2024年4月に松本山雅FCの代表取締役社長に就任した小澤修一さん(以下、小澤)。選手として2005年に松本山雅FCに入団し、引退後も含め20年間クラブに関わり続けてきたその目から、この“地域に密着したクラブ”のことはどう見えているのでしょうか?
信州という地域がスポーツを活用して盛り上がる。その先頭を走る松本山雅FCのこれまでとこれからについてお話を伺います。ホームタウン活動の意義を感じた場面や、松本の地の“非日常”を活かす方法など、さまざまな角度からクラブの“今”を深掘りします。

ホームタウン活動への想いの変化
ーー松本山雅FCは「地域に密着したクラブ」という印象がありますが、小澤社長が選手としてプレーしていた2000年代はどのように感じていましたか?
小澤)私が松本山雅FCに入団したのが20年前の2005年でした。当時は北信越フットボールリーグ2部に所属するアマチュアのクラブで、Jリーグを目指し始めるタイミングでした。現在の『サンプロ アルウィン』ではなく隣のサブグラウンドでのホームゲーム、サポーターも1桁しかいないという状況でしたが、そのなかでも主体的に関わってくれる方がすごく多くいて「サポーターの人数を増やすよ」「ボランティアとしてクラブを支えるよ」と言ってくれる方々のおかげでクラブとしての形が少しずつできつつありました。
ーーJリーグを目指すというのは、当時からみても本当に大変なことですよね。
小澤)スポーツを使って地域作り・町おこしをしていきたい商工会議所や青年会議所のメンバーたちと、「とにかく勝って上に上がって、Jリーグに入りたい」という現場の温度感との違いは当時はまだありました。
選手としては「人生をかけてやっている」ことに対し、「勝てなくても人が集まることが大事だよね」という話に全然納得がいかずに口論になったこともありました(笑)。
ーーお互いに真剣で、熱さをもってやっているからこそのエピソードですね。

ホームタウン活動がクラブとしての方向が定まるきっかけに
ーーそうした状況で、クラブも選手も前向きに“地域のために”活動できるようになったのはどのようなきっかけがあるのでしょうか?
小澤)ホームタウン活動にしっかりと取り組み始めたところが大きな転換点だったと思います。
当時のホームタウン活動は、お祭りに行ってサイン会をしたり、幼稚園・保育園の巡回に行って子どもたちにサッカーを教えたりすることくらいしかなく、今のように多くの活動をしていたかというとそうではありませんでした。しかし、実際にその活動に選手の立場で参加したときに、子どもたちがサインを書いたりサッカーをするだけで喜んでくれたことをとても鮮明に覚えています。
ーー実際に地域の方と触れ合うことで、選手たちの意識も変わっていったのですね。
小澤)あるとき、「この前試合を観に行ったよ」と言ってくれた子がいました。こうした活動で応援してくれる人が増える、ということを実感し、そこから自分の中ではホームタウン活動に対する考え方が変わりましたね。
駅前でチラシ配りや商店街でのポスター掲出のお願いなど、「応援してください」と言いながらまわるものではなく、どちらかというと子どもたちにサッカーを教えるため、与えるために行ってる活動でも、どちらの活動も結局は自分たちに返ってくるんだなと思うようになりました。

ーーその後松本山雅FCで引退し、クラブスタッフとしてさまざまな業務をされていた小澤さん。営業担当もされていましたが、スポーツを通して地域を盛り上げることが、地域の企業にどんな影響を与えていると思いますか?
小澤)もちろん企業によっていろいろな業態があるので、我々が与えられる影響が及ぶ範囲も変わってきます。飲食店さんでのホームゲームのときのサポーターたちの消費などはわかりやすく感謝されますし、CSRに力を入れる企業からの「松本山雅のホームタウン活動や地域貢献活動を支援したい」という声は多くいただいています。
加えて、今1番実感しているのはリクルート面での松本山雅FCの活用です。親しみのある企業として学生に認知してもらえている印象があり、「この会社に入ったら楽しそう」と思っていただけたり、「大学で東京に行ったけれど、松本山雅を応援したいからせっかくなら松本山雅のスポンサーで。」と言って就職の試験を受けに帰ってきてくれた子の話も聞いています。
松本がさらに発展するために
ーー信州・松本の地域がより発展していくために、今後どのようなことが必要だと感じているか教えてください。
小澤)交通インフラ面では、北の長野市に北陸新幹線があって、南の飯田市にリニアが通るのですが、中心の松本エリアは東京まで3時間かかるという“弱さ”を感じています。しかし、インフラが便利すぎないからこそ、“非日常的なエリア”として発展していく可能性があると感じています。インバウンドの需要も考えると、信州まつもと空港がいかに国際化していくか、という点も今後の課題としてあると思っています。
ーー非日常的なエリアというのは、今後のキーワードになってきそうですね。
小澤)私は他県から松本に移住してきましたが、20年が経過した今でも、朝起きて山を見ると「すごい景色だな」と思います。この街全体のノスタルジックな雰囲気や圧倒的な景色は、お金払ってでも見に来たいと思えるほどのものです。

