入れるために特徴的なデザインになっている)ところに疑問を感じていました。
そうしたことから、「選手たちが引退後も着られる普遍的なアイテムと長く着られるデザイン」を意識したスタイリングになっています。
こうしたウエアの作成は、自分を育ててくれた山形への恩返しにもなるかなと思っています。
ーー素晴らしいですね。「スポーツに恩返しがしたい」と考える人は、プロ選手に限らず多くいらっしゃいますよね。
廣瀨)“恩返し”という言葉は僕も使っていますが、簡単に言葉にできるものでもあると思っています。実際に今サッカー業界と関わらせてもらっていて感じるのは、自分が置かれた環境や目標・夢に向かって頑張っていれば自然と恩返しをしたい業界に関われていくのではないかということです。
恩返しのために頑張るというより、目の前のことを一生懸命やっていれば自然と恩返しにいつか繋がるのではないかということですね。目の前のことを頑張れない人は、そもそも恩返しという話ではないのかなって思いますし、地道にやっていかないと“恩返し”という言葉の意味が薄れていくのではないかと思います。僕も毎日必死に生きています(笑)。
ーー廣瀨さん自身の今後の展望について教えてください。
廣瀨)実際にプロスポーツチームと関わるようになり、プロスポーツチームが持っている影響力の高さを感じています。これから先は、モンテディオ山形の経験を活かし、日本にある素晴らしいものづくりの文化を、影響力のあるスポーツクラブを通して発信していく取り組みができるようにチャレンジを続けていき、『illbe』を世界中の人に着てもらいたいです。
ーーありがとうございました。
オーダースーツブランド『illbe』
illbeとは、元プロサッカー選手の廣瀨智靖が2021年に立ち上げたオーダースーツブランド。自身はセカンドキャリアで大手セレクトショップでドレスクロージングを経験。その後マーマレーション株式会社でillbeを立ち上げ、顧客にはプロアスリートや経営者など、全国各地に顧客を抱える。2024年5月には、illbeから派生したサッカーカルチャーをテーマとしたコレクションブランドillbe Collectionを立ち上げ活動中。
illbe:Instagram
illbe Collection:Instagram