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撮影隊がボルネオで目にしたのは、数多くのけがを負った野生の象|ボルネオ保全トラストジャパン 理事 中西宣夫さんを直撃取材!

Sports for Social(旧Trinita for Social)では、サラヤ株式会社(以下、サラヤ)の社会貢献活動と想いを紹介する連載を掲載しています。
ヤシノミ洗剤の原料のひとつであるパーム油の生産地、ボルネオの自然や動植物の保護活動をしている「ボルネオ保全トラストジャパン」理事を務められている中西宣夫さんのインタビューを3回に分けてお届けします。

前編では、中西さんがサラヤと、そしてボルネオとどのように出会い、関わりが始まった経緯を紹介しました。ボルネオで多くの動物を追いやっているアブラヤシ。そのアブラヤシから採れるパーム油を商品の原料として使う会社の中で唯一、テレビ番組のインタビューを受けたサラヤでしたが、番組を見て「サラヤのせい」と勘違いした視聴者から多くの苦情が寄せられました。その誤解を解くため、サラヤが始めた活動を紹介する番組の続編が作られたのです。

番組の続編と中西さん

続編では、最初の放送の時に見つかった傷ついたボルネオゾウを救出するために野生生物局と協力して開始した救出プロジェクトやパーム油産業のルール作りを目的として始まったRSPOへの参加、それらの活動に奔走するサラヤの姿が紹介されることになりました。
更家社長が相談を持ちかけた中村教授から紹介を受け、番組の撮影隊に加わったのが中西さんでした。
2004年12月、撮影隊はマレーシア・ボルネオ島に渡ります。ボルネオでの番組の下見や調査を終え、2005年1月には撮影のために再度ボルネオへ。そこで中西さんは撮影隊と現地の人々とのコミュニケーションの仲介を主に行っていました。

2月に番組撮影は終了しましたが、ボルネオゾウの救出活動の継続以外、サラヤはボルネオとパーム油の問題に今後どのように対応していくかの具体的な策が決まっていなかったのです。ボルネオゾウの救出活動だけでは根本的な問題解決にはなりません。

そこで、サラヤは今後、ボルネオでどのような活動をするのが良いのか、方針を立てるための情報を収集することを中西さんに依頼したのです。

ボルネオでの「とんでもなく熱い」出会い

ボルネオにサラヤの調査員として出向いた中西さんが頼りにしたのは、以前ヨルダンのNGOプロジェクトでお世話になったJICA(独立行政法人国際協力機構・開発途上国の国際協力を行っている機関)との繋がりでした。中村教授がJICAで有名な専門家だったこともあり、紹介状を通じてボルネオの現地事務所に通い、ボルネオ島サバ州での様々なプロジェクト地を視察しました。

当時のJICAではボルネオ生物多様性・生態系保全プロジェクト(BBEC・Technical Cooperation Programme for Bornean Biodiversity and Ecosystems Conservation in Sabah, Malaysia)を実施していました。そのプログラムのチーフアドバイザーから、プログラムにいるサバ州野生生物局局長とも繋がりを持つ「とんでもなく熱い専門家」として坪内俊憲さんを紹介されました。

坪内さんと初めて対面した中西さんは、保全活動や社会の変革に対する情熱をまるで怒っているかのように語り続ける情熱を持つ坪内さんとならインパクトのあるプロジェクトを組むことができると感じ、更家社長に坪内さんを紹介。新たなプロジェクトが始まったのです。

ナショナルトラスト運動

サラヤの調査員としてボルネオに渡った当初は負傷した象の救助、エコツーリズムの支援、植林活動が主な活動内容でした。そのような活動のあと、現地の野生生物局から坪内さんにとある提案がされました。それはかつて企画していた緑の回廊プロジェクト実現のトラスト運動を、サラヤと協力して進めないか、というものでした。事業の秘めた可能性の大きさをすぐに理解した坪内さんは早急に企画書を作成して調整に乗り出していきました。

トラスト運動とは、熱帯雨林をはじめとする自然環境を開発による破壊から守るために寄付や買い取りなどを行い、保全活動を進めることを指します。

「ボルネオ保全トラスト」の創設

プロジェクトの実現のために、サラヤは野生生物局局長、副局長をはじめとするサバ州野生生物局の意向を図りながら、NPO法人ボルネオ保全トラスト(BCT)を2006年に創設。
ボルネオ島の中でもマレーシアのサバ州キナバタンガン川下流域の分断された森を繋ぐことを目的として活動をし、幹事長にはサバ州野生生物局の局長が就任することになりました。

寄付金を募り、政府によって保護区に指定されている森と森の間の民間の土地をボルネオ保全トラストが購入することで、開発利用されないように確保していくことになりました。

購入された土地の名義は当面はボルネオ保全トラスト幹事長、つまりはサバ州野生生物局局長の名義となりましたが、あくまでも“ボルネオ保全トラストの幹事長”としての名義となるように細則で規定されました。しかし、長期的には政府の承認を得て、政府の管理する保護区に転換されていくことになっています。

東京事務局とボルネオ保全トラスト・ジャパンの創設

サラヤは、ボルネオ保全トラストに寄付金を送り、その他の活動支援もすることで、現地の環境保全に貢献していくという形をとっていましたが、日本からの支援をより拡大するためには日本でも寄付金などの窓口が必要と考えました。
そこで、ボルネオ保全トラストの日本窓口の事務局を東京に設立。東京事務局の業務は新しく加わったボランティアメンバーが行うことになりました。
東京事務所のボランティアメンバーは、ボルネオ島や野生動物に関しては専門外で、最初はほとんど知識もなかったものの、熱心な活動で事務局を形作っていきました。その活動が動物園関係者なども巻き込み、その輪を広げていったのです。
そうして2008年5月に創設されたのがNPO法人ボルネオ保全トラスト・ジャパン(BCTJ)です。

ボルネオ保全トラスト・ジャパンは、緑の回廊プロジェクトを中心に、オランウータンの吊り橋プロジェクトや、ゾウの保護施設設置のプロジェクトなど、活動の輪を広げていくことになります。
中西さんもオランウータンの吊り橋プロジェクトには、第一号橋からかかわり、その後6号橋までのプロジェクトを担当し、現地での吊り橋設置に携わりました。

ボルネオ保全トラストが創設されてから、ボルネオ保全トラスト・ジャパンの創設に至るまでの話を紹介しました。次回、最終回では中西さんとボルネオ保全トラスト・ジャパンの今後の活動について紹介します。

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