私たちの想い

Sports for Socialの創業者が語る「悔し泣きばかりの僕が、スポーツで鳥肌が立ち起業を決意するまでの30年」

創業者には想いがある。どのような会社を立ち上げるにしても、創業者の多くはある日唐突に起業するわけでありません。そこには起業にいたるまでの「ストーリー」と、リスクを背負ってもやってみたいと自分自身を突き動かす「想い」があります。

Sports for Socialを運営する株式会社HAMONZ代表取締役CEOの山﨑蓮(やまざき・れん)に、同社CCOの台本尊之(だいもと・たかゆき)が、子ども時代から創業まで山あり谷ありの人生を伺いました。
*CCO:Chief Culture Officer

スポーツ×社会貢献活動のメディアとして、パイオニア的存在であるSports for Socialの生い立ちと、創業者である山﨑蓮の想い、ぜひご覧ください。

親の離婚、学費を稼ぐスーパー高校生

ーー創業者の方は、子ども時代の経験が創業に繋がっている場合が多いと思います。山﨑さんはどのような子どもだったのですか?

山﨑)小学校1年生の頃から、物事を深く考える子どもだなと自分で思っていました。例えば、幼稚園に通っていたり小学校低学年の時は、母親といる時間は長いじゃないですか。でもこのまま成長して中学生になると一緒にいる時間は短くなってくる。意外と一緒にいる時間ってないんだな。そんなことを普通に考えてしまう子どもでした。

ーーこんなこと言うのは失礼だと思うのですが、かなり変わっているというか珍しいというか。

山﨑)自分でもちょっと変わった感性を持っているなと思っていました。うちは貧乏なのに隣はお金持ちで、どうしてこんな差がでるんだろうとか。

父親は会社を経営していたのですが倒産してしまい、借金とともに家をとられ車をとられ、14歳の時に親が離婚して。そんな状況だったので家庭環境や教育環境も良くなかったんですよね。

ーーまだ中学生という14歳の時に親が離婚して、経済的には大丈夫だったのですか?

山﨑)貧乏だったので、とにかく自分でアルバイトして高校の学費を払っていましたね。居酒屋で働いていたのですが高校生だったので22時までしか働けなくて。最初は生活の維持のためとか、学費を稼ぐことが目的でしたが、がむしゃらに働いているうちに仕事の楽しさに目覚めてしまいました(笑)

ーー高校生で仕事の楽しさに目覚めるってすごいですね!僕は30歳の頃にようやく感じることができましたよ(笑)

山﨑)過去にいないくらいの意識高いアルバイトだったようで、居酒屋の社員さんや大学生アルバイトの人から「スーパー高校生」と呼ばれていました(笑)

どうしたらお客さんが喜んで帰ってくれるのか、どうしたら少しでも早くドリンクが出せるのか、働いているスタッフがどうしたら気持ちよく仕事できるのかみたいなことを、高校生のときから考えてましたね。

ーー「仕事の楽しさに目覚めた」と先ほど言われていたと思うのですが、山﨑さんは特に何が楽しかったのですか?

山﨑)自分でいろいろと考えながら、仲間と一緒に同じ目標に向かって進んでいくことがとにかく楽しかったですね。四六時中そのことばかりで夢中になりました!

高校を卒業して大学に進んでからも、学費を自分で稼ぐ必要があるので時給がいいパチンコ店でアルバイトしていました。大学生って基本的にはお金が稼げるからという理由でアルバイトするじゃないですか。でも僕は、その店舗80人ほどの組織のトップに立ちたいと思って働いていたんですよね。

ーースーパー大学生ですね!

山﨑)パチンコ店でも夢中になって働いていたら、フリーターの人が半数以上いる中で僕がフロアマネージャーという責任者になって。アルバイトはフロアマネージャーになれない規則でしたが、特例で役職をいただいていましたね(笑)

どうしたらお客さんがお店に入ってくれるのか、どうしたら稼働率が上がるのか、どこに人が入るとお店全体が賑わうのかみたいなことを、めちゃくちゃ考えて人材配置を検討していました。

蓮さん05動物園で撮影した家族での記念写真(幼少期の山﨑蓮)

諦めずにやり続けること、我慢して継続することが僕の人生です

ーーお話を聞いていると何でもできるスーパーマンみたいに思えてきたのですが、最初からそんなにもうまく仕事ができていたのですか?

山﨑)いえ全然です。居酒屋にもパチンコ店にも自分よりも能力の高い人がたくさんいて、僕は自分自身のことを凡人中の凡人だと思っていました。だから、仕事に対する熱量や決めたことをやり続ける継続性をかなり大事にしていたんです。

人に見られていない時に自分がどれだけ努力できているかは、高校時代から今でもとても意識していますね。

ーー最近は努力することがダサいみたいな風潮もありますが、何かを成し遂げようと思うなら人一倍努力することはやはり大切ですよね。

山﨑)僕は広告業界で社会人として働き始めた当時、13ヶ月連続の目標未達成で会社の中で一番売れない営業マンだったんですよ。

ーーえ!意外ですね。スーパー高校生からスーパー大学生と結果を出しながら進んできて、社会人で13ヶ月連続で未達成というのはメンタル的にも相当キツくなかったですか?

