モンテディオ山形でプレーした岡崎建哉さんは、2023年の引退後、クラブコミュニケーターとして活動しながら、農業系YouTubeチャンネルを立ち上げました。
「山形の美味しいものを届けたい」
その言葉の背景には、選手時代の大怪我をきっかけに見直した「食」への感謝、そして苦しい時に手を差し伸べてくれたクラブへの想いがありました。プロとして怪我や契約の厳しさを経験しながらも、「サッカーから生き方を教わった」と語る岡崎さん。農業に取り組む理由と、その先に見据える監督への道について伺います。
食から始まった、山形への恩返し
ーー現在、YouTubeで農業の発信をされていますが、そもそも食事や農業に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか?
岡崎)選手として活躍するために、食事は完全に変えました。25歳のとき、長男が生まれてすぐに膝の大怪我をしてしまって。それまでは食事も生活も自己管理が甘かったのですが、「短いサッカー人生、ちゃんとしないといけない」と考え、食事やトレーニングを見直すようになりました。
ーー大怪我がきっかけで、食への意識が変わったんですね。
岡崎)そうですね。その後、モンテディオ山形に移籍して「山形のご飯は全部美味しい」と驚きました。お米もそうですし、フルーツもお肉も、何を食べても美味しい。
ーー食から関心が広がっていったんですね。
岡崎)「なんでこんなに美味しいんだろう」と思うようになりました。運転していても、畑が広がっている景色が自然と目に入ってきて、その中でご年配の方が作業されている姿を見ると、「この人たちが作ってるんだな」と、だんだん意識するようになっていったんです。
ーーどういった経緯で、YouTubeで農業を発信し始めることになったのですか?
岡崎)たまたま仲良くなった息子と同じサッカーチームのお父さんが農業に関わっていると聞き、「ちょっと興味あるんです」と相談したら、YouTubeに発信するという方法や撮影したい企画など、アイデアが広がっていきました。
ーー農業に携わる方との会話をきっかけにアイデアが広がり、YouTubeを始めるきっかけになったのですね。農業のやりがいや楽しさは、どんなところに感じますか?
岡崎)「美味しい」と言ってもらえることですね。大した量は作っていませんが、繋がりがあって飲食店に出させてもらったり、それをメニューとして出してもらったりしています。
実際に自分で食べたときにはやはり感動しますし、普段何気なく食べているものが、どれだけ大変な思いで作られていたのかがわかると、食への関心も変わってきます。食や農業への関心を持ってほしいという想いがあるので、YouTubeでも農作物の作り方などを少しでも届けていきたいと思います。
サッカーから学んだ「生き方」と、モンテディオ山形への感謝
ーー現役時代を振り返って、とくに印象に残っていることはありますか?
岡崎)怪我をしたシーンや、契約を更新してもらえなかったときのことが強く残っています。正直、思い描いていた通りにはいかなかったと感じる部分は大きいです。でも、そこで拾ってくれるチームがいたり、栃木に行ってJ3からJ2に昇格したというのも、自分の中ではとても印象に残っています。
ーー成功も挫折も経験されてきた中で、サッカーからどんなことを学んだのでしょうか?
岡崎)サッカーから「生き方」を教えてもらいました。一人でできないことも多く、まわりの人が助けてくれたり、逆に自分が助けたりする。失敗を繰り返しながら、考えて、またトライしていく力は、サッカーから学んだものです。
ーー2019年にモンテディオ山形へ移籍されましたね。
岡崎)木山隆之監督が声をかけてくれて、「絶対この人のために活躍するぞ」と思って移籍しましたが、まったく力になれませんでした。個人的にはこの5年間で「普通なら契約を更新してもらえないな」と思うタイミングが2回ありました。
岡崎)それでも、クラブから契約通知をいただいたときには、感謝の気持ちで思わず涙を流したこともありました。苦しいときに手を差し伸べてもらったことでクラブへの恩返しの気持ちがとても大きくなり、「このクラブのために何かしたい」というモチベーションにつながっていきました。
それと同時に、「自分の想いをちゃんと伝えないと、思っているだけでは何も変えられない」と考えるようになりました。発信の仕方や、チームメイトとの接し方など、サッカー以外の部分でも自分にできることを考えて、行動するようになっていきました。
選手以上の熱量。フロントに入り、気づいたこと
ーー2023年に現役を引退されましたが、引退前から次のキャリアについても考えていたのですか?
