早稲田大学に在学中、肺の血管に血の塊(かたまり)が詰まる難病「慢性肺血栓塞栓症」を経験しながら、壮絶なリハビリを経てJリーガーとなった畑尾大翔さん(以下、畑尾)。ヴァンフォーレ甲府、名古屋グランパス、大宮アルディージャを経て、現在はJ2ザスパクサツ群馬でプレーしています。
多くの人から支えられ、病気を乗り越えてプロサッカー選手になる目標を成し遂げた経験を持つ畑尾選手は、現役選手ながら一般社団法人「PiiS Fly(ピースフライ)」を設立し、特別支援学校などへの訪問を続けてきました。
そして現在、障がい者就労支援に取り組むための新たな挑戦をスタートさせようとしています。畑尾選手が抱く社会貢献活動への想いや、これから取り組む障がい者就労支援事業のこと、描く未来についてお伺いしました。
「支えがなかったらプロ選手にはなれなかった」
ーー「PiiS Fly(ピースフライ)」の立ち上げのきっかけを教えてください。
畑尾)闘病していた時期に僕自身が感じたことが活動の根底にあります。特に感じたのは、家族や仲間の支えの大きさでした。家族は、サッカーに復帰できるかわからない状況にいた僕に対し、「プロサッカー選手を諦めて就活しろ」などとはまったく言わず、プロになることを応援してくれました。仲間の支えという意味では、学生トレーナーだった同期の仲間がリハビリを無償で手伝ってくれました。なに一つ嫌な顔をせずに付き合ってくれたことは、本当にありがたいことだと思っています。
こうした支えがなかったら僕はプロサッカー選手になれていなかったと思いますし、この経験を持つことは自分だけの強みだと思っています。これを伝えることは僕の使命であり、お世話になった方々への恩返しになると思い、一般社団法人「PiiS Fly」を設立しました。
ーーそうした背景があるなかで立ち上げられた「PiiS Fly」では、小児病棟や特別支援学校などへの訪問をされています。対象を子どもたちとしたのにはどのような理由があるのですか?
畑尾)単純に子どもが好きなんですよね。(笑)
闘病中のリハビリ期間には、小学校の学童クラブでアルバイトをしていたのですが、子どもの持つパワーをものすごく感じました。闘病期間はなかなか楽しいことがなかったものの、子どもと接しているときは病気のことを忘れられました。子どもと遊んであげているというよりは、僕が一緒に遊んでもらっていた感覚ですね。(笑)
そうしたこともあり「子どもたちに対して何かできないか?」という想いと、自分の闘病経験を活かしたいという想いで、小児病棟や特別支援学校への訪問を始めました。
また、ヴァンフォーレ甲府に在籍していたとき、かえで支援学校(山梨県立の特別支援学校)に年1回、クラブの選手・スタッフ全員で訪問し、交流する機会がありました。そうした経験もあり、なにかしら子どもの支援をしたいと考えるようになったのかもしれません。
「若手選手にも繋げていきたい」
ーー「PiiS Fly」では活動に若手選手も巻き込み、『若手アスリートの人間形成』という点も大事にされていると伺いました。
畑尾)そうですね。こうした考えに至ったのは、かえで支援学校での経験が大きいです。かえで支援学校への訪問は、選手が各クラスに割り振られる形式なのですが、僕がヴァンフォーレ甲府に在籍した3年とも同じ子どもたちに割り当てていただき、学年を一緒に上がりながら子どもたちの成長を感じることができました。
この経験は、普段サッカーをプレーするだけだと得られませんし、サッカー選手としても1人の人間としても『社会に役立つことができている』実感がありました。
このように僕が感じたことを「若手選手にも一緒に感じてもらいたい」ということは常に考えています。「社会貢献活動をしたい!」と思ってる選手は意外に多く、「何かできることはないか」と探している選手たちを僕が引っ張っていきたいですね。
ーー若手の選手たちにとっても貴重な機会になっていそうですね。
畑尾)「ハタくん(畑尾くん)すごいよね」とよく言われますが、どの選手もやりたいと思っているけれどなかなか行動できていないだけであることが多いです。
僕は闘病経験というバックグラウンドもあり、多くの方に助けていただきながらこうした社会貢献活動ができていますが、そうではないサッカー選手やアスリートも多くいます。一緒に活動するだけでなく、モデルとして示していくことでも後輩たちの役に立てればと思っています。
もし僕がチームを移籍したとしても、残った選手たちで放課後デイサービスや特別支援学校には継続的に訪問してほしいです。今後活動が広がり、『ご当地の学校と選手のマッチング』のような取り組みができるとより良くなるのではないかと思っています。
「18歳過ぎた後の居場所がない」という話から
ーー今回、新しく取り組まれる就労支援事業についてお伺いをします。そもそもなぜ『就労支援』に着目され、事業として取り組もうと思われたのですか?