ーー地域の持つ素晴らしい“価値”ですね。街を作っていくためには、自治体や企業とも連携が必要です。
小澤)そうですね。この地域の特殊性や価値は“よそ者”の視点として伝えるようにしていますし、それに加えて「スポーツを武器に、スポーツでインフラを整えていきたい」という話もしています。
サッカーが盛んなヨーロッパの国では、どの街にもその中心には教会とサッカースタジアムがあります。そのくらいサッカーが地域に文化として浸透した、スタジアムを中心に活気ある町づくりをここ松本で実現したいと考えています。例えばバルセロナのように、「観光名所だけでなく、FCバルセロナの試合をやっぱりスタジアムで観たいよね」と観光客が思うような文化にしていきたいです。そのためにはサッカーの技術レベルを上げることも大事ですし、スタジアムという空間をどうプロデュースしていくかも大事になると思っています。
ーー“非日常な空間”という意味では、外国人観光客も多くいらっしゃることが観光地の特徴でもあると思います。
小澤)松本にもたくさんの外国人観光客の方がいらっしゃっていますが、スタジアムにはあまり来ていないのが現状です。ただ、観光でスタジアムに来た外国人の方と話したときには、「こんなに美しいロケーションのスタジアムは世界を探してもそんなにない」と言っていただきました。スタンドの上から北アルプスの全景が見えて、海外から来た方も感動していただけるようなロケーションの魅力はもっと多くの人に伝えていきたいですね。
松本山雅FCで運営している『喫茶山雅』という喫茶店では、外国人観光客の方がフラッと立ち寄ってユニフォームを買っていくこともあります。“世界共通”であるサッカーは、まだまだ可能性がありますよね。

ずっと触れていられるようなクラブでありたい
ーー選手、クラブスタッフ、そして社長とさまざまな立場を経験された小澤社長。松本山雅FCというクラブの未来についてどのように考えているのか教えてください。
小澤)「地域にとって松本山雅FCがどのような存在であるか」ということを大事にしながら、自分たちの事業の幅をより広げたいと考えています。
イメージとしては、生まれてから一生遂げるまでの間、ずっと山雅に触れていられるようなクラブでありたいと思っていて、幼児体育や学校教育、部活動の地域移行などの教育系の施策に入っていったり、心身ともに健康で長く生きられるような取り組みで事業を広げていきたい、という想いがあります。
ーー“生涯山雅”は、本当に地域に根差したクラブにしかできないことですよね。
小澤)日常では、地域の方々とクラブの直接の接点はそこまで多くありません。スタジアムでのホームゲームは年間約20試合、『喫茶山雅』でも毎日喫茶店に来れるわけでもありません。
SNSなどでクラブのことに毎日触れることはできるかもしれませんが、地域の方々が自ら情報を拾いに行かなくても自然に松本山雅に触れることができる環境を作りたいです。例えばスーパーに行ったら松本山雅の商品が置いてある、街を歩いていると松本山雅に触れられる、そこまで地域に落とし込んでいきたいです。
今、クラブとしては苦しい時期を迎えています。ここをどう乗り越えていくかがすごく大事です。今応援してくれている人たちと一緒にこれまでを超えるものを作っていくことで、もっといい未来が見えてくるはずです。私自身はこうした“地域がよくなる”活動がピッチの結果にもつながっていると信じているので、これからも目線は未来に向けて進んでいけたらと思います。
ーーありがとうございました。




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