山﨑)もう悔しくて泣きながら会社に行っていましたね。朝9時から始業なのですが、僕は毎日6時半頃に出社してアポの準備や提案書をつくって。ほかの人が1日2~3件のところ僕は5件ほど営業に回っていました。目標未達成の期間が長く続いていたのですが、それでも一番動いていましたね。

それでも結果が出ずに、家にも泣きながら帰る時が結構ありました。

ーー泣きながら出社して、泣きながら帰宅する毎日…そんなに頑張ることができたのは、何があったからですか?

山﨑)居酒屋やパチンコ店で働いていた時に、乗り越えた経験があったからですね。居酒屋も当初は、簡単にグラスを割っちゃうし、「要領悪いね」とか「はいと返事するだけで全然理解してないな」と店長や大学生に怒られていましたし。

パチンコ店でも最初は「覚え悪いね」とか「ザキヤマくーん(笑)」みたいにイジられていましたからね。

13ヶ月未達成の期間も確かに辛かったのですが、学生時代に居酒屋でもパチンコ店でも手を抜かず努力し続けて成功してきた経験があったからこそ、「自分は絶対に乗り越えられる」と信じていました

ーーなるほど!そのような信念を持ち続けていたからこそ続けられたのですね。そう考えると、学生時代や若いうちににいろいろな経験をしておくことは大切ですね。気になるその後はどうなっていったのでしょうか?

山﨑)所属していた部署がなくなってしまい、別の商品を扱う営業部署に配属になったんです。その新しい部署でもやることを変えず行動していたら、なんと今度は13ヶ月連続で売り上げ一位というトップセールスマンになったんですよ。売れなかった理由は、もちろん僕の問題もあったのですが商品の問題も大きかったんですね。

何がきっかけで状況が好転するかわかりません。諦めずにやり続けること、我慢して継続することが僕の人生なのかなと思っています。

そこからは本当にトントン拍子で、ベストセールス賞を受賞してマネージャーになり局長まで昇進しました。やっと同期に追いついて追い越した感じですね。

生い立ちや創業までのストーリーを語る様子

感情を剥き出しにして応援する姿を見て、ゾワっと鳥肌が立ちました

ーー広告業界の会社で結果を出して昇進して、いわゆる勝ち組になったと思うのですが、そこからどうしてスポーツや社会貢献活動に興味を持つようになったのですか?

山﨑)その後、いろいろな経緯があって大分トリニータで働くようになりました。そこで初めてピッチから観客席をふと見上げたんですね。そうしたら老若男女、障がいのある方やない方、いろいろな人が見えるんですよ。

そんな人たちが泣いたり、叫んだり、笑ったり、感情を剥き出しにしてスポーツを応援している姿をみた時に、「こんなに人のパワーが集まることは、ほかにはないんじゃないか」とゾワっと鳥肌が立ったんですよね。

ーー特にホームグラウンドだと、独特のエネルギーや雰囲気が漂っていますよね。

山﨑)アンプティサッカーやユニバーサルスポーツを広げるために、大分トリニータのイベントで開催したことがあり盛り上がった経験がありました。

でもスポーツのこのとんでもないパワーを上手く活かすことができれば、さらに広げることができるかもしれないと思ったのが、僕のスポーツ×社会貢献活動の始まりです。

ーー鳥肌が立つくらいのスポーツの力を体験したからこそ、もっと何かできるんじゃないかと考え始めたということですね。

山﨑)その後も、いろいろなイベントを手がけて思ったことは、社会との接点をつくるために、スポーツほどハードルが低いものはないということでした。最初は興味がなくても何気なくたくさんの人が参加してくれますし、大分トリニータが発信すると多くの方が反応してくれるんですよ。

社会貢献活動をしているNPOの方などは、想いを持って活動しているにも関わらずなかなか共感や反応が得られていない状況も知っていました。でもスポーツクラブが行動すると、「一緒に活動したいです」という反応があって輪が広がっていくんですよね。

「すげーなスポーツ!」と感動しましたね!

蓮さん07大分トリニータで一緒に働いていた仲間たちとの思い出

ーースポーツの力をさらに当事者として感じられて、さらにどんなことをしていきたいと思われたのですか?

山﨑)「スポーツを通して社会貢献活動を応援していきたい」とその時に思いました。

ーーこのフレーズ、Sports for Socialサイトのトップに出てくる言葉ですよね。新しい会社を立ち上げる前に、すでにこの想いがあったのですね!

山﨑)株式会社HAMONZを立ち上げて、Sports for Socialのサービスを始めたときから今でも、僕はずっとこの想いを大切にしていますからね!

ーーありがとうございました。今回は山﨑さんの幼少期から会社設立前までのストーリーを伺わせて頂きました。この後いよいよSports for Socialのサービスがスタートすると思いますが、ぜひそのあたりのお話も後日に伺わせてください。

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