岡崎)もともと私は監督・指導者をやりたくて、「引退したら指導者」と決めていました。でも、だんだん年を重ねるうちに、「サッカーしか知らない」「サッカーしかできない」という考え方に、自分が縛られているだけではないかと思うようになりました。それが怖くなってきて、「サッカー以外のことにも目を向けて、少し違うことをしてみよう」という気持ちが芽生えてきました。
ーーそのような気持ちがある中で、地域とクラブを繋ぐ役割であるクラブコミュニケーターとしての道を選ばれたのですね。
岡崎)そのタイミングでモンテディオ山形から「クラブコミュニケーターとして一緒に何かできないか」という話をもらいました。「サッカーしかできない」と思い込んでいる自分の殻を破りたいという想いが強く、オファーを受けさせていただきました。
ホームタウン活動の企画運営段階から参画し、地域とクラブの架け橋として動く“クラブの顔”を担うのがクラブコミュニケーターの役割。ーー実際にフロントに入られて、どのような発見がありましたか?
岡崎)フロントのスタッフみなさんも、選手と同じくらいかそれ以上に熱量を持って仕事で戦っていると感じました。どうやってお客様が入るのか、どうやって自分たちがサッカーをできているのかは、選手のときには見えなかった部分です。
ーー選手時代には見えなかった景色ですね。
岡崎)お客さんを呼ぶために、チケット1枚売るために何をしないといけないか、毎日会議を開き細部にこだわる姿勢も印象に残っています。その熱量は本当にすごくて、何かに挑戦している方々と一緒にいられるというのは本当に幸せだと日々感じています。
「生き方を選べる」。農業を続けながら、監督を目指す
ーー将来的に取り組んでいきたいと考えていることはありますか?
岡崎)やはり監督です。農業もやりながら監督したいと考えています。監督をするなら1本に絞らないといけないとよく言われますが、それには少し違和感があります。
ーー両方叶えられる。そして双方に良い影響があるという思いからですかね。農業をしていることと、将来の監督というお仕事、どんなところが繋がっていくと思いますか?
岡崎)知らないことを知れるということは、自分の中で幅が広がると感じています。人と接するときも対話するときも、その人の想いを汲み取れたり、話が聞けたりします。
農業に関しては、山形の美味しいものが買える仕組みを作りたいと考えています。将来的には自分のサイトに来たら山形の美味しいものが食べられる、そのような状態を実現したいですね。
ーー新しいチャレンジや対話の中から、新しいアイデアややりたいことが生まれていっているのですね。指導者としては、「こうなりたい」という姿はありますか?岡崎さんが目指す監督像について教えてください。
岡崎)勝敗に大きく左右されますし、技術の部分は絶対に教えられる人になりたいと思っています。それと同時に、その人の生き方に少しでもいい影響を与えられたり、「そのきっかけがあったからサッカーを辞めても頑張れる」と思ってもらえるような存在でありたいと考えています。それはやはり対話でしか実現できないと思っています。選手の良さを引き出したり、いろんなことを信頼して言ってもらえる関係でありたいです。
岡崎)「生き方は自分で選べる」という言葉が大好きで、講演させていただくときもよく使っています。自分が今農業をしているのも選んでやっていることで、そういう選択肢をたくさんその人が持てるようなきっかけを作っていきたいですね。30歳くらいの時に出会った言葉で、この言葉に支えられていると言っても過言ではありません。
ーー最後に、監督・指導者以外でも熱量を持って取り組んでいきたいことがあれば教えてください。
岡崎)クラブが良くなること、本当にモンテディオ山形が突っ走って、他の地域、全国からも「やっぱりすごい」と思ってもらえるようにしたいです。サッカーの部分、強さもそうですし、クラブとしての価値も高められる一員でありたいと思います。農業も山形の良さをどんどん発信していくので、「いろんな良いものがあるんだね」という気づきになれるような活動をしていきたいですね。
山形に来て一番思うのは、自分たちの良さに気づいていないということです。発信がすごく苦手だという印象があるので、山形の人が自分たちのものに自信を持って、私でなくても違う人がどんどん県外にものを届けられる仕組みができれば、それが一番嬉しいです。
これとこれは別ということではなく、すべての物事は繋がっていると感じています。子育てをしていても、農業をしていても、モンテディオのフロントをしていても、もともとの思いは一つです。良さを発信したり、支えてくれた人に恩返ししたいという思いがあるので、そこはぶれずに熱量高くやっていきたいです。
ーーありがとうございました。