畑尾)「PiiS Fly(ピースフライ)」の活動としてさまざまな施設を訪問する中で、「継続的なサポート」という点で課題を感じていました。ヴァンフォーレ甲府のかえで支援学校訪問のように、毎年行くという継続性はもちろん、「その後の子どもたちの人生に何か寄与できないか?」と考えていました。
そんな中、ある特別支援学校に通う子どもの保護者の方から「18歳までは社会的な居場所があるけれど、18歳を過ぎたあとは社会的な居場所がなくなるんですよね」という話を聞きました。課題を知ったからには絶対に行動に移そう!と思うタイプなので、こうして動き出しています。(笑)
現在、特別支援学校に通う子どもたちの18歳を過ぎたあとの居場所を『就労支援事業所(就労継続支援B型)』という形で作ろうとしています。この事業所ができると、僕がいままで訪問した学校や病院の子どもたちが事業所に来てくれて、訓練して作業して、最終的には一般就労を目指していくことができます。課題に感じていた「継続的なサポート」にもつながり、障がいのある人たちの自立にもつながっていくと思っています。
ーーなるほど、そうした事情があったのですね。事業の中では、『養蜂』にも取り組まれるとか。
畑尾)そうなんです。『養蜂』というのは、ヨーロッパでは障がい者の作業としてポピュラーだと聞いており、日本でも既に全国20ヶ所以上も取り扱っている事業所があるそうです。
一般的に『速さ』が求められる他の仕事と違い、巣箱から巣枠を引き上げる作業では、ハチにストレスをかけないような『ゆっくりさ』が求められます。それに加え、巣箱にいるたくさんのミツバチの中から動きが違う嬢王バチを1匹だけ見つけ出すという作業があるのですが、『なかなか見つけられない1匹を集中力高く見抜ける』という点でも優れた能力を発揮します。そうした意味で、養蜂業は利用者のみなさんに対して向いている作業だと言えます。
採れた蜂蜜を販売することはもちろん、お菓子を作ったり蜂蜜を使ったカフェもできたりと、養蜂から発展していろいろな作業ができると考えています。事業所に来た利用者さんたちに「これをやりたい!」と思える仕事を選んでもらえるような体制にしていきたいので、養蜂というのはその先を見据えても取り組む価値がある、重要なものになります。
地域コミュニティの場に!
ーー畑尾さんがこの事業を通して目指しているところを教えてください!
畑尾)自社の農地を持ち農作物を販売したり、カフェを作ったりしながら地産地消にも取り組めればと思っています。僕自身、子どもに対する思いも強いので、並行して放課後デイサービスなども運営したいです。
また、事業所の近くにサッカーコートを併設することも考えていて、そこから地域のコミュニティの場となり地域の繋がりが生まれればいいなと考えています。
障がいのある子どもと障がいのない子どもが同じピッチに立って、一緒にサッカーをする機会もつくっていきたいです。僕自身が子どものとき、同じクラスだった障がいのある子に対して、その子のことを何も知らなかったがゆえに、少し線を引いてしまっていました。「知らない」ことでそうした線引きをしてしまっていたと思うので、お互いの理解を深め、尊重し合うことをサッカーやスポーツというツールを使ってできたらと思っています。
ーー畑尾さんから最後に一言お願いします!
畑尾)みなさんも「誰かのために何かをしたいと思ってはいるものの、何をして良いか分からない」と思うことがあると思います。
今回、この活動に向けたクラウドファンディングも実施しています。みなさんの「誰かのために何かしたい」という思いを受け取り、形にしていけたらと思いますので、ぜひご協力お願いします!
ーーありがとうございました!