バスケットボール

「地域に根ざし、家族のように戦う」トライフープ岡山・向井祐介選手が語るプロとしての歩みと覚悟

トライフープ岡山

バスケットボールBリーグ トライフープ岡山に所属する向井祐介選手(以下、向井)。一度は社会人としての人生を心に決めた向井選手でしたが、2018年にトライフープ岡山に加入してプロバスケットボール選手としてのキャリアをスタート。そこから2025−26シーズンまで8シーズン目を迎える今日まで、“トライフープ岡山の顔”として活躍し続けています。

普段はクールで多くを語らない向井選手が、新しいシーズンを前にこれまでのキャリアを振り返り、自身の“プロ”としての考え方など、さまざまな内容に答えていただきました。

京谷和幸
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社会人からプロへ|運命を変えた一本の電話

ーートライフープ岡山で8シーズン目を迎える向井選手。加入のきっかけから教えてください。

向井)このチームが本格的にBリーグを目指すタイミングで誘っていただいたのがきっかけです。それまでは、社会人バスケットチームでプレーしていて、そのチームがある島根県で就職して働いていました。

トライフープ岡山に誘われたときにも、実は最初はお断りをしたんです。地元・愛媛県の社会人チームから誘っていただいていて、社会人としての安定やプレー環境を求めてそちらでプレーをすることになったのですが、実際にプレーをする環境の面でうまくいかなかったこともあり、誘われてから半年以上経ってから改めて「あの話ってまだ生きていますか?」と私の方から連絡させていただき、入団に至りました。

ーータイミングは少しずれたものの、お互いにいい選択として入団が決まったのですね。当初は岡山という地に対してどのような印象を持っていましたか?

向井)愛媛県から新幹線を使う時には必ず岡山駅で乗り換えていたので、馴染みがないわけではなかったです。住み始めて7年、本当に“晴れ”が多い気候ですし、都会の雰囲気と田舎の良さもあり、とても過ごしやすい場所だと感じています。

向井

岡山の街とともに育んできた絆

ーーバスケットボール選手として結果を残すだけでなく、地域の方との触れ合いも長く所属していると多く出てくると思います。向井選手としては、そうした活動に対してどのように思われていますか?

向井)トライフープ岡山に入団するまで、自分がプレーするばかりでバスケットを“教える経験”はほとんどありませんでした。このチームの活動で、スクールの子たちに教えるだけでなく、学校の授業でバスケットボールに“興味のない子”も含めて教える経験はとくに大変で、最初はつまらなそうにしている子が目についてしまったり、どうしていいかわからないことも多くありました。

でも、「こうやって接すれば、最後には楽しく笑顔が見られるんだな」ということが少しずつわかってくるようになってきて、小学校で授業をした子に何年後かに会ったときに「向井選手が来てくれてからバスケットを始めたんです」という言葉をもらったこともあります。それは本当に嬉しいことでした。

ーー向井選手なりの、“興味のなさそうな子”への接し方にはどのようなポイントがあるんですか?

向井)“一緒にやる”ことを意識しています。コートの真ん中から指導するのではなく、それぞれの子どもたちの隣まで行って手取り足取り丁寧に教えてあげることで、興味を持ってくれると感じます。

ーーとても素晴らしいですね。子どもたちだけでなく、ブースターの方々など地域の大人たちとの触れ合いも多くなっていると思います。

向井)「自分のグッズを買って応援してくれる」ことは、プロでは当たり前なのかもしれませんが、僕としては“特別なこと”だと思っています。
コートを一周する際には、できるだけそうした方を見つけて感謝を伝えられるようにと心がけていますが、これからはもっと何かを一緒に行う機会などが増やせればいいかもしれませんね。

ーー2018年以降、この街にとってクラブの存在が変わってきたと実感する場面はありますか?

向井)入団当初に比べると、普通に生活をしているときに声をかけていただける回数が増えました。地域での認知度は本当に上がってきていると思います。
また、ホームゲームでの応援もすごく“声が出る”ようになったと感じています。ちょっと上から目線みたいですが(笑)、声を出して応援してくれる熱狂的な方が増えてきているのかなと思いますね。

プレー以外で価値を示す、プロとしての社会貢献

ーー社会人も経験された向井選手の考える“プロの選手”のイメージは、どのようなものですか?

向井)どの競技でもそうだと思いますが、「プレーで魅せるのは当たり前」なのがプロです。それに加え、プレー以外の部分で価値を高めていくこともプロとしての大事な要素なのかなと思います。
例えば、他のチームの選手がやっている社会貢献活動などをSNSで見かけることがあります。僕自身はまだなかなかできていませんが、そうした部分でも価値を示していく必要があるのかなと感じています。

ーー向井選手が「こんなことやってみたい」と思うことはありますか?

向井)自分のこれまでの人生を照らし合わせると、ひとり親で育ってきて学生時代に苦労もしてきたので、同じ境遇の人たちに何かできたらとは思っています。何が正解なのか、どうすればいい形で貢献ができるのか、ということはまだわかっていないですが、自分がプロ選手としてそうした方々に勇気や力を与えられるような活動ができたらいいなと思っています。

ーーぜひ実現したいですね。

向井

チームを支えるベテランの覚悟と“ギラつき”

ーー年齢的にもチームを引っ張る存在である向井選手ですが、若手選手たちに向けて伝えたいこと、普段から伝えていることはありますか?

向井)バランスは難しいですが、選手としてのギラつきも持ちながら「こいつと一緒にプレーしたい」と思わせる人間性を持った選手になってほしいと思っています。
こう思うのも、僕自身26歳という遅いタイミングでBリーグデビューをして、同級生たちがすでに4年以上のキャリアを積み重ねている悔しさがあり、入団当初は「とにかく活躍しなきゃ」と思って焦っていました。まわりなんてどうでもいいと思っていましたし、チームメイトとの付き合いも上辺だけで、自分が結果を残して上のカテゴリーに行きたいという想いがプレーにも態度にも当時は出ていたと思います。

その考え方をもし続けていたらすぐに移籍して、いろいろなチームを条件だけで選んで渡り歩くような選手になっていたと思うのですが、僕自身は当時の比留木謙司ヘッドコーチ(現バンビシャス奈良アソシエイトヘッドコーチ、ヤマトライジング奈良 スポーツディレクター)からこっぴどく言われて変わることができました。「どこで誰とやるか」がすごく大事なのだと気づき、トライフープ岡山でいい仲間とプレーして勝ちたいという思いを持って長く活躍することができているのかなと思います。

ーー温厚で優しく見える向井選手も、ギラギラ感剥き出しの時期があったのですね。長年向井さんが在籍するトライフープ岡山の魅力はなんですか?

向井)メンバーやコーチ陣も入れ替わりは少しずつありますが、常に“家族感”があるチームだと思っています。厳しいときにはお互い言い合えるし、いいことがあったら一緒に喜び合えるのが僕にとっては素晴らしい仲間、素晴らしいチームだと感じています。
コート上のプレーだけではなく、ウォーミングアップでの様子、ベンチでの様子などもファンの方には“家族感”を意識しながら見てほしいポイントだなと思います。

ーー2025−26シーズンへの抱負を教えてください。

向井)この2シーズン、自分たちが思い描くような結果からは程遠い結果になっています。岡山の人たちがずっと応援してくれる強い想いを感じながらも、このままでは示しがつかないと感じています。
ベテランとしてチームの潤滑油にもなりながら、選手としてのギラつきの部分も忘れずに、B3リーグ最後のシーズンを優勝で終われるように頑張りたいです。

ーーありがとうございました!向井

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